第6回 エルサレム編  ヤド・バシェム


3月29日に私たちはベツレヘムに向かう前に、エルサレム新市街にあるヘルチェルの丘を訪ねました。海抜843mの丘にはイスラエル建国の父と呼ばれるテオド−ル・ヘルチェルの墓があります。彼の伝記を事前に読み、私は彼がイスラエルに送られた現代の預言者とその不屈の精神にたいへん感銘を受けました。いつの日か彼の墓地を訪ねたいと願っています。

ヘルチェルの丘には、第2次世界大戦中ナチスドイツによって虐殺された600万人のユダヤ人を追憶する記念館「ヤッド・バシェム」が建設されています。ヤッド・バシェムとはヘブル語で「記念と追憶」という意味で、イザヤ書56章5節に由来しています。「わが家のうちで、わが垣のうちで、息子にも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名をあたえる」。ここの歴史博物館には虐殺に関する諸資料、遺品が展示されています。ライフル銃を携帯したイスラエル軍の若い女性兵士たちがグル−プに別れ虐殺の歴史を熱心に学び、ディスカッションしていました。ユダヤには「過去を覚える者は解放を得、過去を忘れる者は奴隷になる」という諺があります。歴史から謙虚に学ぶこと、学んだことを現代によみがえらせ生かすこと、忘れることなく未来につなげることは、どの国においても大切なことです。歴史を決して、風化させてはならないと思います。

追憶のホ−ルは厳粛な雰囲気が漂っていました。奥にはガス室の悲劇を象徴する青い炎が消えることなく燃やされています。広島の原爆記念館の平和の火と同様、人類が決して忘れてはならず、そして消し去ってはならない尊い証しの火であると私は思いました。

資料館を出た広場には大きなレリ−フがあり、右手には嘆きながらガス室に送られてゆくユダヤ人たちの姿が彫られ、左手には立ち上がり果敢に戦うユダヤ人たちの姿が対照的に描かれています。ただ嘆くだけではなく自分たちの独立と平和のために立ち上がる民族の決意が込められているとのことでした。


広場のレリ−フ

記念館の前方には世界大戦中、ナチスの手からユダヤ人を助けた各国の人物・「異邦人の義人」たちに感謝の意を表して杉の木が植林され、彼らの名前が刻まれたプレ−トが木の根本に飾られています。その中に、日本大使館員・杉原千畝さんのプレ−トを見つけることができました。

杉原千畝さんはリトアニア領事代理時代、ポ−ランドから逃げてくるユダヤ難民に対して、不眠不休で日本の通過ビザを発給し、およそ3500名のユダヤ人を救出しました。大使館員としての職責と自らの良心との狭間で苦悩されたそうですが、身を捨てる覚悟をしてビザの発給を決意されたと、奥様がテレビ番組で述懐されていました。元日本赤軍によるテルアビブ空港での乱射事件にもかかわらず、多くのユダヤ人が杉原さんの愛のゆえに日本人に対してたいへん良い感情をもっているとのことです。


杉原千畝さんのプレ−ト

ナチスの迫害からユダヤ人を守るために、オランダでは国王から一般市民まで全員がユダヤ人のしるしとされたダビデの星を身につけ迫害者の目を欺いたそうです。さらに小さな手漕ぎボ−トにユダヤ人を乗せ、暗い海を何度も往復しながら、7200名のユダヤ人たちをスウェ−デンに逃がしたという感動的なお話を聞くこともできました。その小さなボ−トが記念館の庭には展示されています。記念館を訪ねてナチスの非人間的な常軌を逸した行動に心がふさがれる思いをしていた私たちでしたが、オランダの一般市民が勇敢に立ち上がりユダヤ人を保護した愛の行動の数々を知り、人間への信頼感を回復する思いがしました。

迫害と苦難の中におかれたユダヤ人は、イスラエル建国以来、世界各地から帰還し続けています。毎年平均5000人、この10年間で約100万人のユダヤ人が帰還したそうです。しかしながら、帰還したユダヤ人の25%は大変貧しい人々であり、日常必需品にも事欠く状態です。こうした貧しい人々への食料援助、住宅補修、教育援助などを通して、ユダヤ人が異邦人クリスチャンと和解できるための、平和の架け橋となることを願う「ブリッジスフォ−ピ−ス」と呼ばれるボランテイアグル−プがエルサレム市内で活動しています。食料援助を担当する「フ−ド・バンク」と呼ばれる部署でビル・スティ−ブンス、栄子・スティ−ブンス夫妻が献身的に奉仕をされています。事務局には私たちの団体に属する練馬バプテスト教会の姉妹もスタッフとして加わっていました。関心のある方はどうぞ、ホ−ムペ−ジにアクセスしてみてください。

リッジス・フォ−・ピ−ス日本支部局 ホ−ムペ−ジ 

「エルサレムの平和のために祈れ」(詩122:6)と聖書は命じています。イスラエル国家は政治的に大変不安定な状況下におかれています。国内政治においては政党間の対立が激しく、国際政治においてはアラプ・バレスティナとの間に厳しい緊張が走り、和平交渉も決裂し、衝突と流血事件が頻発しています。パレスチナ暫定政府管理下にあるガザ地区ばかりでなく、エルサレムでも騒動が起きています。政治的に混乱すれば紛争が起こり、暴動、戦闘、戦争へと拡大する危険性が増大します。政治的解決が困難な状況だからこそ、神の御助けを祈り求めなければなりません。

イスラエルが政治的に安定し社会秩序が熟成することによって、より多くのイスラエル国民が新約聖書がもたらす福音に対して心を開くことができ、キリストをイスラエルの救い主として迎え入れることができると思います。平和のために祈れとは、政治的平和を指すばかりでなく、むしろ「シャロ−ム」・神の平安があなたの心にありますようにと祈ること。つまりユダヤ人の救いを指しています。ユダヤ人への伝道はユダヤ人の手に委ねなければなりません。ユダヤ人を理解できるのはユダヤ人だからです。メシアニック・ジュ−(ナザレのイエスを約束されていたメシアと信じる人々)と呼ばれる人々が同胞ユダヤ人に福音を語り、救いに招くことができるように、彼らの働きをサポ−トしてゆくために、祈る者でありたいと願います。ブリッジス・フォ−ピ−スも直接ユタ゜ヤ人伝道に携わる道ではなく、ユダヤ人がキリストに心を開くために愛の援助と奉仕を惜しみなくささげる道を歩んでいます。


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