第1回 ナザレ・カナ篇



       

クムラン洞窟            マサダの砦

 第6日目の朝、3月26日、私たちは死海を出発し、クムラン、エリコ、そしてガリラヤ地方のナザレへと北上しました。

 死海写本が発見されたクムラン洞窟を訪ねることを、聖書信仰に立つ牧師の一人として私は個人的に楽しみにしていました。 死海の西北端から1キロほど西に入った丘陵地帯で一九四七年の春、羊を飼っていた17歳のベドウィンの少年が、水の干上がった川から洞窟に小石を投げ入れたところ、容器が割れるような音がしました。

 洞窟を調べると土器の中に羊皮紙の7巻の古びた巻物がありました。それは紀元前100年頃に写筆されたヘブル語のイザヤ書であり、世界最古の写本がほぼ完璧な形で保存されていたのです。さらに付近の洞窟から600を越える巻物が発見され、今世紀最大の考古学上の発見となりました。

 厳格なエッセネ派学者たちがエルサレムを追放され、この荒野に移り住み共同生活をしました。ユダヤ戦争でロ−マ軍に包囲され、滅ぼされる紀元前67年頃彼らは安全な洞窟内に貴重な写本を隠したのでした。写本が見つかったことが奇跡ではなく、今まで見つからなかったことが奇跡でした。イスラエル建国のちょうど1年前に発見されたこの死海写本は、神のことばの完全性、信頼性を証明しました。イスラエルの再建と死海写本の発見! ここにイスラエルの回復を導かれる神の摂理を覚えさせられます。

     

ナザレの村の受胎告知教会

 国道沿いに広がる絨毯のようなお花畑を眺めながら、バスはヨルダン渓谷を北上しナザレへと入りました。ナザレは350mの丘の上に立つ人口4万5千人のアラブ人クリスチャンの小さな町です。ここはイエス様が家族とともに30年間住まわれた故郷です。このナザレの中心地に、アベ・マリアのAの文字をかたどった大きな三角屋根のカトリック教会「受胎告知教会」が、1969年に建てられました。

 マリアが天使ガブリエルから御告げを受けたときに住んでいたと言われる洞窟の上に聖堂が建設されています。3世紀のビザンチン時代の古い教会堂跡、十字架の記されたタイルや洗礼プ−ルも発掘されており、すでに1世紀には記念の場とされていたようです。100%まちがいなく受胎告知の場所であろうと言われているそうです。

 ロ−マ法王のイスラエル訪問の直後でしたので、カトリックの巡礼者たちで会堂内は混雑していました。けれども、敬虔な祈りとすばらしい讃美をもってミサをささげる司祭と信徒の姿は、観光客ではなく礼拝者としてこの地を訪問していることを証ししていました。

 ナザレからバスで15分ほど、ガリラヤ湖方面に丘陵地帯を降る途中に、カナの村があります。ここはイエス様が水瓶の水を最高の葡萄酒に変えた奇跡が行われた村です。フロア−には1世紀に使用されていた石造りの瓶が展示されています。


      

     カナのフランシスコ会教会                          石の水瓶

イエス様が、私の人生も味わい深いものに変えてくださったことを心から感しました。恵みの主はあなたの人生を良きものて゜満たして下さいます。

次回はエルサレム−オリ−ブ山篇です。

        

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