第11回  英国国教会・園の墓


3月30日、私たちの聖地旅行の最後の地は、聖墳墓教会とは別の、もう一つの「カルバリの丘と主の墓」と呼ばれている美しい庭園でした。


エルサレム旧市街の北側に位置するダマスコ門から北に300メ−トルほどの所に英国国教会が管理するたいへん美しい園があります。ここは「主の園」と呼ばれ、プロテスタント教会では、主イエス様が葬られた園と墓がある場所として、つまりもう一つのカリバルの丘と信じられているたいへん興味深い場所です。

1883年、英国のゴ−ドン将軍がホテルの窓から眺めると向側の丘が、しゃれこうべの形をしているのに気づきました。そこで彼が、さっそく発掘調査をしたところ、地中から墓を発見しました。1891年から本格的な発掘作業が始められました。すると付近一帯がかつてはオリ−ブ畑やぶどう園であったことを証明するようなため池や酒船が多く発掘され、この墓が園の中にあったことがはっきりしました。

聖書の記述によれば、イエス様の遺体はアリマタヤのヨセフの庭園内の墓に葬られました。ところが聖墳墓教会付近は岩山ですから、庭園という記述にそぐわないとも言われてきました。またカルバリの丘はエルサレムの都の外に位置するはずであるとも指摘されており、イエス様の埋葬の場所は、この園の墓だと主張する人も多くいます。この園の中にある墓は主の墓にふさわしい雰囲気をかもしだしています。


ゴ−ドンが見た丘

墓の内部は4〜5人が入れる広さで、奥の部屋に遺体を寝かすことができます。墓は未完成の状態のままになっており、イエス様の身長に合わせて急いで岩を削って広くしたと思われる窪みもあります。


墓の内部の掲示板

さらに墓の入り口には、溝が斜めに掘られていて大きな円形の岩を転がして入り口を塞ぐことができるようになっており、右側にはそれ以上、転がらないように岩留めが設けられています。溝の幅は60センチもあり、かなり大きな岩で閉じられたと思われます。ここは確かにイエス様の時代の墓の様子を今に伝えてくれる超一級の遺跡と言えます。時間があればもっとゆっくりと巡ってみたい興味深い場所でした。

さて、本の内容の信憑性は別として、ジョナサン・グレイが著した「契約の箱」(徳間書房)には、この主の園の発掘に関する興味深い報告が多く記されています。私は、この本を通して初めて「ロ−マ政府による封印」の実態を知りました。墓を封印するとは、墓の入り口を大きな岩で塞ぎ、墓の入り口の両側に鉄のくさびを打ち込み、岩を固定して、鎖でつなぎとめてしまうことだそうです。この本によれば、岸壁の中には厚さ3.8センチの楔の切れ端がまだ残っていて、切断面を科学的に分析すると、約80トンのすさまじい力で一瞬にして、へし折った場合と一致するそうです。それはなんと家二軒分のレンガを一気にぶつけた力と同じだと言われています。常識では考えられない力が一瞬にして加わり、封印を破って岩を動かしたと思われます。この状態は「主の使いが天から降りてきて、石を脇に転がして、その上に座った」(マタイ28:2)との聖書の記述と合致します。さらに、すぐ近くの土中からは、直径約4メ−トル、厚さ60センチの円形の石も発掘されたそうです。もしこの円形の石が墓を塞いだ岩だとしたら・・・、個人的にはいよいよ主の園に対する関心が深まりました。一読をお勧めします。


墓の入り口と右側の石留め

最後の日でしたから私たちはこの園で、聖餐式をもち、主をほめたたえました。意義深い感動的な礼拝をささげることができました。この園の中でひとり座っていると、復活された主から「おはよう」(マタイ28:9)と呼びかけられたような不思議な気がしました。イ−スタ−おめでとう。「主はよみがえられたのです!」

2001年 4月2日 

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