第12回  聖書旅行の恵みと聖書

約1年間、聖書旅行記を連載しました。みなさまからの励ましのお便りに感謝いたします。今回は、聖地旅行によって信仰生活にもたらされる恵みをお証しさせていただきます。

イスラエルにある多くの史跡は、歴史的根拠が薄く、宗教施設・観光遺物にすぎず、見学する価値もないという人もいます。たとえば、クリスチャンガ感動するドロロ−サの道は、実際は4m以上も地下に埋没しており、キリスト教で有名な「2階座敷の祈りの家」の階段の下に「ユダヤ教の重要史跡ダビデ王の墓」があることは確かに不自然であり、聖墳墓教会の宗派ごとの隣あわせの祭壇などもたぶんに伝説的である、などなど。

しかし、それでも私は、聖書の舞台であるイスラエルとエルサレムをお訪ねになることをみなさまに心からお勧めしたいと思います。きっと3重の霊的祝福が注がれることでしょう。


イスラエルの花畑

1 聖書地理が明確になる

聖書の世界が総天然色になり、空の色、水の冷たさ、風の音、花の香りまで感じ取れるようになります。私は愛用の大型聖書を持参し、イスラエルの空気をたっぷりと吹き込んできました。地理的な距離感、高低差もつかめるようになりました。エルサレムとベタニアの距離、ナザレとガリラヤ、ガリラヤとナインの村の距離などがつかめるようになりました。そびえ立つマサダの砦の頂上が海面下0mであるという信じられない地形など驚きの連続です。

イエス様の生活の場となった自然豊かなガリラヤと宗教学者たちの論争の場となった都エルサレムのコントラストなどを思い起こして、イエス様のことばを聞き直すとリアリティが強く迫ってきます。イエス様を知るために、イエス様が歩まれた地を、自らも踏みしめてみることはたいへん意義深いことだと思います。


垂訓の教会

2 祈りが深められる

聖地を旅行した者たちすべてがエルサレムシンドロ−ム(聖地症候群)にかかるわけではありませんが、確かに心が熱くされます。霊的な感動の波が静かに深く押し寄せてきます。1日の旅を終え、ゆっくりと見学した場所を振り返りつつデボ−ションの時を持つことは、至福の時間・ゴ−ルデンタイムでした。(もっともせっせと家族に手紙を書いたり、洗濯したりと結構忙しかったことも告白しなければなりませんが・・・。)

参加者の信仰に深みが与えられ、神のことばに向き合う姿勢が霊的に整えられます。一人一人がきっと神の臨在にふれ、霊的刷新を経験するからだと思います。カトリック巡礼団の大型バスに「BACK TO THE BIBLE」(聖書に帰ろう)というキャンペーンシールが張られていましたが、聖書にもう一度引き戻され、信仰の原点を再発見できることは、なにものにもかえがたい貴重な体験と言えます。私たちの信仰は「聖書から始まり聖書に帰る信仰」なのですから。イスラエルの地に立つことは聖書に立つことでなければ意味と価値を失います。

3 イスラエルへの愛に目覚めます

誰もがイスラエルの過去と現在と将来に、この地では向き合うことになります。過去のユダヤ人大量虐殺の歴史を通して人間の罪のなまなましさを思い、深く悔い改めさせられます。それは私たち日本人にとっては日本帝国主義によるアジア諸国に対する侵略戦争の責任問題への痛みにも直結します。ヤドバシェム(虐殺記念館)の丘で、ユダヤ人救出に全力を尽くしてビザを発給し続けた杉原千畝さんの人格に触れて、慰めを受けました。「愛には恐れがありません。まったき愛は恐れを締め出します。」(第1ヨハネ4:18)

イスラエルには世界で最も深いところにある死海があり、世界で最も悲惨な最悪の虐殺の歴史があります。そしてこの地を訪れる者は、人間の罪の深重さと国家権力にさえ抵抗する愛の高潔さを学ぶことができます。

イスラエル政府とパレスティナ民族間の抗争・インティファ−ダ−の現実を見て、人間の政治による解決ではなく、神の主権による平和と和解を今も心から祈らされています。憎悪と敵意がいつ和解と共生にシフトしてゆくでしょうか。私は旅行後、「イスラエル・パレスティナ問題」に対して関心が強まり、ホームページにも私なりの小考察を掲載させていただいています。こうした現実の政治情勢を超越して観念的に平和を論じても意味がありません。「エルサレムの平和のために祈れ」(詩122:6)との呼びかけに、私は私なりにお応えしてゆきたいと願っています。

世界中からぞくぞくと帰還するユダヤ人とイスラエル国家の復興を見るにつれて、聖書に記された預言の終末的完成を待ち望む思いがいよいよ強められます。帰国後、黙示録の学びがたいへん深まりました。教会の最大の希望である、キリストの再臨を待ち望む信仰が息づいてきました。

イスラエルを見ると、「神の召しと賜物は決して変わらない」(ロマ11:29)と証しされた神の真実さに目が開かれます。神の真実さへの信仰が増し加わる、そんな祝福を私はテイラエル旅行で与えていただきました。

2001年5月2日

黄金の門

戻る