第5日   あなたの存在の価値の大きさ イザヤ43:−7
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ43:4)

教会のメンバ−が入院中に、この聖書のことばを色紙に書いて壁に貼っていました。するとある日看護師さんが語りかけてくださったそうです。「私はクリスチャンじゃないので詳しい意味はわかりませんが、このことばはすばらしいですね。書きとめて帰ります」と。どのような意味で看護師さんが感動されたのか私にはわかりませんが、一人一人をなにものにも代え難い価値ある存在として尊重し、健康の回復を援助する看護の精神にもそのまま共通する思いだったのではないでしょうか。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 聖書の中でもっとも愛され、多くのクリスチャンの心の支えとなっているこのすばらしいことばを一緒に考えてみたいと思います。

まず、イザヤ書とは紀元前8世紀に活躍したイスラエルの予言者イザヤが書き記した巻物を指します。この場合の「わたし」とは、天地を創造されたまことの神、イスラエルの神を指しています。では「あなた」とは誰を指していることばでしょうか。直接的には、神の民として選ばれたイスラエル民族を指しています。少し歴史的な説明をさせてください。

予言者イザヤが活躍した紀元前8世紀には、イスラエルは南北に国が分裂し、かつてのダビデ・ソロモン王の時代のような繁栄と隆盛を失い衰退していました。北にはアッシリア王国、南にはエジプト王朝、東にはバビロン帝国そしてさらに東には後の時代に世界制覇をなしとげることになる新興勢力ペルシャが位置しており、イスラエルは巨大な軍事力を誇る強国に取り囲まれた「弱小国家」として生き残りをかけて国際政治の中で難しい舵取りをしなければなりませんでした。紀元前722年に北イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされ、南ユダ王国もついにバビロン軍の侵攻によって586年、都エルサレムが陥落し、住民はバビロンに奴隷として連行されました。失望しきったイスラエルに対して、神様は予言者イザヤを通して、慰めと愛に満ちた回復のメッセ−ジと励ましを与えたのでした。これがイザヤ43章の歴史的背景です。

1 イスラエルへの愛

「イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(1節)

この1節の言葉から、神がイスラエル民族を興し、国家形成を導き、神が永遠に所有される特別な民とされていること、イスラエルの名を親しく呼び続ける特別な愛の関係に中に置かれていることが理解できます。

「わたしがあなたを贖った」と神が「贖い主」であることが明らかにされています。この「贖う」という言葉は「代価を支払って奴隷を買い戻し、解放する」という意味をもつことばです。

奴隷が自由になるためには多額の代価が払われなければなりません。イスラエルがバビロンの奴隷生活から解放されるために、神はペルシャ帝国を興し、ペルシャによってバビロンを滅ぼし、さらにペルシャがエジプト・エチオピアなどの北アフリカを支配下に置くことを導かれました。その結果、パレスチナ地方に政治的な安定がもたらされたので、国王クロスはユダヤ人に寛大な政策をとることができ、538年に祖国に帰還し国家を再建し、ユダヤ民族のシンボルであるエルサレム神殿の再建を許可したのでした。

ペルシャ帝国にバビロン、エジプト・エチオピアを代価として与えることによってイスラエルに奴隷からの解放をもたらし、イスラエルを「贖われた」のでした。不信仰と偶像礼拝の罪を繰り返すイスラエルに対しても、神様の愛は決して変わることがありませんでした。イエスラエルがご自分の民であり、ご自分の民であるイスラエルを神は心から愛し、「高価で尊い存在」とみなし、守り続けてくださったからでした。

私たちは、ご自分の民イスラエルをこのように最後まで愛しぬかれ、ご自分の真実な愛を注がれる神の姿の中に、神の愛の永遠性・純粋性を見ることができます。

私たちは非常にうつろいやすい人間的な愛の世界に身を置いています。今まで裏切られたことがない騙されたことがない、傷ついた経験がないという人は一人もいないと思います。真実な愛をどこに私たちは見いだしたらいいのでしょう。第1の答えは、イスラエル民族の「存在」の中に見いだすことができるのです。何かを行ったからではありません。神が愛されている故に、その「存在」そのものが尊いとされているのです。

第2に、創造されたすべての人間

「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1:2)

 私たち人間は「偶然の連続の結果」として誕生し、しかも猿からの長い進化の過程の延長上に存在しているわけではありません。創世記は、人間は他の被造物と異なり「神のかたちに似せて」創造された特別な存在であると教えています。

 神によって創造されたすべての人々に対して神様の愛は注がれています。なぜならば、一人一人の人間は神のかたちに似せて創造されたユニ−クな存在だからです。創造主は「私はある」といわれ、宇宙にただ一つのお方であり、「コピ−が他には存在しない「唯一性」「独自性」を持っておられます。他の誰かによって支配されることのない「主体性」を持っておられます。その創造主のかたち(ご本質)に私たちは似せてつくられているのですから、一人一人もかけがえのないユニ−クな存在です。

 体重63キロの人間の身体は石けん7個分の脂肪、鉛筆9000本の炭素、マッチ2500本分のリン、下剤1袋分のマグネシウム、釘1本分の鉄、どんぶり1杯分の石灰、1匹の犬からのみを追い出せるイオウ、そして1升瓶20本分の水からできており合計1000円たらずの原料だそうです。物質的にたいした価値のない私たちですが、神のかたちに似せて創造され、神と交わり神と語り合い、神の栄光のために生きることができる故に、霊的な価値において尊いのです。

 さらに神様同様、他にコピ−が存在しないたったひとりだけの存在であるがゆえに尊いのです。この前、大阪でばったり知り合いの方とあいました。こんなところでと思いましたがなんとなく背が低い、久しぶりにあったので背が縮んだかなと思いました。髪型も服装もブロ−チもまったく同じでしたが、よくよく見ると別人でした。世の中には確かにそっくりな人はいますが、しかしなにからなにまで同じと言うことはあり得ません。

 あなたは世界に一人しか存在しないかけがえのないユニ−クな価値ある存在。スペシャルな存在なのです。だから他人から愛されることを求めるより、自分で自分を愛するあたたかい心を育てましょう。そしてその唯一性の故に、誰かと競争したり比較してNO1になることに価値を見いだすのではなく、自分らしい生き方Only1の生き方を探し続けていただきたいのです。

 今日本では9年連続で32000人前後の自殺者があり、毎日約90人が自殺している計算になります。自殺未遂者はその10倍と推定されていますから、1日900人が自らの人生に終止符を打とうとしています。「私の目にあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」との創造主の声を聞いてほしいと心から私は願います。そして「私の目にあなたは高価で尊い」と呼びかけておられる創造主の愛の声をお届けしたいと願っています。

3 救われた全ての神の子たち

「あなた」とは第3にクリスチャンを指しています。キリストは十字架にかかって全人類の罪を背負い、身代わりとなって罪の裁きと刑罰を受けてくださいました。その尊い身代わりの死、犠牲の死によって、罪人の罪は完全に償われ、赦されました。これをキリストの十字架の贖いといいます。

大切なことは2000年前のカルバリの丘で起きたイエスキリストの十字架の贖いが、「この私」の罪の赦しのためであったと個人的な自覚、個人的な経験として受け止めてゆくことです。それが「神がわたしの名を呼んだ」という意味でもあるのです。

全人類ではなく、「小出隆よ」と神様は個人的に名を呼び、招いてくださっています。

 かつてイエス様がエリコの町を訪ねた時、傲慢にも木の上によじ登ってイエス様を見下ろしていたザアカイに向かって、「ザアカイ、急いで降りてきなさい」と声をかけました。町中から嫌われて軽蔑されてザアカイでしたが、イエス様は彼を「罪人」とは呼ばず「失われた人」と呼び、ザアカイに愛を注いでくださいました。

 個人的に十字架の体験をする時、まさにその瞬間、私たちは「神のひとり子イエスキリストが十字架でいのちまでも捨てるほど私を愛してくださった」という人生最大の真実な愛を知るのです。またそれほどまでこんな私をも神様に愛されているという感動、爆発的な喜び、「そんなにまで愛される価値のある存在だったのか、この私が!」という感動にとらえられるのです。

 こんなに愛されているのに、「こんな私じゃ嫌だ」と自分で自分を嫌っていた、そんな自分がかなしくなったり恥ずかしくなってきます。自分で自分を受け入れられず、なんと長い時間を過ごしてきたんだろう、「もったいない」と正直思うようになるのではないでしょうか。いわば私たちはイエス様と同じ価値のあるいのちをいただいたのです。

神の御子のいのちと引き替えに、私が罪赦され、新しいいのちを与えられて生きている。なんと尊いことでしょう。いのちを乱暴につかうのではなく、もっとイエス様のためにお役に立ちたい、そんな建設的肯定的な人生への思いが自然に開かれてきます。

「私の目にあなたは高価で尊い」 このことばは、私たちを豊かな人生へ送り出してくれる、愛の神様からの最大の人生のエ−ルではないでしょうか。

2007年7月1日 主日礼拝




  

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