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 神の永遠の愛に導かれて

宇治バプテストキリスト教会 牧師 小出 隆

主は遠くから私に現れた。『永遠の愛をもってわたしはあなたを愛した。
それゆえわたしはあなたに、誠実を尽くし続けた』」(エレミヤ31:3)


1 いつも神に背をむけて・・

私は1950年に名古屋市で生まれました。父親は曹洞宗のお寺で養子として育ちましたが、寺を出てホテルに勤めました。英会話の学びの必要を覚えていた父は、宣教師によって始められた教会が近くにできたので、礼拝に集うようになり,やがてバプテスマを受けました。そんな関係で家庭集会も開かれ宣教師がよく家に来ましたのでたいへんかわいがってもらいました。ポップコ−ンやキャンディをもらうのが楽しみで私も教会に行くことが楽しみでした。ところが宣教師に代わって日本人牧師が就任するようになると父は教会に行かなくなり、私と教会とのつながりも絶えてしまいました。

小学校3年生の時に三重県の津市に転居しましたが、家のすぐ裏手に教会がありました。教会の中庭で遊んでいてガラスを割ってしまったので、おそるおそる謝りに行ったところ、牧師に教会学校に誘われ、再び教会に出席するようになりました。ただしクリスマスが近づくころだけプレゼント目当てに熱心に通っていたように思います。中学時代に再び名古屋に転居したため教会との交わりが途絶えてしまいました。ところが高校時代に親友が英会話を教会で学ぶようになり、私を誘ってくれました。宣教師の英語の話が聞けるので日曜日には礼拝にも続けて出席するようになりました。

1年ほど熱心に通ったので宣教師が私にバプテスマを受けるように勧めるようになりました。ある日の礼拝で、「今日の午後、この青年のバプテスマ式があります」と宣教師が私に紹介してくれました。ところが彼は頭を青々と剃っていたので、私はキリスト教ではバプテスマ式の時には頭を丸めるのだと思い込み、さらに「神様におすがりしなければならないほどまた゜年をとってない!信仰は弱い人間がすること。これ以上、教会に首を突っ込むと抜けられなくなるぞ、そろそろ潮時」と考え、その日以来教会に行くことをやめてしまいました。宣教師はずいぶん悲しまれたことと思います。

ところが私にとって最後の礼拝となったメッセ−ジの中で宣教師が「皆さん、私たち一人一人に神様は愛の糸を結びつけてくださっています。神様がその糸を引き寄せてくださるときには、素直に神様にお従いしましょう。」と話されたのです。「凧でもあるまいし、どこにそんな糸が結びつけられているのだろう」かと不思議に思いながら、その言葉がいつまでも心に残っていました。

大学に入学した後は、親から離れた気楽さから、お酒をのみ、タバコをふかし、勉強よりは競馬にアルバイトに精を出していました。クラブ活動にも熱中してましたから「小出を捜すには下宿で寝ているか、体育館で練習しているか、どっちかに行け」と言われたほどです。クリスチャンになってからは「図書館にいる」と言われるようになりましたが・・。大学の体育会系の主将から6名が選ばれ幹部役員となりますが、その一人として、当時は角刈りに黒の学ラン、下駄履き姿でにらみを きかせていました。

運命の日は大学3年生の11月1日午前0時2分。先輩と酒を飲んで下宿に送った帰り道。飲酒運転でふらふらしていたとき、はっと気がつくとフロントガラス一面に5〜6名の人影が映っていました。ハンドルを切りましたが、ドスンと大きな音がして人身事故を起こしてしまいました。はねた相手はダンプの運転手グル−プで背中に入れ墨がある人たちでした。親には迷惑をかけたくないので一人で相手の事務所に出かけ示談交渉を続けました。

毎回、着古した学制服を着て、素足に下駄履きで通い、お金がないと嘘をつき通しました。ところがある時、その相手が「夕食を食べに行こうか」と同情して尋ねてきました。私はもうすでに夕食を学生食堂でお腹一杯食べていましたが、「お金がなくて夕食も食べてない」と嘘をつきました。すると彼は近くのレストランに連れていって上等なハンバ−グをごちそうしてくれました。そのうえ、「風邪をひくといけないから」と心配して自分のジャンパ−までくれたのです。その晩、下宿に帰ってきてから私はお腹も心も苦しくて、涙がこぼれてきました。お金のためと嘘をつき相手をだます醜い心がたまらなく辛かったのです。一体自分は何をしているのだろう・・。頼りにしていた自分の力とはこの程度のものだったのだろうかと自分の生き方に自信がなくなってしまいました。はじめて味わう大きな挫折感でした。

2 神の御子イエス様との出会い

そんなとき、ふと教会に行ってみたいなと自然な思いがわき上がってきました。ちょうどそのころ、クラブの練習をしている体育館の裏側で大学のバイブルクラスのメンバ−が文化祭の讃美練習をしており、賛美がコ−トの中にも流れてきました。誰が讃美歌を歌っているんだろうかと不思議に思って練習後にのぞいてみると、その中の一人が「良かったら教会に来ませんか」と声をかけ、教会の案内を手渡してくれました。次の週から教会に通い始めましたが、相変わらずの下駄履き姿なので、教会の青年会のメンバ−も「あの人はムリよ」とささやいていたそうです。

その年のクリスマスの礼拝後、一人の兄弟が「家畜小屋の飼い葉桶は汚れた臭い場所です。小出さんの心も罪で汚れていませんか。でもそんな醜い心に聖い神の御子が来て、心に住んでくださり、新しくしてくださるのですよ。」と個人的に語りかけてくださいました。私はその夜、いままで何度も経験していたクリスマスの本当の意味を知ることができました。神の御子キリストは罪人の敵ではなく友となってくださり、私の罪を十字架で身代わりに背負って死んでくださったお方であることを知りました。イエスキリストは私の罪からの救い主であることを知ったのです。こうして私はもぐりではなく本物のクリスマスを迎えることができました。21歳の時でした。

翌年の新年聖会に出席したとき、講師がメッセ−ジの最後に決心の招きをしました。私は信じる決心をし前に進みました。ところがその講師は私を座らせ「兄弟、罪を悔い改めましょう」と突然悔い改めを迫りました。頭に手を置かれていますから逃げ出すわけにはいきません。観念してごにゃごにゃと祈ると講師の先生は、「兄弟、今のは真実な悔い改めではありませんね。『もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます』(1ヨハネ1:9)と聖書のことばを語ったくださいました。「神様は真実」とのことばを聞いたとき、私は神様の前ではもう自分を偽るのはやめよう、真実に生きようという思いがあふれてきました。不思議な神様の臨在を覚え、その場で自分の罪を告白し、悔い改めの祈りをささげました。

保険会社から不正なお金を補償費・示談金として受け取っていましたので、大阪の本社まで出かけて返却を申し出ました。すると支社長が、「こんな申し出は初めてです。このお金はあなたの学費として使ってください。神様を信じるその心をいつまでも大切にしてください」と励まされ赦していただくことができました。ビルの外に出ると粉雪が白く舞い散っていました。「たとえあなたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」(イザヤ1:18)とのみことばが心に響き、私は大きな喜びと平安に心が満たされました。キリストに従うならば、キリストは必ず最善をしてくださることを私はこのとき学ばせていただくことができました。

大学四年となり父と同様ホテルマンの道を歩もうか、それとも英語教師の道に進もうかと進路について祈っていましたが、夏のキャンプで「何とかして冬になる前に来てください」(テモテ4章21節)とのみことばを頂き、献身の祈りを満天の星空の下でささげることができました。こうして牧師として私の人生が始まりました。

もし私が飲酒運転事故を起こさなかったならば、はねた相手がごくふつうの人であったなら、体育館の裏側であの日バイブルクラスのメンバ−が讃美練習をしていなかったなら、もし教会のチラシを手渡されなかったら、私の人生はまったく違ったものになっていたことでしょう。救い主イエス様はあの夜、神に背を向け、自分の力だけで人生を生きてゆこうとする私の罪深い生活にストップをかけ、私に結びつけられていた「救いの糸」を時満ちて、ついにたぐり寄せてくださったのです。   「わたしはあわれみの綱、すなわち愛のひもで彼らを導いた」(ホセア11章4節)

神のなされることは美しく、おりにかなった最善の導きをされます。このような神の導きを「摂理」と言います。私たちの人生は運命や宿命あるいは偶然によって支配されているのではありません。愛の神の御心と御計画の中に日々生かされているのです。ですから神様に信頼する者は決して失望させられることはありません。神様は幼い頃より私の人生を変わらぬ愛をもって導いてくださいました。主はなんと真実なお方でしょうか。

2000年11月31日