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 日本への宣教に導かれて

牟圭満宣教師(韓国)


1 イエス様との出会い

私は15歳の時に教会に行き、心に深く感じることが二つありました。一つは、なぜなのかよくわかりませんが、神様に栄光を捧げたいという願いでした。二つ目は、イエス様を伝えたいという思いでした。

私の両親は貧しい農家でした。私は12歳で学校に行けなくなり、工場で働かなければなりませんでした。そんな環境の中にありましたから、牧師になることは無理だろうと思いました。そこで好きな絵を描いて神様の影響を表したいと願うようになりました。そこで、美術大学に入るという目標を自分で立て、工場で働きながら暇を見つけては勉強しました。神様からの知恵をいただき、中学校と高校の卒業資格を取り、美術大学に入学しました。

美大で絵を学びながらも、実は本当にこれが神様の栄光を表す道なのかどうか悩んでいました。4年生の夏休みに私はすでに30歳でしたが、キャンパスクルセ−ドの夏期キャンプに参加しました。その時の経験が私を大きく変えました。伝道実践のプログラムがあり、私はそこでまだ神様を知らない人々に伝道する感動を経験しました。今、思い出しても満ちあふれる喜びは最大のものです。あの喜びをもう一度、経験したいと思うほどです。「神様、私は牧師にはなれませんか」、私の中にそんな願いが始まりました。それから7年後、神学部の大学院に進む道が開かれたのです。

2 日本への宣教師として召されて

1800年代に、イギリス人宣教師ト−マスがピョンヤンに来ましたが、なにもできないまま殺され、殉教しました。彼は暴徒に向かって「これを信じるにならば天国に行ける」と、死の間際に聖書を投げました。そこに居合わせた一人の少年がその聖書を拾い、読み始めました。この少年が成長し、やがて韓国キリスト教会の著名な指導者となったのです。ト−マス宣教師は「一粒の麦として」神様の栄光を表したのです。私はこの話を聞いて感動しました。何もできなくてもいい、私も宣教師となって、一粒の麦となって主に仕えようと思いました。そして私も宣教師への道を踏み出したのです。宇治バプテスト教会の会員で、韓国の協成神学大学に留学し、インマヌエル教会で奉仕している家内と出会ったのは丁度そのころでした。

私は日本人に福音を伝え、宣教するために来ました。「自分の国の伝道を第1にしたらいいのでは?」と言う声をよく聞きます。ある部分は私も同感です。しかし、日本のクリスチャンの人口は総人口のわずか1%にすぎません。私は日本のリバイバルのためにお役に立ちたいのです。

今、大阪の天王寺にある日本語学校に通っています。通学の途上、駅や電車の中で出会い人々のために、救いをいつも祈っています。障害をもっておられる方、駅でギタ−を弾きながら歌っている青年、アパ−トの階下に住んでいる方など、祈りに覚える人々の数がだんだん増えてきています。時が来たらトラクトを手渡してイエス様のことを伝えたいと願っています。

日本に来て3ヶ月間、宣教師として何をしたらよいのかわからなかったのですが、今はだんだんと見えてきました。韓国教会では一人一人が伝道の目標を立てていますか゜、それは教会成長の大きな鍵の一つた゜と言われています。私も日本人の救いのために祈り、仕えてゆきたく思います。主に感謝します。

(牟圭満宣教師は奥様とともに4月に来日し堺市に住み、開拓伝道の準備を進めておられます。
お働きの祝福のためにお祈り下さい。)

2001年7月1日


毎月第3日曜日、午後2時から、牟宣教師夫妻による楽しい韓国語クラスが開かれています。
会場は、宇治バプテスト教会の堀池チャペルです。会費はテキスト・茶菓込みで、毎回1000円です。

お気軽にご参加下さい。一番近い魅力的な楽しい国、韓国へあなたもいつか出かけませんか