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安心して生きること (主婦)

私は小さい頃から自己とは何かということを常に考えてきた内向的な性格で、大学院で日本古代仏教美術史を学んだことで宗教への関心を強く持っていました。高校から同志社でキリスト教には親しみがありましたが、具体的に触れる機会はなく、聖書を読みかけても旧約の生々しい歴史叙述に失望したり、新約の系図から始まる冒頭に、結局キリスト教も家父長制の血縁の論理なのかとすぐに聖書を閉じてしまうことが何度かありました。

ある時大学院の授業で自分はクリスチャンだと発言した人がいたので、連絡先を尋ねてキリスト教に対する不躾な疑問をメールでぶつけてみました。その時彼が極めて丁寧な態度で応えてくれたこと、また「電車で席を譲る事だって立派な愛」だとの一文に、キリスト教は実際に今生きている宗教なのだと衝撃を受け、心に深く響いたのですが、やはり聖書を開くと依然自分とはなじまないと感じ半ば諦めていました。

しばらくして娘を出産し、わからないことだらけの育児に、些細なことでも自分に要求する水準に達しないと、努力が足りないせいだと激しく自分を責めるようになりました。娘のアレルギーのため、母乳をあげていた私も厳しい食材制限をしていたことが契機となってそれが食欲を感じることへの罪悪感につながり、食事を控えることが自分を律することにすり替わってしまいました。空腹に耐えることもだめな自分への罰だと思えば、それが果たされたときほんの少し安らげたのです。いわゆる摂食障害の状態で、以前うつ病で通っていた心療内科で服薬治療を始めました。

元気に育ってくれる娘、愛情深く育児に熱心なパートナー、私の身体を案じてしばしば子守に来てくれる実母、お店をしながら常に私を気遣ってくれる義父母、育児に専念できる環境、メールを送れば心からの思いやりで答えてくれる友人たち・・・私はあまりに恵まれすぎていて、苦しい気持ちになる理由があるはずがないので、どこにもSOSを出せませんでした。昨年の夏には痩せ衰えた身体でベビーカーを押しながら、苦しさのあまり「助けて」と叫びたい衝動にかられ、それでもあまりにもみんなが親切なので、どこに叫んでよいかわからずにいました。

ある日、飢餓状態からのイライラで娘に怒鳴ってしまったとき、虐待してしまうかもしれない、病院の治療では間に合わないと強い危機感に襲われたのです。それからすぐにベビーカーで行けそうな教会をネットで探し、この宇治バプテストキリスト教会を思い切って訪ねました。なぜ教会だったのかというと、自分を根本的に立て直せる場所としての信頼性に賭ける気持ちが私の中に準備されていたのかもしれません。不思議とほかの方法は頭に浮かびませんでした。どこへも向けられなかった「助けて」の叫びを神様が聞き、招いてくださったのだと今は信じています。そこで牧師先生はじめ皆様に暖かく迎えていただき礼拝出席を重ねるうち、また聖書に真剣に取り組むうちに、その奥深さに出会い、聖書なしの生活が想像できなくなってきました。そして自分で勝手に自分を罪に定め、罰を与え、罰を受けたことに安心していた私の的外れな「罪」、自分で自分を罪に定めることの傲慢さ、自分勝手な罰、自己完結的な罪のサイクルに落ち込んでいた自分に気付いたのです。

イエス様はヨハネ811節で罪を犯した女に「私もあなたを罪に定めない」とおっしゃいました。そして151節「私はまことのぶどうの木」5節「あなたがたはその枝である」、何の役にも立たない枯れ枝のまま独りよがりの罪に陥っていた私に、4節「わたしにつながっていなさい」とイエス様は言って下さったのです。自分を超えた大きなものとつながり、その命を安心して生きることへ、自分を一歩出てゆく希望が生まれました。まだまだ信仰とは程遠いところにいる私ですが、イエス様に接木されることを求める気持ちは激しく、それによって枯れ枝の私が生きなおし、いつか実を結んでいくことができると信じています。