【福音宣教】 健康でありますように

「あなたがたましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康でありますように祈ります」(ヨハネ第3の手紙1:2)

ヨハネは第3通目の手紙をガイオに書き送りました。新約聖書の中には3人のガイオという名の人物が登場します。いずれも使徒パウロの同労者(使徒1929204、ロマ1623)でした。同じ人物かわかりませんが、いずれにしろ使徒ヨハネの忠実な弟子であったことは間違いないと思われます。「愛する者よ、私は祈っています」と心をこめて書き送っていることからも伝わってきます。

 1. たましいに幸いあれ 

長老であるヨハネはガイオが、たましいに幸いをすでに得ていることを喜んでいます。たましいの幸いとは、キリストにあって受けた救いの恵みを指しています。

「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」                                                                             1ペテロ18-9

具体的には、ガイオが「真理のうちを歩んでいる」ことをヨハネは非常に喜んでいます。ヨハネにとって、わが子たちと呼ぶほどの愛してやまない弟子たちが、かわることなく「真理に歩んでいること」を聞くことは大きな喜びでした。

真理の中を歩むとは、間違った教えに感化されず、使徒とたちが教えた福音にしっかり根差した信仰生活を歩み続けている姿を指しています。移り変わる時代の中にあっても、生活の変化の中にあっても、住む場所が異なったとしても彼らはキリストとともに日々、歩み続けていました。10年経っても20年経っても40年経っても少しも変わらず信仰の道を歩んでいる姿を見るとき、彼らを信仰に導いた牧者にとってはこの上もない喜びに包まれるものです。36年間、宇治教会の牧師である私も、今、同じ喜びに包まれています。信徒の家庭に誕生した赤ちゃんを腕に抱き、祝福の祈りをささげ、その子が成長して学生時代にバプテスマを受け、今も親子そろって信仰の歩みをしている姿を見るとき、私の中に静かな大きな喜びが満ちることを感じています。

 2. 愛の奉仕に幸いあれ

ガイオは、「聖名のために出ていく人たち」(7)、「同労者となれるのです」(8)ということばから推測できるように、旅をしながら救い主キリストの名を伝え、福音の宣教をしている巡回伝道者や宣教師たちをもてなし、支える働きに喜びをもって仕えていたようです。長老ヨハネはそのような「あなたの愛」(6)を他の集会の仲間たちからも伝え聞いていると喜び、このように伝道者たちをもてなすことは「立派なことです」(6)と賞賛しています。み言葉に仕える人々をもてなし、疲れを癒し、次の働きへと送り出していくことは信徒にとって欠かせない尊い愛の奉仕でした(ロマ1015 )。

たましいの幸いの第一は信仰に生きること、第二は愛の奉仕に生きることです。

 3. 健やかな健康に幸いあれ

長老ヨハネは「すべての点でも幸いを得、また健康でありますように」(2)とガイオのために祝福を祈っています。信仰と愛という内的な祝福だけではなく、健康のための祝福を祈っています。使徒たちの中でもっとも長生きをしたのはヨハネでした。伝説によると100歳で殉教の死を遂げたと言われています。そのヨハネから健康と長寿を祈ってもらえることは幸いなことだったかと思います。

 WHO(世界保健機構)では、健康とは「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」と定義(1947)しています。そこに霊的な健康を含める議論もされましたが採択は見送られました。精神的な健康とは「こころの健康」(メンタルヘルスケア)、社会的な健康とは「良好な対人関係」や「健全な社会的営み、勉学・労働・ボランティア・地域貢献など」、そして霊的な健康とは「人生の終着駅である死の問題に対して健康な受けとめと準備ができていること」を指しています。これらの間に調和を保ち、過度の不安や恐れや緊張から解放されて、人生を喜び楽しむことができている、満たされている状態を健康と定義しているのです。ですから肉体的に重い病気を患っていても、あるいはさまざまな重度のハンディキャップをもっていても、それでも明るく前向きに人生を歩んでいる健康な人々も多くいます。彼らは障碍者やハンディキャップを持っている人と呼ばれることさえ拒み、自らを「チャレンジド」と呼んでいるそうです。

良好な人間関係も信仰から創り出されます。信仰をもちながら人間関係がむちゃくちゃという人を私は知りません。信仰に生きている人々はみな、表現の仕方は異なりますけれど、小さなやさしい愛にひとりひとりが生きています。教会の中でパフォーマンス的な愛を見せびらかし、周囲から認めてもらおう、ほめそやしてもらおうなどという見せかけの愛に生きる人は一人もいません。私が教会の中で見させていただいている愛は、ひとりひとりを大切にしているやさしい愛の数々です。イエス様によって自分が癒された慰められた、傷を包んでもらった、価値ある者と受け入れてもらえた。だから自分も他の人を癒してあげたい、慰めてあげたい、寄り添ってあげたい、包んであげたい、そんな器とされたいとの願いと祈りから自発的にわきあがってくるような優しさという愛です。

 私が感動するのは、ヨハネが、文字通り身体もすこやかで「健康であるように」と祝福していることです。長寿は神からの祝福であると旧約聖書は教えています。

「 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがなっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」(イザヤ46:4) ここには、白髪となるまで私は背負うという神の愛と祝福が語られています。医学や薬学がまだ発展してない古代社会では平均寿命は短かかったことでしょう。長老ヨハネが信徒たちの身体的な健康を願っている気持ちもよくわかります。

私たちもコロナ禍の現在、高齢者が感染し重篤化してしまわないよう祈りましょう。最大の配慮を心がけましょう。ほとんどの病院では今、家族の面会さえ許されない厳しい状況が続いています。家族の顔さえ見ることができない孤独な入院生活を過ごさなくてもいいように、健やかで健康でありますようにと心からお祈りしたいと願います。

先週、75歳以上の高齢者の方々の祝福の時を持ちました。教会員だけでも12名おられ、最年長は92歳です。日本一の長寿は福岡県に住む田中カネさん、117歳。彼女は今、世界一の長寿者です。100歳以上の長寿者は日本では8万人もいるそうですから、やがて人生80年の時代から人生100年の時代に、スーパー長寿社会が世界に先駆け日本では実現するかもしれません。

このカネさんは実は、ご夫婦ともクリスチャンで、畑をささげて教会を建てたことも紹介されていました。世界一の長寿者として昨年ギネスブックに登録された時、お祝いに来た市長に「長生きの秘訣は」と訊かれて「まだまだ死ぬ気がせん」と元気に答えたそうです。大好きなコーラを一日一本飲み、3食たいらげ、チョコレートはかかさず食べて、ますます意気軒高のご様子が映し出されていました。クリスチャンのカネさんには何歳になろうと、キリストが待っておられる天の御国という「ゴール」がはっきり見えていますから、不安はなく霊的な健康も守られ、「まだまだ死ぬ気がせん」と精神的にも社会的にも健やかに生きておられます。その姿を見て、私も元気づけられました。 

私も祈ります。 みなさんが健康でありますようにと。

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