【福音宣教】 キリストにとどまりなさい

みなさん、おかわりありませんか。なにか困ったことあれば、遠慮なくご連絡ください。

先々週、政府からの特別給付金を狙うだまし電話やメールが横行しているので「騙されないように気をつけなさい」とお伝えしました。先日、日本福音同盟から韓国系の「新たな異端カルト団体」がオンラインでの聖書セミナーを活発に行っているので警戒するように」との通知が届きました。「クリスチャンは救われていない、救いを悟らなければならない、そして自分たちのグループに所属すべきだ」と主張しています。安易に結びついてあとから被害が出ないように各教会でも注意をお願いしますとの内容でした。

2000年前のヨハネの時代にも、「イエスはキリストではない」と主張し、教会を惑わす異端に対し、使徒ヨハネは「あなたがたが初めから聞いていた福音」にしっかり立つように、騙されてはいけませんと注意しました。新型コロナ感染拡大の中で人々の生活と心の中に不安と緊張感が高まる中、異端や詐欺商法が活動しやすいので注意をしましょう。

一流の宝石鑑定家は本物と偽物の区別がすぐつくそうです。それはいつも「本物のダイアモンド」だけをしっかり見ているからだそうです。しっかりと使徒たちの教えを学び、救い主キリストをしっかり見続けることこそ、今の時代に強く求められることです。

さて、使徒ヨハネは今日の箇所で、「キリストにとどまりなさい」と2度、呼びかけています。偽りの教えに騙されないため、イエス様を信じるあなた方の中にはすでに約束通り「真理の御霊」(ヨハネ1416-17 1613)が宿っており、真理の御霊があなたがたを教え、導き、守ってくださると使徒ヨハネは教えました。さらにそのために「キリストにとどまりなさい」と改めて呼びかけています。

新型コロナ感染予防のために小池東京都知事は「STAYHOME」「STAYinTOKYO」「SOCIALDISTANCING」の「3S」を守りましょうとアッピールしています。私たちは同時に、「STAYinCHRIST」と声掛けをしたいですね。イエス様にとどまろう、キリストの中に生活しよう、私たちクリスチャンにとって、withJESUSinJESUSintoJESUS、これがすべてであり、もっとも安全で安心できる生活だからです。キリストの平安にまさる保護はどこにも存在しません。

1. ぶどうの幹と枝

イエス様のことばを聞きましょう。ヨハネ15:4-6「私はぶどうの木あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」

ぶどうの樹の幹は大地に根をおろして水分・養分を吸い上げます。幹とつながったぶどうの枝は葉を茂らせ、先端に果実を結びます。重要なのは葉の役割です。葉の一番の役割は「光合成」作用です。太陽の光をエネルギーとして、空気中の二酸化炭素と根から吸った水を材料に、デンプンなどの有機物を作り、酸素を放出し、作り出した糖分を使って、植物の根も茎も葉も、あるいは花や実などが作られるとされています。果実は結果にすぎません。

ですから、枝の重要性は2つあります。第1に「幹につながっていること」と第2に「葉を豊かに茂らせること」です。枝が折れてしまって幹とつながっていなければ万事休す!です。この場合、幹が枝を切り離すことは決してありません。イエス様が信じる者を切り捨てたり切り離したり、見捨てたり、見放すことなどは決してあり得ません。安心しましょう。問題は私たちが「いつもイエス様につながっている」ことを選び続けるかどうかです。置かれた事情境遇が私たちをイエス様から離してしまうのではありません。置かれた事情境遇の中でイエス様から離れることを私たちが「選んで」しまうのです。信仰は恵みを受けることにおいては完全受動態ですが、信仰生活を維持するのは私たちの意志による選択です。ですから環境事情のせいではありません。貧しくても、病床にあっても、重い障害を抱えていても、コロナ感染防止の中で礼拝に共に集うことができない境遇の中でも、WEB礼拝、個人礼拝を通して信仰の火を消すことなく輝かせている兄弟姉妹が多くいるのですから。さあ、イエス様の声をもう一度、聞きましょう。「私につながっていなさい」

第2の枝の役割は葉を茂らせ光合成を促すことです。葉のない丸坊主、あるいは丸裸の枝では残念ながら、果実は期待できません。私たちは果実ばかりに関心が向きがちですが、むしろ大切なのは葉の役割ですね。幹と根と大地は神様の領域ですが、幹にしっかりつながる枝とその枝に葉を茂らせるのは私たちの領域といえるのではないでしょうか。果実はすべてが一つになった信仰の結果だからです。

枝と葉の関係はたとえるならば、私の勝手なイメージにすぎませんが・・、私たちが神に向かって差し伸ばす多くの「祈りの手」「神に仕える奉仕の手」のような関係といえないでしょうか。葉が豊かであれば実も豊かなように、祈りや奉仕が豊かであればあるほど、収穫の実もきっと豊かになることでしょう。

2. 私のことばと愛にとどまりなさい

先ほど「私にとどまりなさい」(567)と言われたイエス様は、「私のことばにとどまりなさい」(7)、「私の愛の中にとどまりなさい」(9)と、御心をさらに深めて解き明かしてくださいました。イエス様とともに生きることは、具体的には7節では「イエス様の語られた言葉」に聞き従いながら生きること、生涯イエス様に聞き、学び続けことを意味します。そしてそこには祈りを通して、その祈りが父に聞かれ、多くの実を結ぶという約束と祝福が伴います。私が卒業した東京の聖契神学校の校門にはギリシャ語と日本語で「我に学べ」(マタイ1129)のことばが刻まれています。イエス様の弟子たちは、イエス様から生涯、学び続ける者たちです。人生のさまざまな重荷を負う時ほど、疲れを覚えるときほど、イエス様からの平安と癒しをいただく時であり同時に、そうでなければ学べなかったよりすばらしい恵みを学ぶ時でもあるのです。ですから生涯が学びの時になるのです。

イエス様のことばに耳を傾けましょう。「わたしのことばにとどまりなさい」

さらに9節では「私の愛の中にとどまりなさい」つまり、キリストの十字架の愛の中に身を置き続けることが語られています。イエスキリストの十字架の愛の豊かさ、その恵みの大きさ、長さ、広がり、高さ、深さはいかばかりでしょうか。感動の連続です。

私たちがイエス様の十字架の愛に感謝すればするほど、その感謝はイエス様への奉仕へと結実化します。十字架の愛こそが私たちの奉仕の最大の動機なのです。私たちが神様のために少しでもお役に立ちたい、神の御国の到来のために、異邦人の数が満ちるまで福音の宣教のためにご奉仕をささげたい、献身したい、その志のすべてはイエス様の十字架の愛に対する感謝と応答から生まれます。奉仕の見返りやご利益を求めたり、奉仕を認めてもらいたい、ほめられたいという人間的動機からではありません。

コロナ感染の中、外出自粛が求められ、「閉塞感、束縛感、疎外感、孤独感」が広がっているとも言われています。「社会的距離」を2M以上取りましょうと言われますが、隣人関係の「こころの距離」の隔たりに通じてしまうことを心配します。愛は冷えやすく、私たちは自己愛に生きやすいという性質を持っているからです。隣人とのこころの距離は本来ゼロセンチなのですから。

こんな時代だからこそ、キリストの愛を身近に感じ、キリストの愛の中にとどまる幸いを知っていただきたいと心から願います。イエス様のことばに耳を傾けましょう。   「私の愛にとどまりなさい」             以上

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