【福音宣教】 誰もだまされてはいけません 第1ヨハネ2:18-29

みなさん、おはようございます。おかわりありませんか。なにか困っておられませんか。気がかりなことがあれば遠慮なくご相談ください。

安倍総理が「緊急事態宣言」をさらに5月末まで延長すると明日発表するとのことです。長丁場の取り組みがやはり必要な事態となってきました。私たちも気持ちと生活スタイルを見直して、こんなときだからこそ、新しい発想、今までなら思いもつかなかった気づき、洞察、生活や行動のチェンジといったセレンデイピィティな信仰と生活を過ごしましょう。冬が長くなれば一層、春が待ち遠しいように、感染が終息し、自由に外出し、楽しく食事をし、共に集って賛美と礼拝をささげる日曜日の朝が来ることを待ち望みましょう。当たり前にできていたことができない不自由さの中で、しみじみと当り前のできごとの尊さを感じています。皆さんと直接、お会いできないこと、さびしいですね。

1.    だまされてはいけません

自粛要請のための経済的補償として、全国民に政府から一人10万円の特別定額給付金が支給されるそうですが、さっそく「だましの電話」がかかってきたり、メールが配信されていると聞きます。日本ではオレオレ詐欺からはじまった「騙し商法」が未だにあとを絶ちません。被害総額は高齢者を中心に8年連続300憶円を超えているそうです。「騙されてはいけませんよ」と高齢者の方々にやさしく声かけをしましょう。

さて、今日の箇所で使徒ヨハネは教会のメンバーに向かって「小さな者たちよ、多くの反キリストが現れています」(18)から、騙されてはいけません、注意しなさいと警告しています。2000年前のヨハネの時代の諸教会は「イエスはキリストではない」「イエスは神ではない」というギリシャ思想とキリスト教が混同した異端の教え(グノーシス主義)がはびこり、使徒たちが伝えた正しい教えである「福音」が歪められてしまうという状況に直面していました。ヨハネはこうした異端の教えの広がりを懸念して、「彼らは私たちの仲間ではありません」(19)「イエスがキリストであることを否定する者、御父と御子を否認する者、それが反キリストです」(22)と警告しました。そこには「哲学的な知的な満足」はあるかもしれませんが、福音が与える「いのちの力」は存在していないからです。

イエス様自身がすでに、終わりの時代には「偽預言者」(マタイ2411)、「偽キリスト」(245)が現れ、人々を惑わすであろうと語っておられます。反キリストも偽キリストも、言葉は違いますが、神に敵対し、正統的な信仰告白から人々を引き離してしまうことにおいては同じといえます。彼らの教えはいのちを与える福音ではなく、惑わす「異端」なのです。

いつの時代であっても「伝統的正統的な信仰告白」に対する「異端」は登場してきました。高品質高価格のブランド品が存在すれば、外観だけまねした粗悪なコピー商品が必ず登場してくるようなものです。偽物を買わされたと知ったらショックですよね。日本には「本家」と「元祖」という言葉があります。華道や茶道のように血筋でつながり代々受け継がれている場合の大本を「本家」「家元」と言います。一方、たとえば「博多豚骨ラーメン」を生み出したお店は「元祖」を名乗ります。元祖が存在すれば「模倣店」があり売られている物も「偽物」「まがいもの」「コピー商品」にすぎません。本流に対して「支流」がありさらに「亜流」があります。そこからさらに勝手な「自我流」が始まり最後は「似て非なる異端」へと進むことも多々あります。結局、異端の教えは「惑わし」(26)であり、真理の道いのちの道から人々を「迷わし」、破滅へと追いやる反キリストなのです。

2.    そこで使徒ヨハネは騙されないための方法を2つ記しています。

第1は「初めから聞いたことにとどまりなさい」(24)という命令です。そこには「約束された永遠のいのちがある」(25)からです。第2は「注ぎの油がすべてのことを教える」(27)ので信頼することです。

初めから聞いたこととは、「神の御子キリストのことばとキリストが成就してくださった救いの御業」「目撃者である使徒たちの教え」を総合的に指しています。これを「福音」といいます。私たちが信じている「福音」は過去2000年間、何一つ変わりませんでした。これからも変わることはありません。神の御子の降誕、十字架の身代わりの死、墓と死を無力にした復活、教会が未来において待ち望むキリストの再臨、そして神の国の完成。これらの救いの真理は、この世の思想や教えのように、時代に応じて変化したり、修正されたり、訂正されたり、ときには間違っていたと撤回されるようなことは決してありません。それは「古くて常に新しい教え」であり、全人類を救う永遠の真理だからです。正統的なキリスト教はこれを「使徒信条」という形で保持してきました。この告白にしっかり立ち続ける限り、救いへと導かれる(使152)と、使徒パウロは宣言しています。初代牧師の田先生は若き日、神学校の入学試験に際して答えがわからず、思い切って解答用紙に「使徒信条」をそのまま書いたそうです。合格できたそうです。キリスト教信仰はそれで十分なのです。目新しいこと追い求め、情報の波に溺れそうな私たちですが、真理は聖書の中に、「古くてあたらしい教え」の中に存在しています。

さらにキリストが与えてくださる油とは、キリストの御霊、「真理の御霊」を指しています。                                                                                                                  
「聖霊はあなたがたにすべてのことを教え・・思い起こさせる」(ヨハネ14261613と、イエス様は約束してくださいました。

福音は決してかわりません。しかし時代は常に変化します。ですからそこに正しい適用がいつも必要となります。仕組みや制度があっても運用されなければ意味がありません。真理の御霊は、福音に生きる具体的な在り方を日々、教えてくださり、導いてくださる生きた神の霊です。真理に生きること、愛に生きること、福音に生きることは、教科書のように「何ページの何行目に答えが書いてある」というわけではありません。祈りの中で教えられ、学び続けていく体験学習の積み重ねといってもよいでしょう。ですから、他人と比較したり、誰かに教えてもらうものでもありません。すべての神の子供たちは、キリストの御霊を心にもっています(ロマ89)から、キリストに聞いて学び、従えば良いのです。そのためには、キリストのことばを豊かに宿すことと祈りの時を豊かに持つことが必要となります。聖霊はみことばと祈りとともに豊かに働かれるからです。

皆さんは今日、午後3時にはこの説教原稿を印刷し手に取り、音声説教を聞きながら、家庭で個人礼拝の時をもたれることでしょう。うっかりするとそのような時間を持つことを忘れ、今日が主の日であることも忘れ、家庭の中では日常の家事に追われてしまうかもわかりません。神の時(カイロス)に生きることを見失い、この世の時間(クロノス)に追われ、飲み込まれてしまうような一日を過ごしてしまうことはむなしいことです。私たちは今こそ、自分の信仰の在り方、礼拝のありかたを静かに見つめなおす時ではないでしょうか。たった一人だけの静かな礼拝の中に神との出会いを経験する時です。みことばに静かに向き合う恵みの時です。今まで、牧師の説教をまるで講演会のように聞いていたとしたなら悔い改め、キリストの真理のことばに真摯に耳を傾ける時ではないでしょうか。そうです、私たちの信仰の真価が今、問われています。

一冊の聖書だけを持つことが赦され、これから1ヵ月、あなたが一人で無人島で生活することをイメージしてみましょう。あなたはどんな日々を過ごされますか。1か月後のあなたはどうなっているか想像してみましょう。一度も聖書が開かれることなくほこりをかぶっていた・・・ということがないようにと牧師としては期待しています。「ボーとしてるんじゃねえよ」と誰かさんの声が聞こえそうですね。

家庭で「5つのSの礼拝」をささげる中で、大きな発見、喜び、感動を見出すセレンディピィティな瞬間を豊に経験されることと私は信じています。私はみなさんが個人礼拝の中でも、いつものように神様への感謝と献身の心をこめて献金の時を持ち、あるいは平日に礼拝堂に一人で来て、短い祈りの時をもったあと献金箱に捧げておられる姿を見て感動し、神様に感謝しています。すばらしい神の民、教会を愛する民であると心から尊敬し、誇らしく思っています。そんな信徒のみなさんと仲間としてともに歩めることを喜びとしています。

さあ、こんな時だからこそ、キリストとキリストのことばにとどまりましょう。

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