7 使徒信条  題 「マリアより生まれた神の御子」  2004/7/25
まことの人となられたキリスト
聖書箇所 ピリピ2:3−11

キリストは人としての性質をて現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に
十字架の死にまでも従われたのです。
(ピリピ2:5)


使徒信条はイエス様に対して「神の御子」「われらの主キリスト」と、イエス様がまことの神であられることを告白した後、その神の子イエス様がマリアを母として聖霊によって受胎し誕生されたことを告白します。この奇跡は「キリストの処女降誕」あるいは「受肉」と呼ばれています。

マタイの福音書を読むと、長々とした系図のあとにいきなり登場する出来事が処女降誕という奇跡です。かつて三浦綾子さんが、一人の作家の視点から見るとる新約聖書ほど書き出しのまずい書物はない。売ろうという意図が見えないと言ったそうです。というのは小説は書き出しがいのちであり、最初の数行でいかに読者の心を捉えるかにかかっている。それなのにいきなり系図に奇跡では、始めて聖書を読む者に大きな躓きとなってしまうと説明していました。私もその通りだと思います。ところがつまずきがおかれながら、聖書は隠れた世界のベストセラーであり続けているのですから不思議な書物といえます。しかもクリスチャンはみな、カトリックであれギリシャ正教であれプロテスタントであれ、神の御子が乙女マリアからお生まれになったことを疑いなく信じ、しかも非常に重要な真理として受け入れています。処女降誕という奇跡に隠されている大きな意義を今朝は学んで参ります。

1 罪のないまことの人となられて 

イエス様が、マリアを母として生れたことは、イエス様がマリアと同じく一人の人間であったことを意味します。イエス様はマリアと同じ肉の性質を持ち、喜怒哀楽の感情を持ち、空腹になれば食事をし、疲れれば眠り、怪我をすれば血が流れ、痛みを感じました。私たちとまったく同じ弱さや限界をその身にまとわれました。ただ一つ私たちと違う点は何一つ罪を犯されなかったことでした。正宗白鳥は「人間には誰でも、もしばれたら死んでしまったほうがましだと思う秘密や罪がある」と語っていますが、正しい観察だと思います。しかし、イエス様の中に罪を見いだすことは誰にもできませんでした。イエス様は何一つ罪をおかされませんでした。誘惑に負けることもありませんでした。清さと正しさをまっとうされました。聖書は、このように証言しています。

「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。」
(1ペテ2:22)

使徒信条の後のカルケドン信条[]では、イエス様が罪に支配されないお方であったことを「まことの人」であるゆえと次のように告白しています。

「神性において同じように完全で、人性においてもまた完全である。まことの神にしてまことの人なる魂と肉体を持ち、神性によれば父と同質で、人性によればばわれらと同質である。罪のほかはすべての点において我らのような、神性によればすべての世の先に生まれたまい、人性によりすればこの世において我らのために、われらの救いのために神の母である処女マリアより生まれたもうた。」

まことの人という言葉を、人間となられたという意味ではなく、罪を知らず罪を犯さず罪にうち勝たれた正しい人という積極的な意味で用いています。イエス様が罪を犯されなかったのは、神の子であったからではなく、聖霊に満たされた真の人であったからです。父なる神様が願われた本来のまことの人であられたからです。

イエス様がこのようにまことの人として罪のない33年半の清いご生涯を歩まれた目的は、全人類の身代わりとなって罪の刑罰を受け、自らの死をもって償い、完全な赦しをもたらすためでした。罪のない完全な神の子羊としてご自身を十字架の祭壇に捧げるためでした。こうして十字架の贖いの準備が神の御心のうちに、御子の誕生の時をもって着実に進められたのです。

人間の罪は人間が償わなければなりません。動物の犠牲の死やお金で償うことは確かに代償ではあるけれど、本来の贖罪のありかたではありません。そのうえ、罪ある人間が、他の人を裁く資格がないのと同様、罪ある一人の人間には、全人類の罪の赦しをまっとうする資格などありません。牧師の私がみなさんの身代わりに十字架ではりつけになったとしても、教会員のみなさんには感謝されるかもしれませんが、みなさんの罪の償いにはなりません。なぜならば、私自身が自らの罪の赦しを必要とする罪人だからです。

罪のない完全なまことの人だけが全人類の罪を償い、罪の赦しをもたらす資格と権利を持つことができるのです。天においては神の御子であり、地においては聖霊によってマリアより生れ、罪のない完全な生涯を送られたまことの人イエスキリストお一人しか、全人類の罪を償い、神の怒りを宥める資格を有するおかたはおられません。

この方こそ、私たちの罪のための、・・私たちの罪だけでなく全世界のための、
・・なだめの供え物なのです」(1ヨハネ2:2)

以前このような歴史物語りを読んだことがあります。
豊臣秀吉が小田信長の命令を受け、毛利軍の出城となっていた備中高松城を攻略しました。高松城主・清水宗治は信望の厚いすぐれた勇敢な武将でした。攻めあぐねた秀吉は、川の流れを変え水攻めにしました。城主清水宗治のもとには家臣ばかりでなく彼を慕う農民合わせておよそ5000人が徹底交戦の覚悟で城に立てこもりました。その時、本能寺にて信長自刃の知らせが届くやいなや、秀吉はすぐさま和睦を成立させ、京都へと軍勢を引き帰らせました。大返しと呼ばれた迅速な進撃行動で明智光秀軍を撃破し、他の武将の先を制し武功を立てた秀吉は、第一人者として天下人への道を駆け上りました。このとき、秀吉は篭城する高松城主宗治に使いを送り、無駄な殺生は避けること、もし城主が切腹するならば5000人すべての家臣とその家族の命を救うと和睦条件を出したそうです。城主宗治一人の命にはそれだけの絶大な価値があったからです。

宗治は和睦案を受け入れ堀に浮かべた船の上で舞を踊り、見事に切腹し46歳の生涯を閉じました。秀吉も敵将のあっぱれな最後を偲び、首級を丁重に菩提寺に埋葬し冥福を祈ったそうです。自らの死をもって5000人のいのちを救った名武将として清水宗治の名前は後世に語り伝えられています。

聖書はイエスキリストの十字架の死の意味について次のように教えています。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、
この方にあって、神の義となるためです」(2コリント5:21)

罪を知らないまことの人であるイエスキリストの身代わりの死は、神の怒りをなだめ、全人類を永遠の滅びから救う、唯一の特別な価値を有していたのです。このお方によって、このお方によってのみ、私たちは罪の赦し、すなわち恵みを受けたのです。

主イエスがマリアを母としてお生まれになられた最も深い意味がここにあります。

2 キリストの謙遜と従順

さて、イエス様の誕生は美しいクリスマス物語として語られています。神の御子はマリアを母としてべツレヘムの飼い葉おけのなかに生れました。神の御子が人となって生まれてくださった奇跡は、神の栄光を捨てて人となって来てくださったことにおいて、イエス様の「謙遜」の最初の現れでした。イエス様は仕えられる人としてではなく、仕える人としてご生涯を歩まれました。イエス様の十字架の死は謙遜の極みであり完成でした。パウロは十字架の出来事の中に、神の御子の謙遜さを深く学び、すべてのクリスチャンがイエス様にならい、信仰の模範とすることを強調しました。

:「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです」(ピリピ2:3−5)

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」
(ピリピ2:6−8)

パウロは謙遜さを「死に至るまで、十字架の死に至るまでの従順さ」と置き換えています。死に至るまでとはクリスチャン生活の最後まで、地上の生活を終え天に召されるその時までという意味です。十字架の死は、神の御心の中におかれた永遠の救いのご計画の中心的出来事でした。ですから、十字架の死に至るまでの従順さとは、父なる神様への従順さであり、神様の御心への従順さでした。道徳的な従順さや人の前で見せる従順さではありません。むしろ隠れたところでいつも静かに問いかけてこられる神様の御心に対する従順さでした。

道徳的な素直さや対人的な従順さとは異なり、信仰による従順というものは、いつでも隠れた部屋での神様との語りあい、祈りの中で深められます。今日の私のメッセ−ジのポイントはここにあります。イエス様が教えてくださった信仰の従順は、隠れたところ、密室の祈りの中で静かに語りかけてこられる父なる神様の御心にいかに素直にお従いするかにかかっています。神様の前での真の謙譲は、この一点に尽きるのではないでしょうか。この原則は今も昔もそしてこれからも変ることはないと私は思います。

父なる神様とその御心への従順さを、組織としての教会や人間としての牧師への従順といった人間レベルにすりかえてはならないと思います。私はみなさんにそうあってほしくありません。牧師の私がいつも自戒しなければならないと思っています。牧師に従順であることを求めない、期待しない、そういう雰囲気をつくらないことを自戒したいと思います。本当の意味で父なる神様と御子イエス様に対してのみ従順に歩んでいただきたいと願っています。神様への従順=牧師への従順と誤解してしまうことは信徒にとっても教会にとって不幸なことではないでしょうか。牧師を通して働かれる父なる神様と主イエスキリストへの従順こそがすべてなのです。そして、一人一人が主の前にそのような姿勢をもって従順にお仕えするならば、教会が直面する課題や困難は多くがきっと解決することでしょう。解決できるばかりでなく、さらに大きなみわざを神様から託していただけることでしょう。

人を意識するのでなく、神様に心を合わせ、隠れたところで父なる神様の御心を聞き、従順に歩むならば、教会はイエス様のからだとして、ますます栄光をあらわし、人知をこえた豊かな恵みにあずかることができるのではないでしょうか。御心に従って歩むものがどうして祝福を受けないことがありえるでしょうか。御心に従ってお仕えしようと願う者がどうして神様の恵みをいただいて歩めないことがあるでしょうか。そうです、私たちの主はへりくだって従う者を豊かに恵んでくださるお方なのです。

「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。
神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです」(1ペテロ5:5)

人となられた御子イエスは、父の御心に従順であり十字架の死に至るまで歩まれました。 神様への従順、それは罪を赦され神の子とされた私達が最初に学ぶレッスンではないでしょうか。その学びは隠れた部屋で、密室の祈りの中で、個人的に父と御子と御霊なる神様から学ぶ天国のレッスンであると思います。

「信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、
あなたがたを堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、
御栄えがとこしえまでありますように。アーメン」(ロマ16:25−16)

                       祈り

私たちを信仰の従順に導いてくださったことを感謝します。信仰の従順は、隠れた部屋で、父の御心を静かに聞くことから始まることを私たちは学びました。祈ることを知らない私たちではありませんが、聞いたことに素直に従う、新たな祈りへと私たちを導き続けてください。


[]カルケドン信条

325年に開かれたニカイア教会会議において神学的背景からニカイア・コンスタンチノポリス信条が作成されました。さらに451年のカルケドン会議の決議(カルケドン信条)と5−6世紀の作と思われるアタナシオス信条は「公教会的信条」と名づけられてきました。従って使徒信条、ニカイア信条、アタナシオス信条をもって「基本信条」と呼ばれ、礼典にも用いられてきました


    
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