【福音宣教】 連合主題聖句 圧倒的な愛にとらえられて


2024年の新しい日々が始まりました。 あけましておめでとうございます。 お隣同士、 新年の挨拶を交わしましょう。 毎年新年礼拝では、連合の年間主題聖句から学びます。今年はロマ828ですが、38節まで全体的な文脈を概観します。

1. 神を愛する人々とは(28)、

1)神に召された人々

2)神のご計画に従い、すべてを益(GOOD)とされる人々

2. 神のご計画とは(29-30)」

御子のすがたにまで成長させ、栄光にまで導く(目的)

選び、召し、義認、聖化、栄光に続くいのちの道(プロセス)

3. 神が味方となられるので、だれも敵になりえない (霊的領域において) (31-34

1)神が義と宣言された者をもはや誰も訴えることはできない

2)誰も罪に定められない 十字架と復活の主がとりなしてくださるから

4 イエスキリストにある神の愛から引き離すことはできない (地上の現実世界において 35-39

1)圧倒的な勝利者となる 

2)神の愛から引き離すことは決してできない 愛はあらゆる困難を支える唯一の力

1. 神を愛する人々

神を愛する人々に対する、天上と地上の両面における大きな祝福がここには記されています。

神を愛する人々とあえて人間が主役として記されています。実際は、神が私たちを愛してくださっている事実が根本であることを決して忘れてはなりません。ですから、すぐさま「神に召された人々」と置き換えています。神が選び、神が招いてくださった「神の主権」と「恵み」が先行しています。それがキリスト者なのです。それでも使徒パウロはあえてここで「神を愛する人々」と表現しているのは、受ける恵みの大きさをよく知ってほしいからだと思います。

次に神は、私たちを無目的・無計画に召されたわけではありません。神のご計画に従って召されました。はっきりとした目的と実現するための計画をもって召してくださいました。どのようなご計画かといいますと、召した人々を「御子イエスの似姿にまで成長させ、神の御国が完成するときには、栄光で満たすため」(29)だというのです。

そのためのステップが定められています。まず罪深い私たちを、永遠の昔からすでに選んでくださっていること(エペソ14)。選んだ者を時が満ちたときに、キリストのもとへ召してくださったこと。キリストによって「義と宣言」してくださるためでした。神学的には「義認」といいます。「あなたの罪はキリストの十字架の身代わりの死によって完全にゆるされましたと、「無罪宣言」を受けることを意味します。法廷用語ですから揺らぐことはありません。

次に、御子キリストに似るように、キリストの御霊を心に宿らせ、日々成長成熟させてくださいます。これを神学的には「聖化」といいます。最終的に、やがてキリストの御国が到来するキリストの再臨の日、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられ、すべてが完成するときを迎えます。これを「栄化」といいます。神様はご自分の民をこのように、完成させる壮大なご計画をもって、私たちを召してくださったのです。

2. ではその結果なにがはっきりするのでしょうか。

二つの領域でキリスト者は勝利するのです。天上の世界あるいは目に見えない霊的世界(神や天使やサタンや悪霊が存在する世界のことです)と、現実的なこの地上での世界おいて、完全な勝利が約束されています。それは、「圧倒的な勝利」と言われているほど確信に満ちた勝利です。

1)霊的世界においては、神が私たちの味方ならだれが、私たちに敵対することができるでしょうかとの勝利宣言がすでになされています。誰もキリストにある私たちを罪と死とのろいに定めることはできません。神が「無罪」と天上の法廷で宣言して下さったにもかかわらず、「いいえ彼、彼女は有罪です。死に値します」と、誰も異議を唱えることはもはや不可能というのです。

例話を話します。「誰がこんな負債を返済してくれるのか?」と、多額の借金を抱えて自殺しようとして眠りこけてしまった若い兵士の遺書に、兵舎を巡回していた皇帝アレキサンドルは、「皇帝アレキサンドル」と赤インクで署名をし、その場をそっと去りました。目覚めた兵士のもとに負債完全返済の通知が届きました。 キリストの十字架の血はすべての罪から清め、負債を完全に返済しきるのです(1ヨハネ17)。

私たちを罪に定める最大の敵はどこにいると思いますか。私たちの心のうちにいます。自責の奴隷となって、いつも自分で自分を激しく責め続けてしまう自分が自分の最大の敵となって身を滅ぼしてしまうのです。神が完全なゆるしを与えてくだっさっているにも関わらず、自分はダメだ、自分は神に愛されるに値しない、自分は裁かれて当然の悪人だと、神の恵みを食い尽くしてしまっている「心中の虫」がいるのです。「あなたがそこまで言うならきっとそうですね。じゃあ裁かれてこの際、潔く地獄へ行きましょう」と言うと、「いえ、そこまでではありません」と、反論されることでしょう。救われて天国へ行くことも、裁かれて永遠の滅びに行くことも、どちらも信じられないのです! こういう不信仰こそが最大の罪といえます。神の恵みは神の恵みとして、ありのまま、そのまま感謝して受けとらせていただく、そういうシンプルな信仰を神は何よりも大きな喜びとされるのです。

2. この現実の地上における完全な勝利については 、35-39節で明確に語られています。

「艱難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣ですか」と、私たちが地上の生活で遭遇するさまざまな試練のリストが挙げられています。すべてパウロ自身が身をもって経験したできごとです。彼のからだ中にはその生々しい傷跡が深く残っています。しかしパウロは困難の数を数え上げることをしません。過去を振りかえりません。困難がもたらした良き結果を明らかにし、将来を見据えて宣言しています。「私たちを愛してくださった方によって、これらのことのただ中にあっても、圧倒的な勝利者となる」(37)。「私たちの主キリストイエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない」(39)。

なんと力強い確信でしょう。単なる希望ではなく、確信に変わっているのです。

私たちを召してくださった神のご計画の中には選び・召し・義認・聖化・栄化というご計画と目的だけではなく、もう一つの大きな実際的な目的があります。それは「艱難が忍耐を生み出し、忍耐が品性を生み出し、品性が希望を生み出し、この希望は決して失望に終わらない」(ロマ53-5)という、栄光に満ちた目的です。たとえ艱難に直面しても、神はすべてのことを相働かせて最善をなしてくださり、失望と敗北に至らない希望と栄光へと、「あなたの道のり」を導かれるからです。

あらゆる困難を支えぬく唯一の力は「愛」です。愛は勝つのです。キリストの愛から引き離すものは何一つ存在しません。私たちは神の愛に守られ支えられ生かされているのです。

ルカの福音書のあとはヤコブの手紙学びます。主イエスの弟ヤコブはイエスを兄としてではなく、救い主キリストと信じ従いました。彼の生涯も苦難と試練に満ちた生涯でしたが、「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された「いのちの冠」を受けるからです」(ヤコブ112)という素晴らしい約束の言葉を残しています。

この新しい1年も、神を愛する仲間とともに歩んでまいりましょう。主の救いのご計画の中を!


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