【福音宣教】 ローマ総督ピラトの審問 あなたは王なのか


大祭司アンナスとカヤパの尋問の後、イエス様はユダヤ教最高議会で尋問を受けました。そこでは「あなたはキリストか」(
2267)、「あなたは神の子か」(70)という問いかけが行われ、イエス様は「私がそれである」(70)と宣言されました。ユダヤ教指導者にとって、ガリラヤの田舎出身、ナザレの村の大工ヨセフのせがれ、母マリアから生まれた6人以上の兄弟姉妹の長男イエス、ガリラヤ湖の漁師たち12人を弟子として宣教活動をするイエスが、約束されていたメシアであり、神聖なる神の子であるなどとは到底信じられませんでした。それどころか、神を冒涜する不届きな犯罪人であり、これ以上裁判を続ける必要もないと、打ち切って「死罪」判決をくだしました。ユダヤの国はローマ帝国の属州でしたから死刑を執行するにはローマ総督による判決を得なければなりませんでした。ここには3人の王たちが登場します。

1. ローマ総督ピラト

ローマ総督ポンテオ・ピラトはイエス様に「あなたはユダヤ人の王か」(233)と尋問しました。総督にとって最も関心があったのは、「キリストか、神の子か」という宗教問題ではなく、「ユダヤ人の王かいなか」という極めて政治的な問題でした。ローマの支配下にある属州では、それぞれの国王や領主はローマ皇帝によって任命されましたから、勝手に王を名乗れば、それはローマ皇帝に対する反逆罪となります。そのことを熟知していたユダヤ教指導者たちは、この男(toutonこいつはという非人格的な名誉を傷つける呼称)は「国民を惑わし、皇帝に税金を納めることを禁じ、自分は王だと名乗っている」(25)とんでもない犯罪者であると、虚偽の訴えをしました。

・ローマ総督ピラトは古代文献によれば、皇帝ティベリウスによって26-36年の10年間、ユダヤ州の総督に任命された歴史上の人物です。この記述によって、キリストの十字架の死と3日後に復活された出来事が、まぎれもない歴史的事実であることが証明され、強調されています。

・ピラトはローマ法に照らし合わせて取り調べをしましたが、訴えられているような証拠や証言を得られませんでした。イエス様も「私の国はこの世のものではありません。・・私が王であることはあなたが言うと通りです。」(ヨハネ1836-37)と証言しました。したがって、ピラトは「ローマ政府に反逆するような罪は見いだせない」(4)とイエス様の無罪を断定しました。

ローマ人であり政治家であるピラトにとって絶対的基準は聖書ではなくローマ法でした。ローマ人にとって神聖な存在は、天地の造り主なる神ではなく、ローマ皇帝でした。政治家として生き延びる術は、ローマ皇帝の顔色を伺い、皇帝の意向に逆らわないよう気配りをする「忖度」でした。失策が続いたピラトは、イエスに死罪判決を下さないなら暴動を引き起こすと脅され、ユダヤ指導者たちの圧力に屈して、ついにはイエス様を十字架の死へと追いやったのでした。総督としてわずか10年務めただけで皇帝に呼び戻され、罷免されてしまいました。自分の信念や生き方を大切にできず、人の顔色をうかがうだけの人生、周囲に振り回されるだけの人生のむなしさを考えさせられます。教会史家エウスビウスによれば、彼はカリグラ皇帝により自殺に追いやられたと言われています。

2. ヘロデ・アンティパス王

もう一人、ヘロデ王が登場します。ヘロデ・アンティパスは当時、ガリラヤとペレヤ地方を治めるべくローマ皇帝から任命された領主でした。ヘロデ王が、過ぎ越しの祭りのためエルサレムに上り滞在中であったため、これ幸いとばかり、ピラトはイエス様をヘロデ王のもとに送りました。王同士で決着をつければいいと考えたのでしょう。今の言葉で言えば責任逃れの「たらいまわし」です。

ヘロデ王は興味津々でイエス様と会いました。目的は「何かの奇跡」(8)を見たかったからです。ヘロデ王もユダヤ人ではなくエドム・イドマニア人でしたから、イエス様が救い主か、神の子か、ユダヤ人の王か、何の関心もありませんでした。彼はかつて、バプテスマのヨハネの首を切り落とさせた張本人です。奇跡も見せてくれない、何も答えようとしないイエス様に対して、兵士たちと一緒になって見下し、侮辱し、あざ笑り、悪態の限りをついたうえで、ピラトのもとへ送り返しました。

父親ヘロデ大王もかつて東方ペルシャから3人の博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」(マタイ22)と訪ねて来た時、非常に恐れおののき、ベツレヘム近辺に住む2歳以下の男子を皆殺しにしてしまう残忍な命令をくだした人物です。親子そろって神を恐れ、神を敬う心など、みじんも持っていませんでした。世俗的な富と権力と贅沢な生活が彼の最大の関心でした。

イエス様はヘロデ王の前では、ひとことも話さず、完全に沈黙しました(9)。低俗で気まぐれで遊興にふける地上の王を、黙殺しました。永遠の王であり審判者であるお方に「黙殺される」。これほど恐ろしい審判はないと思います。イエス様を裁く者が、イエス様に裁かれているのです。

私たちも完全な人間ではありません。罪深い存在です。しかし死後、神の前に進み出るとき、私たちの傍らに立って私たちを擁護してくださる弁護者パラクレートスなるキリストがいらっしゃることはなんと幸いなことでしょう。

3. ここには3人の王が登場しました

ローマ総督ピラト、ヘロデ王、そしてまことの王イエスです。それぞれが王として歴史の中に登場します。王とは国と民を支配する権威と力をもつ人物です。
ところで、あなたの人生を支配する王は誰でしょうか。「自分が王だ、誰にも指図はされない、黙って自分のいうことを聞け」というような暴君がいれば、もっとも傲慢で罪深い存在です。そのような暴君を持った人生は悲劇ですね。

かつてヨーロッパ大陸の半分以上を支配したナポレオンが失墜し、セントへレナ島に流された時、「私は力で世界を征服した。しかしキリストは愛と平和で世界を治め、彼の国はいまも続いている」と語ったそうです。

あなたの人生に大きな影響を与えるさまざまな人物が現れ、あなたから自由を奪い、支配するかもしれません。十字架の死を前にして、この世の王たちの前に、囚人さながらのあわれで無力な姿で佇むイエスキリストをまことの王、永遠の王などと誰も信じませんでした。ヘロデ王が求めた奇跡も群衆が求めるご利益もまったく期待できません。しかし蔑まれ、打ちたたかれ、ののしられ、いばらの冠りをかぶせら、れカルバリの十字架にかけられたこのお方こそが、王の王なるお方なのです。来るべく御国の王なのです。

あなたがキリストのもとに行くならば、そして心を開いてキリストを受け入れるならば、キリストはあなたのまことの王となって、あなたの人生を平安と恵みで導いてくださることでしょう。

また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上のたちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放つ」(黙1:5)

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