【福音理解】 終末の日々は神殿の破壊から

2023年7月16日 ルカ21:5-19

先日ある方が、最近、よくあたるという占い師がマスコミで活躍しているという話を聞きました。テレビの朝番組ではどの局も必ず「今日の運勢」「今日のラッキーナンバー、ラッキーカラー」などを放送しています。ところが言っていることが局によって違っていることもしばしばあります。天気予報でも1週間の予報、気になる土曜日曜といった週末の天気予報の解説には特に力を入れているようです。ところが、聖書は私たち全人類の歴史のゴール、終末について預言しています。聖書の預言は100%成就してきました。特に新約聖書において記されたイエスの言葉は、神の御子キリストの真理のことばですから、かならず成就します。今日から、イエス様が民衆と弟子たちに世の終わりの前兆について語られた箇所を三回に分けて学びましょう。1回目は5-19節までで、ここには4つの前兆が語られていますが、大前提としてエルサエム神殿の崩壊が告げられました。

Ⅰ エルサレムの神殿の崩壊

ヘロデ王が建てた荘厳な白大理石の大神殿はこの時点で、まだ未完成(完成はAÐ62-64)でしたが、人々はその荘厳さときらびやかさに感嘆し、神が臨在される神殿は永遠不滅だと語り合うほどでした。ところがイエス様は「神殿の完全な崩壊」を告げました(6)。永遠なる神を礼拝する神聖な神殿が破壊されるなど、ユダヤ人にとっては全くあり得ない話でしたから、誰一人信じるものなどいませんでした。

しかしながら、終末に関する最大の出来事は「エルサレム神殿の崩壊」であり、そこが起点となって終末に向けてすべてが徐々に進んでいくというのです。現代人にとって、ユダヤ国のエルサレム神殿の崩壊など、世の終わりと何の関係があるのか、むしろチェルノブイリの原子炉爆発事故の方がもっと深刻な終末的事件ではないかと考えます。しかし、イエス様はここから世界の歴史が変わると語っておられるのです。
「ではどんな前兆があるでしょうか」との質問にイエス様は、4つの前兆を示されました。

第一に、偽キリストが多くあらわれ、「終わりの時が近づいた」と、惑わすが決して信じてはいけない、したがってはいけないと強く警告されました。

第二に、戦争や暴動の噂を耳にするが、これらは初めに必ず勃発するが、まだ始まりに過ぎない。慌ててはならないと警告されました。

第三に、地球環境の大きな変動(大きなしるしは複数形)の言及です。地震の頻発、気候変動による干ばつとその結果としての飢饉、劣悪な環境下での疫病の発生や蔓延がみられるであろう。しかしこまだ「産みの苦しみの始まり」(マルコ138)に過ぎず、終わりの時ではないと警告されています。

第四に、これらのことが起こる前に、キリストを信じる者たち(教会)へのユダヤ教からの迫害(12)とさらに異邦人からの迫害(12)が起こるとの予告があります。キリストを信じるゆえに、家族や親族、友人たちからも裏切られ(16)、みなから憎まれる(17)であろう。しかしその苦難はむしろ「イエスは主であると告白し、証しを立て、福音を伝える良い機会になる」(13)から、恐れるな、御霊に頼れ、「忍耐によって自分のいのちを勝ち取る」(19)ことになると、弟子たちを励ましてくださいました。

Ⅱ これらはすべて2000年前に成就しました。

エルサレム神殿はイエス様の十字架の死後、40年もたたないAD70年、ロ―マ皇帝がユダヤ鎮圧のために遣わしたローマ軍によって都エルサレムは包囲され、ついに陥落し、エルサレム神殿はイエス様のことば通り、完全に破壊され、がれきの山となり、荒れ地となってしまいました。その原因は、多くの偽メシア、偽キリストの扇動に刺激された民衆の武装蜂起がユダヤの各地で勃発し、反逆を繰り返すユダヤ民族に業を煮やした皇帝がついに絶滅命令を下したためでした。ここでもイエス様の預言が成就しました。
この大事件の前に、ユダヤ教からの迫害によってステパノが最初に殉教し(使徒
7章)、使徒ヤコブも続いて殉教(使徒12章)しました。そのためキリスト者は無益な争いを避け、活動の拠点をシリアのアンテオケに移しました。このアンテオケ教会からやがてパウロとバルナバが宣教師として地中海沿岸地域に派遣され、聖霊の力ある働きによって帝国内の主要都市にキリスト教会が次々と建て上げられました。やがて皇帝礼拝を拒んだキリスト教会とキリスト者に対する国家的迫害が異邦人の王によって本格化しました。ところが、み言葉の力はますます異邦人を神とキリストへの信仰へと近づけ、ついに皇帝がキリスト教を国教と定めるに至りました。こうして神の栄光が全地で崇められ、主イエスのことばの確かさは歴史の中で証明されました。

Ⅲ 今日、私たちが学ぶこと

「その日が来るであろう」(6)というその日は複数形です。一連の継続的で段階的な終末の日々を表しています。ある日突然というよりは、小さな小川が合流し、ゆるやかな川の流れとなりますが、ある時点から急流になり、一瞬にして滝つぼに落下するようなものです。と同時に、「聖書の預言の2重性」という最大の特徴を表しています。聖書の預言は直近のできごとを預言しつつ、全人類と全世界にかかわる終末的できごとを重ねあわせて預言するという特殊性を持っています。

預言の2重性という観点からは、2000年前に起きたユダヤ戦争の結末としての「エルサレム神殿の破壊と崩壊」は、やがて迎える全世界の破滅と審判を示しています。ユダヤ人にとって神の神殿は絶対的なよりどころであり、永遠性の象徴でしたが、それが崩壊したことは、まさに「天変地異」に匹敵する出来事でした。つまり、この世が提供する確かなもの、絶対的なもの、永遠を保障するようなものは何一つ存在しないことを私たちに教えています。すべてが過ぎ去るのです。神以外に永遠に存在するものは何一つありません。神以外に拠り所とするもの存在しないのです。だから「私たちは目に見えるものとらわれて、見えないものの大切さを忘れてはなりません」と、蓮見和男先生は、著書で強調されています。

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(2コリント4:18)

「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(ルカ21:33)

現代は、これからさき何が起きるのかわからない激動の時代ともいわれています。しかし、決して恐れたり不安になったりする必要はありません。なぜなら、神の言葉は決して滅びることがないからです。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)と、主イエスは約束してくださいました。世の終わりが来ようとキリストにあっては、恐れることはありませんが、目を覚まし備えることを忘れてはなりません。

使徒パウロは「いつまでも続くのはキリストにある信仰と希望と愛である」と語りましたが、すべてはまず「信仰」から始まります。

神の言葉を信じ、主イエスの言葉を生活の柱として、歩んでまいりましょう。

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