【福音宣教】 心を一つにして

2023年5月28日(日)ペンテコステ礼拝 使徒2:37 ―47 

おはようございます。今日はペンテコステ礼拝日です。

ペンテコステとは、ギリシャ語で「50日目」という意味で、キリストが十字架で死なれ葬られ、3日目に復活されたイースター(復活日)から50日目に、キリストの約束通り、「神の御霊(聖霊)」が、キリストの弟子たちの上に天からくだった日を指します。キリスト教会では、クリスマス、イースターと並んで3大祝日とされています。

1. 約束の御霊がくだった日 


終わりの日には、神の霊が神を信じる者に与えられると預言者ヨエルによって預言されていました(使徒217-18)。さらにイエス様ご自身が、弟子たちに、十字架の死後、もう一人の助け主であり、真理の御霊とも呼ばれる聖霊が天から遣わすとも約束してくださいました(ヨハネ1416-17)。したがってペンテコステは、旧約聖書の預言が成就した日であり、イエス様の約束が成就した日でもあります。その意味で聖霊は「約束の御霊」とも呼ばれます。神のことばの真実さが明らかにされました。私たちのクリスチャンの信仰は、神の約束の言葉を信じ、待ち望む信仰と言えます。人の約束はあてになりません。しかし真実な神はご自身の約束をかならず実現されます。私たちの信仰は神の約束の上に成り立っています。

2. 世界宣教の扉が開かれた日

聖霊に満たされた弟子たちは、驚くことに今まで学んだことも語ったこともない外国語で、神の恵みのすばらしさを語り始めました。過ぎ越しの祭りを祝うために世界中の多くの国々からから多くの巡礼者たちがエルサレムに集っていました。彼らは御霊に満たされたイエス様の弟子たちが、自分たちの国言葉で神の大きなみわざを語りだしたので非常に驚きました(24-11)。神の救いのことばは、イスラエル民族だけに限定されるものではなく、全世界の人々に、それぞれの国のことばで宣べ伝えられるべきことが明らかにされました。イエス様は天に昇られるとき、弟子たちに世界宣教命令を託しました。

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ2819-20

国際基督教大学高校では、ペンテコステの日の礼拝に、学生たちが世界22か国語で聖書箇所を朗読する恒例行事が行われるそうです。世界には約200の国と地域があり、およそ世界には6900ぐらいの言語があるといわれています。話す言葉は違っても私たち全ての人間は、永遠のいのちに至る救いを必要としています。そして一つのメッセージが必要です。御子イエスキリストこそ世界の救い主であり、この方以外に救いをもたらす方はおられません(使徒417)。

3. 教会が誕生した日です。 

ペンテコステの日、聖霊に満たされたペテロは大胆に、「神がキリストとされたイエスをあなたがたは十字架につけたのです」(36)と語ったところ、人々は「ではどうしたらいいのでしょうか」と質問しました。するとペテロは「悔い改めなさい。そして罪を赦していただくためにイエスキリストの名によってバプテスマを受けなさい」(38)と招きました。その日、3000人ほどが、悔い改めバプテスマを受けました(41)。 こうしてわずか120人ほどのイエス様の弟子たちの小さな群れが、3000人もの群れとなり、エルサレムの都にキリスト教会が初めて誕生しました。ペンテコステの日は、歴史的に「キリスト教会の創立記念日」でもあったのです。

一気に3000人ものひとびとが集う共同体ができたとしたらふつうは大混乱が生じます。しかしエルサレムにできた教会は聖霊に満たされた人々の共同体でしたから、「こころを一つに」(46)することができました。聖霊が一つに導かれたのです。「こころを一つに」という言葉はキリスト教会でもっとも大切なことばと言えます。後の時代にはユダヤ人クリスチャンばかりでなく異邦人クリスチャンもキリスト教会に加わり、さらに社会的地位や身分が全く異なる人々が加わりましたが、「心をひとつにして」という本質が崩れることはありませんでした。

Ⅰコリ 12:13 「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」

さらに46節を見ると、いつの時代であっても教会が大切にしている働きが描かれています。


1安息日だけでなく毎日「神殿(宮)に集まり」(46)、「家庭に集い」(46)、聖餐式とともに食事会を中心とした「交わり」を持ちました。「ともに集う」ことが優先されています。孤立した信徒はいない。教会に行かなくても自分たちで信仰を保てると考えがちですが、そうではありません。熱く燃えている炭火も単独ではやがて消えていきます。寄せ集めれば次々と熱く燃えていきます。「荒野のガンマン」のような孤高のクリスチャンは存在しません。交わりの中にすべての信徒は招かれる必要があります。

2)使徒たちの教えを守りとあるように、使徒たちからキリストの言葉を聞き、学びました。神の御子キリストのことばを生涯、聞き続けましょう。学び続けましょう。

3)祈りと賛美をしていた。

学びばかりで頭でっかちになってはいけません。そこには祈りと賛美が伴ってこそ、生き生きとしたクリスチャンライフが創造されます。賛美が教会の中で自然に満ちていることは幸いなことです。土曜日など奉仕しながら賛美を口ずさんでおられるメンバーがいらっしゃいます。どうやらご本人は気が付いていないようです。掃除機を使って会堂を掃除しながら、トイレを洗いながら、自然に賛美があふれている。イエス様がおられたら一緒に賛美してくださることでしょう。祈りはますます聖霊の働きを豊かにします。礼拝の中でも、祈りをどのように豊かにしたらよいでしょうか。あらためて皆さんと共に考えていきたいと願っています。

4)こうした結果、「毎日、救われる人々を仲間に加えてくださった」(47)と、ルカはペンテコステの出来事を総括しています。信徒は「仲間」と呼ばれています。ここには親しい交わりが見られます。

そして、「毎日救われる人々が起こされました」。この記述は大きな希望です。キリスト教会には「本日、休業」の看板が存在しません。「日々、救われる人々が起こされる」これは教会の理想の姿です。牧師の夢です。しかし現実には、年に数度しか、時には数年に一度しかバプテスマ式が行われないというさみしい現実があります。昔の人々はもっと単純だったのでしょうか。それとも現代人が素直に信じる心を失って何事にも懐疑的になってしまったのでしょうか。一人でも多くの人々が、神を信じキリストを信じ、罪の赦しを受け、賜物としての御霊を心にいただき、永遠のいのちを得て、救われることを祈り続けてまいりましょう。 
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。そ  れは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」                 
                (ヨハネ3:16)

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