【福音宣教】 イースター礼拝 主はよみがえられました

20230409 ルカ241-9 


2023年のイースターの朝を迎えました。イースターとはキリストの復活を祝う最も重要な祭りの日です。イースターということばの意味は、古代ゲルマン神話の春の女神の名前「
Eoster(エオストレ)」に由来するとされています。イエス・キリストの復活と、動物が冬眠から目覚め、花が一斉に咲いて春の訪れを告げる春祭りが重ねられたのです。本来、キリストの復活とイースターの卵やウサギとは何の関係もありませんが、卵からいのちが孵ることやうさぎはたくさんのこどもを生むことから、復活のいのちと重ね合わせて用いられるようになりました。ちなみにモアイ像で有名な「イースター島」は、1722年のイースターの日に(45日)発見されたことにちなんでいるそうです。では本来のキリストの復活の歴史的事実を追っていきましょう。

1. 墓に葬られたキリスト

イエスキリストはユダの裏切りにより、ローマ兵によって捕らえら、ローマ総督ピラトのもとで裁判を受けました。総督ピラトは訴えられているような罪を見出せませんでしたが、イエスを偽キリストと非難してきたユダヤ教指導者たちは、政治的な圧力をかけました。総督の失政が続きローマ皇帝の評価が低かったピラトの弱みに付け込んで、イエスをローマ法に従って死刑にしなければ群衆を扇動して暴動を起こすと脅したのでした。背に腹はかえられないピラトはついに、イエスに十字架刑による死刑判決を下しました。こうして他の2人の犯罪者と共にカルバリの丘と呼ばれる公開死刑場でキリストは十字架に釘付けにされ、6時間後に息を引き取りました。

通常、囚人は1週間ほど生きながらにしてあらゆる苦痛を味わって死を迎えますが、わずか6時間あまりの早い死のため、ローマ兵が脇腹から心臓に向かって槍を突き立て、キリストの死を確認しました。他の二人の囚人の足の骨を折って、窒息死させ、異例の速さで死刑を終わらせました。

十字架刑に処せられた犯罪者の遺体を家族や知人が引き取り埋葬することは許されませんでした。そのまま死刑場の崖下にゴミ同然投げ捨てられ、あとは獣に食べ散らされるだけでした。ところがアリマタヤのヨセフという裕福でローマ総督にも顔がきく人物と、ニコデモと言う著名な学者で宗教議会の議員でもあった人物が、自分たちもキリストを信じる弟子であることを名乗り出て、遺体の引き取りを特別に総督に願い出ました。裁判官としての心の痛みを覚えていた総督ピラトは渡りに船とばかり、埋葬する特別な許可を与えました。

イエスの弟子であることを公に表明すれば、社会的な立場を失うかもしれないという恐れから、隠れクリスチャンとして生きていたような二人でしたが、このままではイエス様の亡骸を埋葬することも許されず、谷底に投げ捨てられてしまうという危機的状況に臨んで、ついに立ちあがったのでした。今、この時が自分の役割を果たすべき時であり、総督とも直接会える立場にある自分にしかできない役割を果たすべきだと決心したのでした。人のため社会のために役立ち用いられることは尊いことですが、それ以上に神のために、何かの役割を果たさせていただく、これはさらに尊いことです。いつまでも神の御前にその名が記されることでしょう。

2. 墓からよみがえられたキリスト

こうしてアリマタヤのヨセフが自分のために造った洞窟の墓に、イエス様の亡骸は葬られました。日没が迫り、金曜日の夜から安息日が始めるため、女性の弟子たちが大急ぎで香油を注いで麻布で遺体を包み、簡単な葬りの処置を施しました。安息日が明ける日曜日の朝、もう一度、墓を訪ね、丁寧に埋葬しようと考え、入り口の大きな石の扉を閉じて、墓を後にし、家路につきました。キリストはこうして十字架刑によって死を迎え、墓に葬られ、33歳半の生涯を閉じました。ここまでが歴史の教科書に記されている事実です。

ところが3日目の日曜日の朝、驚くべきことが起きていたのです。ここからキリスト教会の新たな歴史が始まります。弟子たちが朝、墓に行くと、入り口を塞いでいた石が取り除かれ、遺体が消え、墓の中が空になっていました。イエスを包んだ麻布だけが残されていました。女性たちは、何が起きたのかわからず困惑するばかりでした。「誰かが夜の間に墓にやってきて、イエス様の遺体を持ち去ってしまった。そこまでイエス様を憎み、冒涜するのか」と、より深い悲しみに陥っていました。その時、御使いが現れ、「生きているかたを死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです」(5-6)とキリストの復活を宣言したのです。

都エルサレムまであと20数キロのエリコの町に入る直前、イエス様は十字架の死と復活について弟子たちに語りました(1832-33)。6度目でした。ベタニア村のラザロの死の知らせを受けて旅から戻ったイエス様は、嘆き悲しむ姉のマルタに向かって「私はよみがえりです。いのちです」(ヨハネ1125-26)と宣言されました。ラザロの墓の前では、中に入ろうとするイエス様を制したマルタに向かって「あなたが信じるならば神の栄光を見る」(1140)と、マルタに信仰に堅く立つことを命じました。後に宣教師としてローマ帝国の各地に福音を宣教し、教会をたてあげたパウロは、旧約聖書の預言とおり「キリストは罪のために死なれ、葬られ、3日目によみがえられた」(1コリント153-4)と、全世界の人々に向かって語り続け、500人以上の復活の証人たちがエルサレムにいて、大多数は生き残っていることを示し、「今やキリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」(20)と大胆に宣言しました。

パウロのこのメッセージには2つの重要な真理が込められています。

キリストは死者の中から最初によみがえられました。それはキリストが死の力を打ち破られたことを意味します。死から解放された人は誰もいません。死の鎖に誰もかれもが例外なく縛られ、ほどくことができません。ですから嘆きうめきながら諦めるしかありません。人間には死を克服することは不可能だからです。しかし「人にはできないが、神にはできるのです」(ルカ1827)。永遠のいのちを持つ神の独り子だからこそ、死に支配されず、墓の中に永久に閉じ込められることもなく、死の力を無力にし、墓を空にすることがおできになったのです。

2キリストは眠った者の初穂としてよみがえられました20) キリストを信じる者たちもこの地上では例外なく肉体の死を迎えます。しかし聖書は「死者」ではなく「眠った者」と表現しています。さらに「初穂として」とも強調しています。

眠った者とは、やがて「目覚める者」という意味と一体です。信仰によって生き、信仰によって地上の生涯を閉じた者たちは「眠りについた者」たちであり、死者ではありません。再び、神の国で「目覚める」ことができる者たちです。目覚めたとき、神の国と御子キリストの御顔とすでに神の国に移されている愛する人々と再会する大きな喜びが、そこには備えられています。

キリストは「初穂」ですから、キリストと同じように次々と永遠のいのちによみがえることができるのです。キリストと同じように栄光に満ちた天の体、決して朽ちない体によみがえることができます。東京で桜の開花が宣言されれば大阪も京都も3週間もすれば東北でも北海道でも桜が満開となっていきます。キリストの復活は、永遠のいのちと神の国に生きる者たちの初穂、さきがけとして保証されているのです。

ラザロの墓の前で嘆き悲しむマルタとマリアにイエス様が呼びかけたことばが、今、私たちに呼びかけられています。「信じるならばあなたは神の栄光を見る」と。私たちすべての人間にとって死ほど悲しいものはありません。怖いものはありません。怖くはないと豪語する人であっても、もう少し生きていたいと願うはずです。「ごめんね」の一言が言えなかったままでは、後悔が強く死に切れません。ましてや神の裁きが待っていると思えば、これほど絶望的なことはありません。しかし復活を信じるとき、希望が輝きだします。十字架と復活は一つであり、罪の赦しがそこには無条件で差し出され、永遠のいのちの扉が開かれているからです。あらためて静かに問いかけたいと思います。あなたがキリストを拒む理由はなんでしょうか。

「信じない人にならないで信じる人になりなさい」(ヨハネ2027)と、よみがえられたキリストはあなたに語りかけておられます。


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