【福音宣教】 クリスマスメッセージ 光の中を生きる
2022年12月25日 ヨハネ1:8-12

クリスマスおめでとうございます。

今年最後の礼拝がクリスマスと重なりました。恵みと喜びをもって1年を締めくくれることは幸いですね。振り返れば今年は実に多くの出来事が教会の内外でありました。落ち着いたと思った矢先のコロナの再拡大、ウクライナへのロシアの軍事侵攻、激しい戦闘の傷跡、多くの難民の悲惨な現状、教会の中でも元気だった方の入院や大きな手術のために共に祈りました。元気をいただいた70歳を超える高齢者同士の結婚式、そしていくつもの葬儀。私たちはこの1年間、喜びも悲しみもともに分かち合って生きてきました。私たちは神の家族として、励ましあいつつ、祈りあいつつ、この1年を共に歩んできました。感謝ですね。

みなさんのご奉仕と捧げものによって教会の働きがすべて支えられ守られてきました。よく頑張ってくださいましたね、みなさんかなりご高齢にもかかわらず・・。牧師もがんばりました。今年は特に多忙で、今やや燃え尽きかかっていますが・・。イブにピアノとチェロを演奏してくださった林先生と成さんも「来年もきます」と約束してくださいました。来年、また、ご一緒に、「クリスマスを迎えましょう」。

1 クリスマスはキリストの誕生

実は、キリストの正確な生誕日は不明です。学説によれば紀元前5年という説が有力とされています。ではなぜ12月25日がクリスマスと呼ばれるのでしょうか。もともと12月25日はローマ帝国においては「太陽の祭り」の日でした。3世紀には太陽神ミトラを崇拝するミトラ教が栄えていましたが、4世紀にキリスト教が国教として認められると、ローマ教皇は「キリストこそ義の太陽である」と語り、この日をキリストの誕生日と定めたのでした。そうした歴史的経緯の背景には、「すべての人を照らすまことの光があって世に来た」(ヨハネ1:9)とのヨハネの言葉が存在していたと考えられます。

ヨハネは救い主キリストの誕生を、「すべての人を照らすまことの光が世に来た」と表現しました。キリストの誕生はまさに義の太陽が昇り、暗闇を破る光が照り輝やきだした夜明けの始まり、新しい時代の始まりとなったのでした。

「全ての人」とは、地中海をはさんだ広大なローマ帝国に住むすべての民族を指しています。キリストは単にユダヤ民族だけの王ではなく、世界の王、すべての民の救い主として来られました。わずか12人の弟子たちから始まったクリスチャンの数は今や、全世界で 24億人、世界人口の32%をしめるまで広がり、受け入れられています。

「まことの光」とは、決して消えさることのない光を指します。この礼拝堂の灯りはブレーカを落とせば一瞬で消えてしまいます。太陽でさえ天文学的にはやがて大爆発を起こし星の一生を閉じていくと言われています。いつまでも輝く永遠の光ではありません。さらに、まことの光は、見えない心の中の暗闇をも照らすことができる光でもあります。ですから神の御子キリストは「いのちの光」(3)とも呼ばれています。

2.  心の闇を照らすいのちの光    

私たちの心の闇を照らす光として、2つ考えられます。第一は希望の光、第二はまことの神を知る知識(真理)の光です。希望は闇を照らす光です。どんな深い闇につつまれようと、心に希望を持つ者は生きてゆくことができます。しかし、希望を失った時、人は置かれた試練や逆境の前にもろく崩れ去っていくものです。「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝てなかった」(5)とヨハネは記しています。光は闇を打ち破ります。光があるところ闇は消えていきます。それゆえキリストは「光のある間に光の子どもとなるために、光を信じなさい」(ヨハネ1236)と語りました。正しい立派な人間になれと言う意味ではなく、キリストにあって希望を持って歩めと言う意味です。

私たちの人生に暗い影を落とし、心を深い暗闇に沈めこんでいく闇が3つあります。罪の闇と死の闇と生きる重荷と虚しさという闇です。しかし、罪はキリストの十字架で赦され、死はキリストの復活によって敗北しました。十字架の赦しは平安をもたらし、復活の勝利は、死の恐れを無力にしました。人生の4大苦と呼ばれる「世老病死」という、誰も避けることができない重荷に悩む者を、キリストは決して見捨てることなく「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)と招いてくださいました。よみがえられ生きておられるキリストが、インマヌエルの神として共に歩んでくださいます。それゆえ私たちは平安と希望をもって、たとえ弱く傷つき倒れても、再び立ち上がって歩き出す勇気をこころの内に持たせていただくことができるのです。

ウクライナ戦争の勃発から10か月経とうとしています。凍えるような寒さの中で兵士たちも国民も耐え忍びながら戦っています。いつになったら人間は戦うことをやめるのでしょうか。人類の歴史は戦争の歴史そのものと言われます。罪ある人間が存在する限り、戦争は絶えることはないかもしれません。しかしそれでもキリストにあってはなお希望があります。

明治時代から日本で活躍をした宣教師にフランス人のカンドウ神父がおられます。第一次大戦では従軍しました。その時の出来事をしばしば語っておられたそうです。フランス軍とドイツ軍が塹壕を挟んで激戦を繰り広げ、友が銃弾に倒れていく悲惨な現実に直面しました。一人の兵士が激戦の合間に暖をとりながら「今日はクリスマスイブ。故郷では家族が教会に集ってクリスマスの祈りをささげていることだろう」と思い、クリスマスの賛美を口ずさみました。賛美の輪は次第に広がり、フランス兵たちの陣地から賛美が夜空に響き渡りました。するとドイツ兵の陣地からも同じクリスマスの讃美歌がかえってきたのです。彼らは銃撃をやめ交互に賛美を歌い始め、いつしか戦闘がやみました。銃声の響かないクリスマスの夜となりました。クリスマスの歌が二つの国の兵士を一つに結び付けたのです。平和を願う思いはすべての人間の共通の祈りではないでしょうか。

「地に平和あるように!」とキリストが誕生した夜、天の軍勢が神の御こころを歌い伝えました。罪のあるところに戦争は繰り返し起こります。しかし、まことの救い主とまことの神を知るところには赦しがあり、愛があるのです。私たちはそのことを信じ続けたいと願います。


3. クリスマスは神の愛が世に示された日

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(1ヨハネ49-10

神は私たちの罪を赦し、愚かさを諭すために、ひとりごさえも惜しまずこの世に与えてくださり、御子の十字架の身代わりの死によって、罪の赦しと和解する務めを与えてくださいました。ヨハネはここに真実な愛があることを知りました。神の愛を心に覚える日、それがクリスマスです。12月25日だけがクリスマスではなく、キリストを心に迎えて、希望と赦しに生きる1年365日がクリスマスなのです。

神の愛を知り、心満たされ、闇が覆うこの世界ですが、キリストの希望の光の中を歩みましょう。


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