【福音宣教】不正な管理人

2022年11月6日  ルカ16:1-13

イエス様が新しくたとえ話をされました。家の財産管理を任されていた管理者が、横領していることを主人に密告された。主人が怒って彼を呼びつけて「会計報告を出せ」と命じました。万事休す、首になると覚悟した管理人は最後の悪知恵を働かせました。借金していた人たちを呼んで借用書を値引きして書き替えさせた。こうすれば誰かはに感じて自分に便宜を図ってくれるだろうと。主人から解雇されても路頭にまようこともないであろう。雇ってくれる者もいるだろうと考えました。しかも、ご主人には実害がないように、ちゃんと計算して利息分だけ値引きして借用書の金額を改ざんしたのです。貸主も元金保証で損失していないし利息分を免除してくれた親切な方と感謝される。借りた人たちは負債が減り大いに喜んだ。管理人は解雇された後の住まいと仕事を確保できた。近江商人の言う「三方良し」と言う結果でした。したがってこのことを知った主人は激怒するどころか、「ここまで抜け目なくやる」とはと、あきれつつも感心したという譬え話しです

1 お金の使い方に関しては、この世の子らは、光の子よりも賢い(8

この世の子らは、お金の儲け方や貯蓄の仕方や運用方法に関しては詳しく賢いので、光の子らも賢くありなさいと奨励しているようです。ところで一方では、「神と富に兼ね仕えることはできない」(13)とも強調されている。どう整合性をとるの?と、牧師を悩ます聖句です。

2. 確かにこの世の子らは、神様抜きで生きているので、富に、つまりお金に頼る以外、頼るものがありません。安心して任せるものがありません。だから、この世の子たちはお金の蓄え方も、お金の運用の仕方も、資産の増やし方もどんどん賢くうまくなっていきます。今や資産運用はブームで頻繁にコマーシャルが放映されます。「お金はさみしがり屋さんだから、たくさんあるところにどんどん集まってくる」のだそうです。

この管理人は、不正なことをしてお金を貯めこんだというのではなく、賢くお金を回し、抜け目なく自分を救済する道筋をつくった点が認められています。イエス様は、富を用いて、うまく運用して、「友をつくりなさい」(9)と言われています。

3人のしもべが主人から、おのおのの能力に応じて1タラント、2タラント、5タラントを任されたというたとえ話をイエス様はされました(マタイ25:15以下)。1タラントは当時の6000日分の給与、20年分の給与に匹敵する額ですからかなりの資金です。1億近くになります。商売を始めるには十分な資金です。

ところが3人の中の一人は、畑に深い穴を掘って土の中に埋め、隠してしまいました。これは当時としては最も安全な隠し方でした。こうして彼は主人の帰りを待ちました。確かに彼は何一つ、一円たりとも失いませんでしたが、何も儲けることも得ることもできませんでした。マイナスにはなりませんでしたが、プラスにもならなかった。ただ眠らしておいただけでした。他のしもべたちは知恵を働かせ、商売を始め、しっかり儲けて、それぞれ2倍にして主人に渡し、「よくやった」とほめられました。彼らは託されたタラントを用いて豊かな実を結ぶことができたのです。

マザー・テレサは世界一のお金持ちの女性でした。世界中から彼女のもとへ献金や募金がささげられました。そのすべてを彼女は惜しみなくインドの貧しい人々、飢えている人々、病気の人々の救済のために用いました。彼女の個人用の持ち物は一着のサリーと一冊の聖書だけだったそうです。ですから、マザーは世界一の大金持ちですが、同時に世界一貧しい人でもあったといえます。そして誰よりも愛と祈りをもって、ささげられたお金を賢明に運用・活用・分配し、救済活動、慈善活動に尽力しました。彼女を支援する人々の輪は世界中に広がっています。その意味で彼女は世界一多くの友を持ち、世界一多くの貧しい人々の隣人となりました。

イエス様は、「私の弟子だと言うので、この小さい者たちの一人に、水一杯でも飲ませるなら・・その人は決して報いに漏れることはありません」(マタイ10:42)と約束しておられます。小さな者たちを支援することはイエス様を友にすること。イエス様を友にすれば豊から天の報い、すなわちまさに「永遠のいのちと永遠の家」に導かれることでしょう。

4. こう考えれば、日常生活においても、お金の貯め方、使い方、管理の仕方、そして神様への献金の仕方と姿勢においても、「小さなことに忠実な者は、大きなことを任される」(16:10)といわれたイエス様の言葉がよく理解できます。

5. 最後に13節で、「神と富に兼ね仕えることはできない」とイエス様は言われました。「神のしもべ」となるか、「富の奴隷」となるかが問われています。しもべも、ましてや奴隷は主人の独占物でしたから、二人の主人に仕えることなどはできませんでした。もし富の奴隷となれば、生涯、「囚われの身」となり、束縛され、お金の牢獄に閉じ込められ、自由を失う可能性が高くなるといえます。

こんな話を聞いたことがあります。ある銀行にかなりの資産を預けている老人がいました。ところが心配と不安で毎日、2時間おきに「私のお金は大丈夫かね」と銀行に電話してくるそうです。困った銀行はとうとう、この人の為に専従の行員を配置して電話対応をしたそうです。また、こんな実話をある伝道者が語っていました。大きな別荘を建て、軽井沢夫人と呼ばれるような裕福な家庭で暮らしているご婦人がいましたが自死しました。誰にもその理由が思い当たらなく、謎でした。ところが遺書が見つかりました。そこには、「幸せがいつ奪われるかと思うと不安でたまりません。いま一番幸せの時に幸せのまま死にます」という趣旨が記されていたそうです。家族の悲しみも傷みも、家族の存在の尊さも見失わせてしまうほど富の影響力は大きく彼女の心の視野をすぼめてしまったのです。悲劇です。このような、富に縛られることによる悲劇は後を絶ちません。生活は富んで潤っても、魂は枯渇し豊かさを失ってしまいます。

もし富が有り余っているなら、持て余しているなら、そのような方は教会にはおられないかもしれませんが・・、神様から与えられ託された富を、思慮深く活用するしもべとして仕えていきたいものです。貧しい人々、生活に困窮している人々、飢えている人々、十分な医療を受けることができずになくなっていく子供をただ見守るしかない母親たち、学校に通うこともできず強制労働につくしかない子供たち、世界中にあふれている難民、「助けを必要としている人々」のために、祈りをもってささげ、彼らの友となり、キリストの友となりましょう。いつしかこの地上の幕屋が壊れ、この世を去るその時には、キリストにあって新しい天の幕屋がそこには備えられています。

富の奴隷として生きる虚しさよりは、主のしもべとして生きる生涯の幸いがそこにはあります。

私が食べ飽きて、あなたを否み、「【主】とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために」(箴言30:9)


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