【福音宣教】十字架を負ってキリストと共に歩む

2022年1月10日  「元気の出るダイアル」 バージョン    5分間で礼拝説教が聴けるテレホンメッセージです TEL 0774-85-3706  ぜひ、お聴きください

コロナウィルス・ミクロン株による感染急拡大が起きていますので、皆様とご家族の健康が守られますように心からお祈り申し上げます。

イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ1128-29と、当時の社会的なあらゆる差別を排して、すべての人を神の国へ招いてくださいました。

そのために全人類の罪を償い、赦しといのちを与えるために、十字架の道を歩まれました。十字架への道は、神を愛し、隣人を愛する究極の姿でもあったのです。それが救い主であるイエス様に託された使命、生きる目的や意味だったからです。

さて、イエス様は「私から学びなさい」と言われましたが、イエス様から学ぶこととは、なんでしょう。善良な人間になること、聖人君子のような立派な人間になることでしょうか。そうではありません。イエス様は次のように呼びかけておられます。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ923

この言葉は、イエス様と同じように、私たちもまた神様から委ねられた使命、やさしく言えば、私がこの世界に存在している意味、目的を知り、「私の十字架」として、日々、心と思いを新たにして歩んで行くこと、生きていくことを指しています。


神様はすべての人を愛をもって創造されました。神様によってかけがえのない存在として生かされている一人一人には、神様が願っておられるご計画や目的がご用意されています。わたしなど何の価値もない、生きていること自体がみんなの迷惑だ、もし神様がおられるとしたらきっと私などは
失敗作なのだと、失意と孤独の中で苦しんでいる方も決して少なくありません。

けれども神様に失敗作などはありません。暗い闇夜に小さな星は輝きます、濁った泥水の中にも蓮の花は咲いています。置かれた環境はきびしくつらくあっても、あなたの価値そのものに影響を与えません。なによりもあなたの価値とは、あなたが自分の生きる意味を見いだしたときから輝きだすのです。 無いのではなく、まだあなたによって見出されていないだけなのです。

先日のテレビ番組で、塾の講師が、貧しい生徒が塾をやめるだけでなく、食事さえしてない現実を知って一杯200円のカレーを提供する店を開きました。賛同した客がもう一皿分のチケット代を払い、お店の壁に貼っておく。お金のない子はその無料チケットを使って食べる。長年、お世話になった中学生が、卒業して初めて給料をもらった時に、店を訪れて、自分もまた、他の貧しい子供たちのためにとチケットを買って壁に貼ったそうです。赤字続きの店だけれども、誰かのために役立ちたいとの願いがこうして受け継がれていく姿に塾の講師は涙していました。

塾の講師として有名中学・高校・大学に多くの生徒を送り出すこと以上に、隣人への小さな愛を一杯のカレーに込めて提供し、貧しさのゆえに夢を失いかけている子供たちに元気を与えることの中に、彼は生きる意味を見出していました。

教会で、あなたも自分の十字架を見出しませんか。この人生には意味があります。あなたの価値をイエスキリストのもとで見出しませんか。イエス様と一緒にあなたの十字架の道を歩みませんか。

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