【福音宣教】 まことの光であるキリスト

2021年12月19日 ヨハネ1:1-12

2021年のクリスマス礼拝をご一緒に迎えることができました。宇治デーヴォの皆さんを今年もお迎えでき、ご一緒できることも大きな喜びです。

クリスマスはイエスキリストがこの世に来られたことを喜び祝う日です。コロナ禍の中で迎える2回目のクリスマスですが、24日にはイブキャンドルサービスをささげます。教会堂がローソクのともしびで照らし出されます。まさに、この暗い世の中を照らす「まことの光」として来られたキリストを表しています。

.人生の暗闇 ひかりは闇の中に輝いている

フランスの文豪、ノーベル文学賞作家のアンドレ・ジイドは21歳で処女作を発表し、名声を得ました。以来、女性を愛し、同性愛者であることもカミングアウトし、世界を旅し、自由奔放な生き方をした人物ですが、晩年新聞記者のインタビューに答えて語ったそうです。「人生はただひとりまっくらな道を手に持った一本の松明をたよりにして歩くようなものです。前にも後ろにも右にも左にも人間を飲み込むような不気味なやみがあるばかりです。その道がどこへ行くかもわからないし、闇を突き抜けられるかどうかもわからない。とにかく自分が手に持ったともしびだけを頼りに歩き続けなければならないのです」これは彼の人生観そのものを表しています。人生は孤独である、自由に生きてきたが結局一人ぽっちである。そして暗闇の中を自分が手にしている灯り、理性と良心というともしびだけを頼りに歩き続けていかなければならないと考えていたのです。ジイドのこうした考えは多くの人々が心に抱く思いではないでしょうか。闇と孤独の世界の中で頼りになるのは結局、自分の力だけ。だからがんばらねばならない、しっかりしなければならない。甘えていてはならない、泣き言をいっていてはならない、弱音の見せてはならないと。でもその自分自身が頼れなくなってしまったときはいったいどうなるのでしょう。まだ働けると思っていた主人の仕事先が倒産した、元気だと思っていたら突然、癌の宣告を受けた、日頃の不摂生がつもりつもってとうとう脳梗塞を起こし後遺症で体が不自由になった・・。私たちを支え安心感を与えている根拠になっているものは意外ともろいものです。アンドレ・ジイドも奥さんを亡くしてから、いよいよ孤独に苦しんだそうです。

時計上では朝から12時間経たなければ夜にはなりません。しかし人生の暗闇はまさかと思う瞬間に襲ってくるのです。自分の無力さと自分を取り囲む人生の闇の深さをまじまじと実感することになるのではないでしょうか。

私の父は、陸軍中尉、爆撃手として大型爆撃機に搭乗し、ニューギニア戦線で戦い、生き残った一人でした。ホテルマンとして務め、定年を控えていた時、何の前触れもなく突然脳梗塞で倒れ、左半身が不随となりました。私はすぐさま病院へ駆けつけましたが、父親が泣く姿を私は初めて見ました。よほど悔しかったのでしょう。気丈夫な父でしたからリハビリに励みましたが、思うように回復できず、後から知ったのですが、「自殺しようとさえ思った」とのことでした。父親が自殺を思うことなど考えられないほど、強い人でしたから、私には驚きでした。人間の心もからだも思っているほどは強くはないのです。

2. すべての人を照らすまことの光

「光は闇の中で輝いている。そして闇はこれに勝てなかった」と、ヨハネは記しています。

闇がつつみこんでしまう光であるならばそれはもはや、まことの光とは言えません。あるいはいつしか闇の中に消え去ってしまうような光ならば、それもまた、まことの光とはいえません。闇の中に輝き続ける光であってこそ、まことの光といえます。

ところで、すべての人間にとっての、究極の闇とは何でしょう。それは「死」ではないでしょうか。ですから、その究極の闇である死が決して勝つことができない光、消し去ることができない光こそが、まことの光といえます。

「死などこわくはない。こわいのは家のカミさんだけだ」と言われる方がおられるかもしれません。でも仏門の道を究めたあの大和尚一休禅師でさえ「わしゃ死にとうない、死にとうない」と看取る弟子たちにしみじみ語ったそうです。それが人間のありのままの姿だといえます。それを口にできる一休和尚はえらい、ふところが大きいと思います。

本当にそうだと思いませんか。死に至るまでのプロセスである痛みや苦痛や孤独も怖いし、愛する家族や友人ともっと生きていたい、楽しく暮らしたいなという思いが断ち切られることも怖いし、死後いったいどこへ自分は行くのかわからないこともなおさら怖いのではないでしょうか。怖いから「考えないことにしている」(思考停止)。それも一つの術ですが、本当の解決策になっていません。

聖書は私たちに教えています。そんな私たちのために、神の御子イエスキリストが、死の闇の中に輝くまことの光、死さえも飲みくだしてしまうまことの命として、この世界に来てくださったと。だから天使はキリストの誕生に際し「恐れることはない。今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになったのです」と告げました。それがクリスマスです。

キリストは「私は道です、真理です。いのちです。誰でも私のよらなければ父の御もとに来ることはできません」(ヨハネ146)と宣言されました。また「私は世の光です。私に従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」(ヨハネ812)と約束してくださっています。

死の暗闇だけではなく、人生のあらゆる重荷と苦悩の中にある者たちにキリストはまことの平安と希望と勇気を与えるために来てくださったのです。あなたもキリストを心に信じませんか。ちなみに私の父もキリストを信じ、永遠のいのちをいただき神の子とされ、田舎の教会で信仰の道を歩み続け、96歳で天国と旅立ちました。

主に栄光を帰します。

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