【福音宣教】 神がどんなにおおきなことをしてくださったか

2021年10月24日  ルカの福音書8:26-35

ガリラヤ湖の対岸、ギリシャ人が多く住む異邦人の地であるゲラサの地に船で渡ったイエス様と弟子たちは、ギデオンという名の悪霊に支配され、墓場に住み、日夜叫び続けているという悲惨な人生を歩む人物と最初に出会いました。彼は「この町の人」27)とあるように異邦人でした。

今日はこの出来事の2回目になりますが、イエス様がどのようにして彼の人生を破滅へと導く悪霊の支配から解放し、癒しと救いへと導かれたかを学びましょう。

1. 怯えた悪霊は豚の群れの中に

イエス様の正体を知っている悪霊どもは「底知れぬところに行け」と命じないように請い願いました。イエス様が「いと高い神の御子であり、神の国の王、主権者であること」を知っているからです。底知れぬところとは、ロマ107 黙示録91-211 に記されていますが、悪霊たちが刑罰を受ける場所、あるいは最後の審判の時まで悪霊たちが閉じこめられる世界をさす(岸)と言われています。死者が行く世界をハデス(黄泉)と言いますが、黙示録20:14ではサタンと悪霊ども、さらには「死とハデス(黄泉)といのちの書に名が記されていない人々がみな投げ込まれる」場所を「火の池、第2の死」つまり永遠の滅亡を意味する地獄を指すと考えられています。いずれにしろ、悪霊どもは自分の究極の末路がどこにあるかを知っていたから恐れたのです。

そこで豚の群れの中に入ることを許してくれと願いました。イエス様が許すと、悪霊は豚の中に入りました。すると群れがいきなり暴走し崖をくだって湖に入り、豚は溺れ死んでしまいました。マルコではその数
2000匹とされています。これをトンダ迷惑といいます。

どこに逃れようと隠れようと、究極においては、キリストの権威によってサタンも悪霊どもも、すべて滅び去る定めにあることをこの出来事は象徴しています。神の御子イエスの権威が及ばぬ世界はどこにも存在しません。

「あなたがたは世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。私はすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)。

2. 怯えた住民はイエスを去らせた

豚を飼っていた所有者たちはこれを見て驚き、怖くなってその場から逃げ出し、町の中に「えらいことになった」と伝えました。彼らは収入源である大事な豚を失ってしまったので、とんだ災難が降って来たと恐れました。悪霊は究極の運命を恐れますが、人は経済的な損失を恐れます。豚は一匹、今日約3万円前後で取引されているそうですから、6000万円の被害。ゲラサ地方で他にも同じようなことが起きれば経済的な大損失となる。悪霊に憑かれた一人が正気に戻るために、豚2000匹の代償を払わなければと考えると、恐ろしくなった。湖の向こう岸から来たイエスとはいったい何者だ、疫病神だ、とっとと引き返してもらおう!と追放したのでした。

一人の人の救いや人格の回復よりも、経済が優先する世界。神様よりも金様が支配する世界。それが異邦人世界の第二の特徴と言えます。繰り返しになりますが、第一の特徴はまことの神を知らない世界に住む人々の心の空洞に悪霊が入り込み、偶像礼拝、孤独と混乱、対人関係の分裂をもたらし、欲と罪がひしめき合って統一感を奪ってしまっている状態と言えます。まさに6000人のローマ軍兵士がいるようなレギオン状態。

3. 平安を得た彼は証し人として家と町に遣わされた

悪霊を追い出してもらった人は、イエス様の弟子になることを請い願いました。「ついて来なさい」とイエス様から召されたのではなく、自分からイエス様の弟子となることを申し出たのでした。異邦人の最初の献身者です。しかし、イエス様は彼に、家に帰り「神様がどんなに大きなことをあなたにしてくださったか、話して聞かせなさい」(ディエゲオマイ・現在命令形)と伝えました。すると、彼は家だけではなく町中に、家族だけでなく町中の人々に宣べ伝え続けました(ケルッソ-・現在分詞)。

イエス様は彼を拒んだのではなく、彼を遣わされたのです。彼の献身の志を拒んだのはなく、彼に最もふさわしい献身の場を用意してくださったのでした。それは彼の家族と彼の住む町でした。彼は異邦人の地で救いに導かれたただ一人の人物でした。多くの町の住民はイエス様を拒み、むしろここから立ち去ってくれとばかり、追いだしにかかりました。

嵐のガリラヤ湖を渡るという危険を冒してまでして上陸したゲラサ地方の伝道は、失敗に終わったのでしょうか。いいえ、異邦人の救いの時はまだペンテコステの日が来るまでは十分にそなえられていませんでした。しかし、ゲラサの地で、この一人の人が救われ、変えられるならば、やがて世界中の人々が救われ変えられることに通じます。

救いは一人からはじまります。そうです、本当に大切なことの始まりはいつでも一人からです。

異邦人世界は、人のいのちや尊厳さにまさって金が優先する世界です。神を知らないゲラサの地にイエス様によって一人の人が残された、いや遣わされたのです。しかも「神がどんなにすばらしいことをしてくださったか」と自分のことばで感謝と感動をもって語り伝えるために。

イエス様は、弟子たちに「あなた方は地の塩、世の光です」(マタイ51314)とイエス様は語り聞かせました。腐敗を止め、塩味を効かすために、なにも大きな岩塩や塩の塊は必要ではありません。一つまみの塩で十分です。暗闇を照らすためにきらびやかな夜のネオンサインは必要ではない。小さな一本のローソクでも闇夜を照らすことができるのです。あなたがそのかけがえのない尊い存在であるとイエス様は語っておられます。一人の人によって、イエス様のすばらしさが語り伝えらえるのです。

かつては「大声で喚き散らすしかなかった」彼でしたが、イエス様によって「神があなたにどんなにおおきなことをしてくださったか」を語る新しい働き、奉仕、ミッションという人生の目的まで与えられたのでした。しかもイエス様は「家に帰って」(39)と彼に言われました。家は家族のいる場所です。彼を支えるかけがえのない人たちがいる場です。

身近なところから、「あなたに神様がしてくださった大きなことを」「父なる神の愛と御子キリストの恵み」を伝え分かち合うために、ゲラサの男だけではなく、あなたも、そして今日ここに集っている一人一人も、イエス様によって新しく生かされ、遣わされたのです。あなたの場所に。あなたの家族のもとに。人は自分の家族を選べません。しかし神は、あなたの家族を選ばれたのです。そして置かれたのです。

家族の中で自分一人だけがクリスチャン、職場で自分だけがクリスチャン、まるで墓場の中にいるみたいと孤独と無力感を感じるかもしれませんが、イエス様はそこにあなたを置いてくださったことを覚えましょう。それは、あなたにしかできない役割がそこにあるからです。そこがあなたの尊い献身の場所だからです。

そのために、「神がどんなに大きなことをしてくださった」かを、思い起こしましょう。私たちは受けた苦しみや痛みや悲しみやつらさを忘れずに覚えていても、良いことは簡単に忘れてしまいやすい者です。さらに、どんな恵みも「当り前」「当然」と思えば、もはや恵みも恵みではなくなってしまいます。だから旧約聖書の詩篇の記者は呼びかけています。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)

                                                                                                                                     以上

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