【福音宣教】 新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れなさい

2021年5月30日 ルカの福音書5:33-39

京都府に発出されていた非常事態宣言はさらに6月20日まで延長となりました。ワクチンの接種も徐々に進んでいますので、しばらくの試練の日々ですが忍耐をもって回復の日を待ち望みましょう。

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです」(ヤコブ1:12)のみことばに信頼しましょう。

さて、イエス様とパリサイ人・律法学者といったユダヤ教指導者たちとの考え方の違いが明らかになってきました。

イエス様は収税人レビが開いた晩さん会に出席し、交わりの時を持ちましたが、ユダヤ教指導者たちは、「なぜ罪人たちと飲食を共にするのか?」さらに、イエス様の弟子たちは「断食もせず食べたり飲んだりしているのはいったいどういうことか?」とイエス様への非難を強めてきました。イエス様は彼らに、結婚式の喜びの日に悲痛な面持ちで断食をするような花婿の友人はいないではないか。しかし、友人の花婿のお葬式の悲しみの日には喪に服し断食をするであろうとわかりやすく語り掛けました(34-35)。つまり神の御子キリスト共に生きることは結婚式に出席するような「喜び」の日々であることが強調されたのでした。

ユダヤ教世界では年1度の大贖罪日(7月10日)(レビ1629)には全国民が断食をすることが義務とされていました。そのほかエルサレム陥落と神殿破壊の日にもしばしば断食が行われました。パリサイ人は週2回、月曜日と木曜日を断食の日(ルカ1812)と定めていました。マリヤとヨセフが幼子イエス様を連れてエルサレムの神殿に上った時、老シメオンと女預言者アンナが祝福しましたが、特に彼女は「宮を離れず、夜も昼も断食と祈りをもって神に仕えていた」(237)と記されています。たしかに祈りと断食をもって神に仕える敬虔な姿は否定されるべきものではありません。飽食の時代、食べすぎの時代、食べることに熱心になり、3度の食事がなによりも楽しみという生活よりも、祈りやみ言葉の黙想に熱心により多くの時間を割くことが求められているといえるでしょう。

イエス様は「新しい葡萄酒は発酵力が強いので新しい皮袋に入れなければなりません」(38)と、イエス様の弟子たちの新しい生活スタイルを示されました。皮袋というのは山羊一頭をまるはぎし、手足と首の部分を縛って袋状にしたもので水やお酒を運ぶための遊牧民の必需品であり、小さな皮袋は旅人たちの携帯必需品でした。

したがって新しい作り立ての葡萄酒を保存するために、もし古い皮袋を用いると、年月を経て弾力性を失ってしまっているため、新しい葡萄酒の発酵力に耐えられなくて皮が破裂して役に立たなくなってしまいます。ですから新しい葡萄酒には柔軟で弾力性の高い新しい皮袋が必要でした。

この場合、新しい葡萄酒とは、神の御子であるイエス様によってもたらされた「神の恵みの福音」を指します。新しい皮袋とは律法主義や儀式形式主義に生きる生活ではなく、「御霊による信仰と愛と希望に生きる」クリスチャン生活を指します。一方、古い皮袋とはパリサイ人や律法学者たちがこだわっているモーセの教えに基づく律法や神殿を中心とする様々な祭儀制度を指しているのです。

1. 古い皮袋は破れました

イエスキリストを信じる信仰は、パウロをはじめとする宣教師たちの福音宣教によって、ユダヤ民族をいう枠を超えて、打ち破って、ローマ帝国の各地にものすごい勢いで拡大し、キリスト教会が主要な都市には次々と建てられました。新しい共同体である教会には、多くの異邦人も加わり、貴族階級の人々も奴隷階級の人々も、男性も女性も、差別なくお互いを神の家族と呼び、兄弟愛の交わりを保ちました(ガラテヤ326-28)。

いわばキリスト教は民族主義的なユダヤ教から分離し、世界宗教として全世界に宣べ伝えられたのでした。「全世界に出ていきすべての造られた者に福音を宣べつたえなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます」(マルコ1615-16)。

2. 新しい皮袋

福音は信じる者には神の力です。御子キリストの十字架の死によって罪の赦しが、復活によって死に打ち勝つ永遠のいのちの希望がもたらされました。さらにキリストを信じる者たちにはもう一人の助け主とも、真理の御霊(ヨハネ1416-17)とも、愛の御霊(ロマ55)とも呼ばれる、聖霊が注がれ、信じる者たちの心を満たし、新しい人生を切り開いてくださいます。

放蕩息子のたとえ話をイエス様は語りました。その中で帰って来た息子を迎え入れてくだあった父親が祝の宴会を用意し「喜び祝うのは当たり前である」(ルカ15:32)と言いました。父を離れたすさんだ生活とそこで味わった孤独と空しさと対比して、父のもとに立ち帰った生活は「喜び」に満ちたものとして語られています。
キリスト者の生活は「信仰と愛の希望」(第1コリント1313)に生きる生活といえます。信仰と希望と愛は、聖霊によって与えられ導かれ満たされていきます。具体的には「常時喜悦、不断祈祷、万事感謝」(2テサロニケ516-18)の生活です。

かつてバビロンの奴隷生活から解放されたユダヤ民族は祖国に戻り国家と神殿再建に取り組みましたが、そのことを喜び感謝する者と、罪を悔いて悲痛な面持ちで悲しみつつ断食する者とがいました。指導者であったネヘミヤは断食をやめさせ「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(ネヘミヤ810)と民を励ましました。過去を向くのではなく前を見て、なにより天を見上げて、神を喜び、神に感謝することを学ばせました。

3. 内なる新しい皮袋

誰の身体にも大切な「胃袋」があります。クリスチャンにはどうやら「新しい恵みの袋」があります。信仰によって神様から与えられた「恵みの袋」です。そこには平安と喜びと感謝つまっています。斉藤敬子姉妹が入院され、家族はもうこれで会えないかもしれないと覚悟を決めたそうです。ところが面会に行くと看護師がスマホを受け取って病床のベットの上の敬子姉妹とビデオ会話ができるようにしてくださいました。車いすに移動ができるようになるとドアのガラス越しですが直接会話をすることも可能にしてくださいました。


敬子姉妹もいつものように笑顔で「感謝」しておられました。小さなことかもしれませんが「思いもよらない奇跡」でした。小さなことの中に神の恵みを見出し、「感謝する」。神様は小さなことの中にも「感謝できる」賜物を与えてくださったのです。これをめぐみといいます。それゆえに感謝は尽きないのです。無尽蔵の感謝の蔵の中に生かされているのです。イエス様の時代の旅人は小さな皮袋を携えて旅行しました。

私たちは目見見えませんが心の中に「イエス様の皮袋」を携えさせていただき、神の御国への地上の旅路を歩み続けましょう。

                       詩 95:2 感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。

                                    詩 136:1 【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで

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