【福音宣教】 バプテスマのヨハネの投獄と殉教

1. ヨハネの投獄

国主ヘロデと妻ヘロデアの怒りをかったヨハネは投獄されました。複雑な背景があります。

ヘロデ大王には母親が異なる5人の息子がいました。その一人ヘロデ・ピリポは姪のへロディアと結婚してローマで一市民として暮らしていました。ところが、異母兄弟であるガリラヤ地方を治める国主ヘロデ・アンティパスがローマに上京した折、へロディアを見染め、妻を離婚し、略奪結婚をしてユダヤの国に連れ帰ったのでした。バプテスマのヨハネは預言者として王さえも恐れず、ヘロデアとの結婚は「違法である」と王を厳しく糾弾しました。当然ながら領主ヘロデは苦々しく思っていましたが、彼以上に妻のへロディアが恨みと怒りの炎を内に燃やしていました。領主ヘロデは臆病な性格で、ヨハネを殺そうと思いながら一方では、預言者ヨハネのことばに耳を傾けるという矛盾した心を持っていました。ですからヨハネを捕らえて投獄したもののそれ以上は手が出せず、様子を見ていたようです。これが「罪に罪を重ねた」(20)と記されている現状でした。そんなおり、思いもかけない事態が起きました。マルコ617-26、マタイ145-42に詳しく記録されています。要約すると、ヘロデの誕生日に盛大な祝宴が開かれ、へロディアの娘であるサロメが妖艶な舞を見せ、招待した客人たちを大いに喜ばせました。酒に酔ったヘロデ王が上機嫌で「褒美に何でも欲しいものを与えよう。国の半分でさえも」と口にしてしまったのです。

サロメは母親のところに戻って尋ねると、へロディアは「ヨハネの首を」と告げたのでした。王は「まさか!」と思ったものの、客人たちの手前もあり護衛兵に「牢の中で首をはねてもって来るように」命じたのでした。これが第3番目の罪でした。

三つのことを考えさせられます。

1. 酒の場での失言、失態、失敗は昔から繰り返されている点 ヘロデ王のケース

2. 生まれながらの古き人間にとって、恨み・怒り・憎しみは消し難いという点 へロディアのケース

3. 神に仕える預言者ヨハネがこうも無残なあっけない最後をなぜ遂げたのかという点 バプテスマのヨハネの弟子たちのケース

1. 酒は昔から多くの過ちや犯罪を生み出してきました。

私は大学生時代に酔っ払い運転をして人身事故を起こしてしまいました。それ以来、お酒を飲むことを止めました。聖書は禁酒を命じてはいません。「大酒を飲んではなりません」(1テモ3:8)と教えています。それはアメリカの古き良き時代のピューリタンたちの文化伝統であり健康な身体と社会を創る良い習慣でした。先日も健康診断を受けた時、問診される医者が「牧師さんですか。清廉潔白な生活ですね。動脈硬化も血圧も問題ないです」と太鼓判を押してくださいました。お酒を飲むなとは言いませんが、お酒に飲まれて失敗しないように、後悔しないように、ヘロデ王の大失敗を人生の教訓としましょう。

2. 怒りや恨みや憎しみの火を消すことはできません。

アンガーマネジメントという怒りの感情のコントロール法が話題になっています。スポーツ界でも教育現場でも職場でも盛んに取り入れられています。たいへん良いことです。私も資格をもっているのでセミナーを開くことができますが、即効性のある対処療法とじっくりと認識を変える根本療法に分けて教えられています。

しかしキリストにあって「赦し」を経験し、「赦し」の中に生かされることなくしては、怒りや恨みや憎しみ、つまり「復讐する」という肉の欲からは解放されることは望めません。キリストの十字架の赦しと恵みにとらえられ、キリストの愛のいのちに結びわされてこそ、「赦し」が息づき始めます。

「御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによるのです」(エペソ17) 

時折、表面がひび割れることがあるかもしれません。しかし、キリストにある「赦し」という地下水脈が開かれたのですから、泉となって湧き上がって、潤し、修復し、和解と平和を創り出していきます。

「互いに赦しあいなさい。主があなた方を赦してくださったように」(コロサイ313

3.  神に仕える預言者ヨハネがこうも無残なあっけない最後をなぜ遂げたのかという点

なぜ、神の助けがなかったのか。のちにペテロが投獄され同じように殺されかけた時、御使いが牢獄からペテロを奇跡的に救出するという出来事がありましたが、なぜ神はそうされなかったのでしょう。簡単に答えは出せません。この世界には矛盾したこと、不合理なこと、納得できないことが満ち満ちています。ルカはヨハネの殉教については一切ふれていません。投獄の記録の後、時間を遡らせて、イエス様がヨハネからバプテスマを受けた出来事を記しているのみです。むしろ、そこにルカの意図を見ることができます。ヨハネの投獄と殉教は、いよいよイエスキリストの公の宣教の開始と結び付けられています。

ヨハネはやがて来るべきキリストを指し示す先駆者であり、彼の使命はそこにありました。祭司の家に生まれながら彼は祭司ではなく預言者となりました。祭司の家や神殿を居場所とするのでなく、彼は荒野を住みかとしました。白装束の祭司の衣服ではなく、ラクダの毛衣を身にまといました。それらすべては、きたるべき救い主キリストを人々に指し示し、証しし、悔い改めのバプテスマを通してキリストのもとへ人々を導くためでした。彼はこの使命のために、この目的のために生まれ、生き、およそ30年の生涯を全うしたのでした。「どこでどのように」最後を迎えるか、それは大きな意味をもちません。最後まで「その人がどう生きた」かが問われます。

畳の上だろうと、病院のベットの上であろうと、ヨハネのように獄中であろうと。老衰で長寿を全うしようと、癌で若くして亡くなろうと、災害や事故で急死しようと、コロナ禍のなかで一気に重篤化し、葬儀も出せないまま火葬場に運ばれようと、その人の生きた価値になんの影響も与えません。どう神と人の前に生きたか、与えられたいのちを全うしたか、神の喜ばれる生涯を歩めたかそれがすべてではないでしょうか。

バプテスマのヨハネは「この方の靴の紐を解く値打ちさえありません」(ルカ316)、「私は喜びで満ちている。彼は栄え、私は衰えなければならない」(ヨハネ329-30)と、彼は自らの歩む道を自覚し、神のみむねのままに生き抜いたのでした。世の人は彼の最期を見聞きして「神も仏もあるものか」と嘆くかもしれませんが、彼は「走るべき道のりを走りぬいた」(2テモテ47)喜びで満ちていたことでしょう。

イエス様はヨハネについてあなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。」(ルカ7:28)と、賞賛しています。

クリスチャンは周囲との競争や比較からはキリストにあって解放されました。自分の歩むべき道を不器用でも、つまずき転びながらでも、不十分でも、歩み続けてゆくのです。そんなクリスチャンたちをイエス様は天国ではヨハネと同様、それ以上に、優れた者として喜び受け入れてくださっているのです。

繰り返しますが、ヨハネの死は、キリストの宣教の開始という新しいいのちの道の扉を世界に大きく開いたのでした。ひとつの扉が閉じられれば、神は新たなもう一つの扉を開くことができるお方です。

神のなさることのすべてを私たちは知りつくすことはできませんが、神はご自身のみ旨とご計画をお進めになります。

あなたには神と共にあなたの歩む道があります。与えられたあなたの人生の時を歩みましょう。

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