【福音宣教】 羊飼いたちの賛美と感謝

みなさん、2020年の最後の礼拝を私たちはささげています。

「危機的なときこそ、人や組織の本質が現れる」としばしば言われます。コロナ感染の拡大という今まで経験したことのない大きな試練に春から直面し、今もなおその唯中を私たちと教会は歩んでいます。この1年を振り返ると、お互いよく頑張りましたね。オンライン礼拝に切り替わったときはずいぶん心配しました。高齢者のかたがたがついてこれるか、礼拝のめぐみから漏れてしまうことがないようにこころ配りました。みなさんがラインやZOOMの使い方を苦労しながら学ばれました。教会のメンバーの方々の交わりのために用意されているラインによる「心のオアシス」グループも今やスタンプの花盛りの状態です。京都も感染者数が135人を超え始めましたが、年始年末にかけて神様の守りがありますようにとお祈り申し上げます。

さて先週はクリスマス礼拝もキャンドルサービスも感謝のうちに終えることができました。

キリストのが誕生された夜、御子キリストを礼拝した羊飼いたちにもう一度、焦点をあててみましょう。

1. 喜びを伝えつつ(17

羊飼いたちは、天使の御告げを聞きました。そして「人々に知らせました」(17)。羊飼いたちはベツレヘムに出かけ、村中を訪ねまわって、ついに御子イエス様が眠る家畜小屋を探し出すことができました。彼らは「幼子について告げられたこと」を知らせました。おそらく宿屋にいた宿泊客や村中の人々も、いったい何ごとが起きたのかと大勢が集まってきたことでしょう。名もなく羊飼いたちは小さな福音の伝道師として用いられたのでした。

父なる神から御使いに、御使いから羊飼いたちに、羊飼いからベツレヘムの村人に「喜びの知らせ」GOOGNEWSである福音が伝えられました。多くの人々はこれを聞いて驚きましたが、マリアは「思い巡らして」いました。福音を聞いたすべての人々がイエス様を信じるわけではありません。しかし少数ながらマリアのように「思い巡らす」人もいます。そのような人々を神の御霊は救い主のもとへと導いてくださいます。福音を聞いたなら、出ていって、知らせましょう。年始年末、みなさんの伝える福音をこころにとめる人がきっと起こされることでしょう。語る人がいなければ、聞くことができないのですから。

2. 神を賛美しつつ(20

礼拝をささげた羊飼いたちは、「神を賛美しながら」帰って行きました。羊飼いたちは、天使の軍勢の賛美を聞きました。そして今度は、彼らが神を賛美しています。讃美は連鎖します。救い主キリストと出会った人々のこころの中からは「喜びと感謝と賛美」があふれてきます。救い主と出会うまでの古き人であった私たちの口からは、不平不満、愚痴つぶやき、怒り、悪口陰口、あれがたりないこれがたりない、ああしてくれないこうしてくれない、何でおればかりが、私だけがこんな目にあうの!と、うらみやつらみ、ねたみばかりが流れ出ていたのではないでしょうか。同じ口が、今は聖霊にきよめられ、感謝と賛美があふれ出るから不思議です。

羊飼いたちは神を賛美しながら「帰って行きました」が、どこへ帰ったのでしょう。彼らは自分たちの羊の群れのもとに帰っていきました。感動的な夜の次の日からは、以前と同じ普通の生活が始まりました。周りにあるのはいつもとかわらない風景。羊たちと見慣れた野原。天使たちの歌声がもう聞こえることはありません。

カトリックのシスターの渡辺和子さんは「置かれた場所で咲きなさい」というエッセイ集を著しています。私たちが信仰の根を下ろし、花を咲かせ、実を結ぶ場所は、「いつもの日常生活」の場です。それは変わり映えのしない、単調な、日々の繰り返しかもしれませんが、神が導かれた場所であり、神が遣わされた場所でもあります。

私にはもっと違った人生があったはずだ! ここは私の生きる場所ではないと過去を振り返って嘆いたり、後悔したりする人も多くいますが、過去を変えることはできません。

私も70歳になって過去を振り返ると、いまさらながらいろいろの選択の道があったなと思います。どこの大学に行くか、どの職業に就くか、英語の教師になるか、ホテルマンになるか、牧師になるか。どこの町に住むか、誰と結婚するか、神学校の卒業時には東京に残るか、宇治に帰るか、亜アメリカに留学するか。無理やり押しつけられていやいやしぶしぶ従ったものは何一つありません。何一つ大きなことはできませんでしたし、していません。宇治の町の小さな教会の一人の牧師としてささやかな奉仕を続けてきましたが、「これが私のBESTPLACEだ」とつくづく思わされています。すばらしい信徒さんたちに囲まれている。私の一番素晴らしい仲間たち、神の家族たちと一緒にいるのだ、感謝だなと思わされています。あなたが帰って行く場所、あなたが置かれている場所で信仰の花を咲かせていきましょう。

平凡な日常生活、緑に包まれたお茶の町、田舎といってもいいような宇治の町に住む私たちです。その普段の生活の中に、多くの小さな恵みを見出し、喜び、神様を賛美してまいりましょう。大きなダイアモンドはないかもしれませんが、小さな真珠の粒をつなぎ合わせれば美しいネックレスになります。

3.  真の羊飼いであるキリスト

ベツレヘムの羊飼いたちは、真の羊飼いであるキリストと出会いました。私たちも良き人生の導き手、私の羊飼いであるイエス様と出会いました。羊飼いであるイエス様は誰よりも羊のことをよく知ってくださっています。だから守ってくださり、導いてくださいます。

新しい1年がどのような1年になるのか、例年以上に、今年は見通しがつきません。でも。心配はいりません。良き羊飼いであるキリストが導いてくださるのですから、安心してゆだねて歩んでまいりましょう。

「私は良い羊飼いです。わたしはわたしのものを知っています。またわたしのものは私を知っています。」(ヨハネ10:14

「主はわたしの羊飼い。わたしは乏しいことがありません。

主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいの汀に伴われます」(詩編231

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