【福音宣教】 神の御子キリストの誕生 

20201129 神の御子キリストの誕生 ルカ21-8

1. 歴史のただなかで

ヘロデ大王はBC37から紀元4年までユダヤを治めました。さらに、皇帝アウグストによる「住民登録」の勅令がローマ帝国の各地に公布されました。アウグストとはBC31年からAD14年まで45年間在位したオクタビアヌスのことです。住民登録は税を納めるための算定と緊急時の強制的な兵役義務のため、住民登録が14年ごとに行われたとされています。さらにシリアの総督に最初にクレニオが任命されたのがBC7年からBC2年の5年間で(2回目の任命はAD7年)した。そしてクレニオによる最初の人口調査はBC6年に実施されたと記録されています。

ヨセフはダビデ家の血筋であったので、ダビデの出身地であるベツレヘムで住民登録をする義務が課せられていました。ナザレからベツレヘムまで直線距離で約120km(東京・静岡間)離れていたので徒歩ならば5日は要したと思われます。海抜775mの山地の町であるベツレヘムに通じる道は長く続く上り坂でした。ルカは正確に「ダビデの町へ上って行った」(4)と記しています。こうしてベツレヘムに着いたとき、マリアは臨月を迎えたので、急いで宿屋を捜しましたが見つかりませんでした。客間(座敷:マルコ144)はすでに満杯状態のため、かろうじて家畜小屋の中で、彼らは出産の準備を始めました。当時の貧しい人々にとって、飼い葉桶をきれいに洗って生まれた赤子を新しい布にくるんで寝かせるという行為は特別驚くようなできごとでもなかったようです。当時の人々にとって、産婦人科医がいなくても、助産婦さんと呼ばれる専門家が付き添っていなくても、妊婦が自分で出産し、血だらけの赤子をきれいにふき、後産(あとざん)の始末をする、それを夫がかいがいしく手助けする光景は日常的なことであったのかもしれません。現代人のようにすべて他人任せ、きれいになった赤ちゃんを人形のように抱く光景とはきっと異なっていたことでしょう。私も家内の出産に際して、なにもできず「うろうろせず部屋にじっとしていてください」と看護師に注意されたことを思い出します。いずれにしろ私たちはルカの記述のゆえに、キリスト誕生のおおよその年代(BC)を知ることができます。神の御子キリストはこうして誕生し、私たちの歴史の中に足跡を印されたのです。

2 歴史の片隅で

神の御子、救い主の誕生に際して、ルカはヘロデ大王、ロマ皇帝アウグスト、シリア総督クレニオという当時の名高き政治的軍事的支配者の名を記します。まさに彼らが世界を支配していました。民衆は彼らの動向に注目し、時には尊い、時には権力を恐れ、時には憎しみと反発を抱きました。それにくらべてガリラヤの片田舎で石大工として暮らすヨセフと妻マリアはあまりにも無力で小さな存在にすぎません。

皇帝が王宮を構える帝国の中心地、世界の都ローマ、王や総督が住む地中海沿いの大都市カイザリア、荘厳な大神殿を支配する大祭司の住む都エルサレムに比べれば、ガリラヤのナザレも、ユダヤのベツレヘムも取るに足りない小さなひなびた寒村に過ぎませんでした。

しかしそんな隠れた世界の片隅で世界の歴史をひっくり返す、偉大な王、神の御子キリストが人知れず静かに誕生したのでした。

2000年経った今日でも、救い主キリストの誕生を知っている人の数は決して多くありません。クリスマスはサンタクロースの誕生日だと誤解している人もいます。クリスマスはプレゼントをもらってケースを食べてジングルベルを楽しく歌う特別なパーティの日だと思っている子供も多くいます。デパートのバーゲンセールやクリスマスセールの日だと気合をいれている女性たちも多くいます。

この世の喧騒から神はご自分の御子キリスト隠されました。それゆえにキリストは「狭い門から入りなさい」(マタイ713-14)と呼びかけておられます。

イエス様は多くのたとえ話を語られました。最も小さなからし種がやがて大きく成長していく譬え(マルコ431)や畑の土の中に宝物を見つけた農夫が全財産をかき集めて畑を買ってしまう譬え(マタイ1344)や一粒の高価な真珠を見つけた商人が他の宝石類をすべてを売り払ってでもその一粒の真珠を得ようとする譬え(マタイ1346)などは、いつの時代であっても私たちが隠れた場所におられるキリストを捜し求め続けていく大切さを教えています。次週で学ぶことになりますが、羊飼いたちはベツレヘムの村の一軒一軒訪ね、「ついに探し当て」(16)、家畜小屋で眠る救い主と出会うことができました。救い主と出会うために、どんな労苦をも惜しんではなりません。犠牲を惜しんではなりません。キリストはあなたの人生で最も価値ある存在であり、すべての持ち物と引き換えてもなお余りある高価な一粒の真珠だからです。

3. 飼い葉おけに眠るキリスト

ベツレヘム近郊では人々は天然の洞窟を家畜小屋がわりにしていたようです。安上がりで安全で暖かいからです。ですから飼い葉といっても岩をくり抜いてくぼみを作っていた可能性も考えられます。私たちがイメージする美しい童話のような馬小屋の光景とはかけ離れています。そもそも家畜小屋や馬小屋は掃除が行き届かなければ不衛生な場所といえます。母親はそんなところにわが子を寝かせようとは決して思わないことでしょう。約束されていた「いと高き方の子」「ダビデの王座に就く方」がこのような厳しい誕生を迎えるとはマリアにもヨセフにも思いもよらなかったことでしょう。

ルカは神の御子キリストの誕生を徹底的に神の栄光をどこにも見いだせないような状況の中で描きます。宿屋の客間には暖があり光がありますが、ここには寒さと一本のローソクの炎しかありません。このお方が王宮に住む政治的な王ではなく、十字架の道を歩まれる苦難のメシアであることを最初から伝えるためです。武力や富で世界を支配する王ではなく、十字架の愛をもって世界を治める永遠の王となるためです。
ナポレオンが「余は剣をもって世界を支配し、そして剣で敗れた。しかしキリストは愛で世界を支配し、その国は永遠に続いている」と語ったことばが心に響きます。

コロナ禍の中で迎える2020年のクリスマスは、今までとは違うクリスマスとなることでしょう。あらためて思い巡らしましょう。

神の御子はどこにおられるのでしょうか。どこに身を隠しておられるでしょうか。

まことの王なる救い主は煌びやかな宮殿や荘厳な大神殿の中にではなく、質素な飼い葉おけの中に眠っておられたように、キリストは教会の真の礼拝の中に隠れておられます。

キリストは「すべて疲れた者、重荷を負っている者は私のもとに来なさい」(マタイ1128)と礼拝へと招いてくださっています。

そして求める者の人生に神の愛を示し、その行く道をいのちの光で照らし、インマヌエルの神となって生涯ともに歩んでくださるのです。

「神、われらとともにます」これこそが私たちのそして教会の宝ではないでしょうか。

 

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