2004年 4月のメッセ−ジ   

 

「しかし、今やキリストは、眠ったものの初穂として死者の中からよみがえられました」(1コリント1520)

4月11日の日曜日を、キリスト教の暦では「復活日」(イースター)と呼びます。十字架にかかり私たちの罪のために、身代わりの刑罰を受けて死なれたイエスキリストが、お約束通り、三日後に死の力を打ち砕いてよみがえられたことを、お祝いする記念日となっています。

およそ2千年の歴史を持つキリスト教会が立つか倒れるか、その命運は「キリストの復活」の歴史的事実にかかっています。キリストの復活が「あったらしい」のではなく、 キリストの復活があったと「弟子たちが思い込んだ」のでもなく、キリストは死の力を打ち砕いて復活されました。この事実を、弟子たちは目撃し 体験したから、「証言」し「記録」しました。

この証言は常識では受け入れがたい事実ですから、理性を犠牲にしなければ認めがたいという抵抗感がおきても当然の反応だと思います。

しかし、まさに「ありえない」と否定せざるをえないその事実そのものが、キリストが一人の「歴史的人物」であったばかりでなく、「まことの神」であることの決定的な証拠となっています。なぜなら、人間は誰一人として「死と死後の裁き」から逃れることはできず、死の力は一人の例外も許さず全人類を支配しきっているからです。もしその絶対的な死の力を打ち破って「復活」されたとしたら、キリストは、「まことの神」いがいではありえません。死は神に勝つことが不可能だからです。

死に勝利したまことの神であるキリストが、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)と、はっきりお約束をしてくださいました。

肉体の死を迎えても、なお永遠のいのちの世界があり、この地上の生活においても、日々「新しい豊かないのち」に生かされることができるのです。ですからどんな人生の試練の中からも、どん底の状況からも、絶望しかない境遇からも、復活することができ、出直すことができるのです。キリストの復活が、キリストを信じて歩む者たちの、明日を切り拓く希望の源となっているからです。

       4月11日の「イ−スタ−礼拝」にお気軽にお越し下さい。心から歓迎いたします。


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