5月のメッセ−ジ   2003年

 

「むしろ死者の中から生かされた喪のして、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」
(ロマ6章13節)

福岡市南区の桧原地区は桜の名所として市民の憩いの場所となっています。

 今から十九年前、池のほとりの幅四メートルほどの細道の両側に九本の桜の老木がありました。宅地開発に伴う道路拡張工事のためにそのうちの一本が手始めに切り倒されてしまいました。

 地元の銀行員であった土居善胤さんは伐採されてゆく桜を惜しみ、桜が開花するまで待ってほしいとの願いを込めて歌を記した紙を桜の幹に結びつけました。

「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え」 花守り進藤市長殿

この歌を早朝のジョギングで見た九州電力社長が部下に善処を依頼し、彼は知り合いの西日本新聞記者に取材を打診しました。新聞で報道されるや否や多くの市民からも賛同する歌が寄せられ桜の幹に結び付けられました。

「花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は」と、市長も桜の木に返歌の短冊を吊しました。そして市議会に協力と理解を求め、予算を組みなおし、池を埋め立てて道路を拡張し桧原の桜並木を守ったのでした。

その後、福岡市は市のマスタープランとして「花と緑の国際都市づくり」を目指し、福岡を一年中、桜が咲く桜の町にしようと、積極的に植樹運動を進めたのでした。

一人の市民から始まった「花守り」運動は大きなうねりとなって市全体を動かし、桧原の桜は最後の桜ではなく、桜を愛する人々と共に咲く永久の桜となりました。

土居さんも電力会社社長も新聞記者も市長もそれぞれの仕事の責任を果たしながら、なお豊かな心をもって桜を守ろうとしました。

復活されたイエス様はペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と牧会と教会形成の働きを託しました。私たちもこの世の仕事をまっとうしつつ、イエス様から守るようにと託された「福音の宣教と教会形成」の働きを担ってゆきたいものです。

(4月30日 礼拝説教)