4月のメッセ−ジ   2002年

「よみがえられたキリスト」 

「しかし今や、キリストは、眠ったものの初穂として死者の中からよみがえられました。」
(第1コリント15:20)

春が到来し桜も満開となりました。久しぶりになら公園に出かけましたが、無数の雀が桜の枝にとまり、花を食べていました。下にこぼれ落ちた桜の花を今度は鹿がたくさん集まってきて食べていました。雀も鹿も桜の花を食べるとは思いもよりませんでした。「春を食する」のは人間だけではないようです。

キリストの復活を記念する日をイ−スタ−と呼びます。自然界を命で輝かせる「光と春の女神」(エアストレ)が語源だそうです。ロ−マの春祭りがやがて人類に永遠のいのちの輝きと希望をもたらしたキリストの「復活」の日とされ、世界中の教会で祝われているのです。

電車の中で高校生の一団が「キリストが復活したなんて信じられなぇな。まるで漫画だな」と、ひそひそと話しているのが聞こえました。しかし、キリストは事実、死者の中から復活されました。

復活を通してキリストは、人間ではなく「神」であること、マリアとヨセフの子ではなく「神の御子むであること、いた聖な4大聖人の一人ではなく「人類を罪と死の滅びの運命から救い出す権威を持つまことの救い主」であることが明らかにされたのでした。

もしキリストがよみがえられなかったなら、人類を悩ませてきた罪と死の問題は永久に未解決のまま残されたことでしょう。少なくとも私たち日本人は27万以上もある宗教法人と名前だけでも80万以上はあると言われている神仏の中に救いを探し続けなければならなくなります。キリストの復活がなければ、「永遠の命」や「天国」という言葉も中身のない空虚なものになってしまいます。

さて日曜日の早朝、よみがえられたキリストは墓の前で泣き崩れているマリアに向かって「おはよう」と声をかけてくださいました。それは「喜びなさい」という意味です。


どんなにつらい悲しみの夜や眠れない絶望の夜をすごしたとしても、朝には復活されたキリストが「おはよう」と語りかけ、新しい1日をご用意してくださり、ともに歩んでくださるのです。そうです、キリストはあなたと今日を生きるために、よみがえってくださったのです。

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」
                             (ローマ4:25)

恵み深い神様からの赦しといのちの贈り物をあなたもお受けになりませんか。


2002年4月7日