7月のメッセ−ジ   2001年

「和解と平和に生きる幸い」

 「 これらのことはすべて、神から出ているのです。神はキリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の努めを私たちに与えて下さいました。」
           (2コリント5:18)

1 和解のことばと努めを担う教会

和解の努めとは、キリストの十字架の赦しによってもたらされた神との和解と交わりを指しています。まことの神を無視し、神に背を向けて生きてゆこうとする人間の傲慢さのゆえに、聖い神との間に断絶が生じ、神の悲しみと痛みになりました。一方、人間は自分の知識、経験、力だけで人生を歩むことになり、重荷を背負い込み、疲れと空しさと生きることの意味の喪失に苦悩するようになりました。

神との和解は、自分を愛おしみ受け入れる喜びに導かれます。自分をありのままうけいれることができるとき、始めて他者のいのちとその存在を尊重し、愛するという真実な和解と信頼関係に導かれます。クリスチャンと教会はそのような召しに招かれたのです。

2 歴史教科書問題とアジアの人々との和解

「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆した中学歴史教科書が、文部科学省の検定に合格し、来春から中学校での採択が可能となりました。この歴史教科書は、天皇を中心とした神の国である日本の歴史と伝統を重んじ、誇りと自信を持つことを強調し、かつてのアジア太平洋戦争を、アジアの国々を欧米諸国の支配から解放するための戦争であると美化し、あえて大東亜戦争と称し、その侵略性を否定しています。国家主義的な思想に貫かれた教科書として、検定前から中国、韓国から激しく非難され、国際問題となっていました。

国内でも、「戦争をすることができる普通の国にするための教科書」と批判され、中学生たちに一方的にこのような皇国史観や戦争肯定観が教え込まれることが懸念されています。さらに、つくる会の実体が「右派ナショナリストによる統一戦線運動」という政治的な組織運動を形成し、全都道府県に支部を持ち、活発に活動していることも見落としてはなりません。

過去の過ちを認め、謝罪し、未来への教訓とすることは、つくる会が主張するような「自虐的」行為ではありません。事実を直視し悔い改めることは自虐ではありません。事実を歪曲したり、否認したり、ごまかしたりする大人の不誠実な態度が、政治不信や人間不信をもたらしているのだと思います。

聖書が教える「悔い改め」は、両者の対立と憎悪の溝を埋め、対話を深め、信頼関係を醸成する真実な力となり、人間としての誇りと尊厳をもたらすのです。

ドイツとポ−ランドは、30年間に渡って共通の歴史教科書を作るために、共同研究と作業を進め、歴史認識を共有化し、真実な国際関係を築きました。ウッパ−マンは「教科書は歴史をつくる。国家間の溝を深くもするが、敵を味方にし、橋を創り、互いの国民を行き交いもさせる。」と論じ、歴史教科書を友好の架け橋とすることを提唱しています。今、日本と韓国の大学間で、歴史を共有するための学問的な研究が忌憚なく見解を語り合う中で進められているそうです。

身近いでありながら遠い国であるアジアの国々の人々との和解の橋づくりを草の根のレベルで積極的に進め、和解のことばと努めに生きてゆきたいものです。観光やスポ−ツ以外にもきっと私たちは学び合うこと、分かちあうことが多くあると思います。

2001年7月1日

(関心のある方は、「歴史教科諸問題に関する礼拝説教」をご覧下さい。)