9月のメッセ−ジ


私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこからくるのだろうか。
私の助けは天地を造られた主から来る。
(詩篇121篇1節−2節)

1 弱さを通して学ぶ真実

私たちは人生で自分の弱さ、はかなさ、無力さに直面させられることがあり、思わず神様に助けを仰ぐときがあります。人間関係でゆき詰まり悩むとき、体の弱さを覚え精神的な不調に陥るとき、仕事や事業に失敗したとき、他人の中傷やいわれなき非難にさらされるようなとき、あるいは死の淵にたたされるようなときなど・・。

今まで自分の努力がすべてだと思っていた人にとって、神の助けを仰ぐことは愚かなこと、自分のプライドが許さないことのように思えるかもしれません。けれどもありのままの自分を知り、受け入れることは意義深い人生を生き直す大切なタ−ニングポイントとなる可能性があります。

第1に、自分の無力さを知ることによって、周囲の人々に支えられて生きている自分を知り、感謝するようになるからです。ありがとうと素直に言える人になれるのです。自己中心になっているときは、まわりの人々の愛や思いやりが見えなくなって、不満ばかりが口に出てしまいます。自分一人で生きているのではなく、私たちはお互いが支えられて生きているという大切な真実を見失ってはなりません。

第2に、自分の無力さを知ることによって、自分の人生を導いている大きな存在への畏敬の念がわいてきます。自分の存在を越えた目に見えない大きな力に導かれているみずからを知ることによって、謙遜になることができるからです。謙遜とは、自分を越えた大きないのちの力、大きな存在に身を委ねることを学ぶことといえます。このことを学ぶとき、私たちはこざかしい人間のはかりごとから解かれ、天に身を任せることができます。

2 古代エジプト人の知恵

古代エジプト人はナイル川の氾濫という自然の脅威と共存しながら独自の文明を発展させてきたそうです。中国では「黄河を征する者は天下を征する」といわれました。しかしエジプト人は、治水工事によって自然を克服する道ではなく、ナイルの自然と共存する道を選びました。ナイルの氾濫という自然の脅威を、神の恵みとうけとめむしろ感謝したのでした。洪水で農地が水没する間は、国家の公共事業としてのピラミッド建設に労働者として従事しました。氾濫が治まれば、上流から運ばれてきた肥沃な土が堆積した畑で農業に励むことができました。こうしてエジプトは世界の穀物倉庫と呼ばれるほどの豊かな収穫を毎年得ることができたのです。

あのカイロ近郊にある大ピラミッドの石も、ナイル川の氾濫を計算して上流で切り出され、つぎつぎと船で岸まで運んで荷揚げしたそうです。まさにナイルと共にピラミッドは建設されたのでした。

3 天地を創造された神に信頼する

創造主である神の大きな力に人生を委ねて、神の御心と共に生きることを「信仰」といいます。恵みに満ちた神様の前に謙虚になることも、私たちのすぐれた知恵のひとつではないでしょうか。人間の知恵と力は限りがあり、はかなくもろいものです。人生の本当の力は、天地を創造された神様のもとから来ます。人生を導かれる神様の大いなる助けがそこにはあります。あなたは何に目を向けますか。天地の創造主に信仰の目を向けるならば、あなたは人知をはるかに越えた神の助けと慰めを受けることができます。