敬老礼拝  アブラハムの75歳の出発

  主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの
  父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあな
  たを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとし
  よう。あなたの名は祝福となる。(創世記12:1-2)


                         2006年9月17日(日)

御長寿おめでとうございます。本日の敬老礼拝には、宇治教会の高齢者の集い「つぼみ会」に出席しておられる方々も出席してくださっています。

さて、2006年度の人口調査によれば全国で100歳以上の長寿者は2万8395人、男性は4150人、女性は24245人、最年長は福岡県に住む明治26年生まれの皆川ヨネさん113歳だそうです。最近はお元気な老人も増えてきましたので、私たちは何歳から老人と呼んだらいいのが躊躇します。老人福祉法では70歳から老人と規定していますが、一般には年金が給付される65歳以上を高齢者と呼んでいます。統計によれば65歳以上の高齢者人口は2640万人、総人口の20.7%にあたります。さらに50年後には高齢化率は36%に達し、3人に1人は65歳以上という「超高齢社会」へ突入すると予測されています。

敬老の日は最初「おとしよりの日」と定められましたが10年後の1964年に「敬老の日」と改められました。英語では「グランドペアレンツデイ」というそうです。人生の先輩者たちを敬う敬老精神を養い、高齢者が住みやすく安心して住める街づくり、高齢者にやさしい地域社会を形作ってゆくことがこの敬老の日の趣旨だと思います。

旧約聖書では「白髪は輝く冠、神に従う道に見出される」(箴言16:31)「力は若者の栄光、白髪は老人の尊厳」(箴言20:29)と教えており、ユダヤ社会では老人への尊敬の念が大変強調されていたことがわかります。さらに「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。私は主である」(レビ19:32)と、敬老の精神はそのまま神を畏れ敬う敬虔な心と通じています。高齢者を尊ぶことは、神を敬い畏れることと同じであるととらえたところが、信仰に生きるユダヤ社会のすばらしさです。宗教心が軽薄な社会においては、「敬老精神」は「軽老精神」にすりかわってしまうことでしょう。

「お年寄りと子供を大事にしない国や社会は滅びる」という言葉があります。教会においても高齢者と子供たちを大切にし、快適なやさしい環境設備を整えることを前向きに祈ってゆくならば神様はきっと祝してくださることでしょう。教会が「高齢者とこどもにやさしい教会」をめざしてゆくことによって少子化・高齢化社会においてますますその存在意義を高めてゆくことができるのではないでしょうか。

1 加齢への対応

加齢とともに避けられないことがあります。東大医学部教授の古川敏之先生が「高齢化社会の設計」という本の中で「楽しい老後などはない。身体機能は確実に低下するからだ。象は老衰で死ぬのではなく歯が磨り減って食物を摂れなくなって餓死するのである。また知的機能は60歳までは減退しないが、85歳以上では30%は痴呆になる。精神的には周囲への関心が減って、現実しか信じなくなり、心の冷えのようなものが現われてくる。」老人特性を記しています。周囲への関心や興味の低下、感動の薄さなどは「うつ病」の特徴でもあり、しばしば痴呆だと周囲が思っていたら老年性うつ病であったというケースも多く報告されています。古川先生は長寿のための健康面の安全因子として「血圧が低いこと。やや太り気味であること。たばこをすわないこと、外の世界に積極的関心を持つこと」の4つを挙げています。さらに精神面からは「定年後の人生に上昇気流などはないのだから、競争心や独占欲をすてて、優雅に遊びを楽しむべきである。遊びとは長寿によって受ける長い自由な時間を利用して「文化の育成に貢献し、生き生きとした証を残すこと」と結論づけています。

加齢とともに伴ってくる機能的低下などの避けられない事柄に対しては争わないで受け入れてゆくことがとても大切だと思います。「昔はこんなこともできたのに」と過去の自分と競争して争わないことも大切ではないでしょうか。高齢者に対する総合的な医療・福祉対策、寝たきり老人ゼロ作戦、施設整備の推進など、厚生労働省も様々な福祉ビジョンを打ち出していますが、大切なことは制度や施設の充実もさることながら、一人ひとりの老人が、「お世話される」という受身型の人生を生きるのではなく、積極的にさまざまな文化活動にすすんで参加し、自分の世界をできるかぎり広げてゆく「心のありかた」が求められていると思います。

2 75歳からの出発

聖書の中にアブラハムという人物が登場します。彼は「75歳から」人生を再出発しました。アブラハムはメソポタミのカルデアのウル地域に住む有力な部族長の1人で、羊を飼って生計をたてる遊牧民でした。ある日、神様から偶像の充ちたウルから離れ、私が示す地へ行けとの示しを受け、1族を率いてカナンの地に向け「行き先も知らないで」旅立ちました。常識的にいえば「75歳の老人に一体何ができるだろうか」と首をかしげることでしょう。75歳からいったいどんな人生をやりなおすことができるというのでしょう。人生をやり直すにはあまりに年をとりすぎたと思われるかもしれません。あとはのんびり余生をお茶でもすすって過ごせばいいのではと考えたくなります。しかし、神様は75歳のアブラハムを「神の大いなる働き」のために召されました。高度なメソポタミや文化の中で見につけた数々の先進技術や科学知識、若き日から族長として一族を束ねてきた経験、それらが75歳になって結実して神様に豊かに用いられようとしているのです。神のお働きに用いられるのに「年齢」は問題ではありません。「さあ、行きなさい」という神様からの「召し」が大事なのです。神様があなたを選びだし、神様の御用のために召された、このすばらしい「召命」が75歳からの出発の力だったのです。

神様はあなたをあたらしい人生に召してくださっています。そこで大切なことは私たちのがわが信仰をもってお応えすることです。アブラハムは全能の神様の呼びかけに答え、歩み出しました。しかも「行く先を知らないで」ただ全能者なる神様への信仰によって、進み出したのでした。全能者なる神様への信仰が生きて働き出すと、大いなるチャレンジに対しても臆する霊ではなく、「力と愛と慎み」に満たされて進み出すことができるのです。

3 祝福の源とされて

どのような目的のためにアブラハムは神様から召されたのでしょうか。神様はアブラハムを「あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたを祝福の源とする」と約束してくださいました。さらに「あなたを祝福する人を私は祝福する」とも約束されました。神様はアブラハムと妻サラの子孫を大いに増し加え、一つの民族を産みだし、神の民イスラエルの中からやがて全世界を「罪と死と裁き」から救い出す「救い主・メシア」を起こそうと御計画されたのでした。子供ができなかったアブラハム夫妻でしたが、25年後、アブラハムが100歳、妻が99歳のとき、待望の嫡男イサクが与えられ、イサクの子供ヤコブからイスラエル12部族が誕生し、イスラエル民族として人類の歴史の中で扇の要のような役割を果たすようになったのでした。

聖書は「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」と(使徒16:31)約束しています。人類に与えられた祝福とはイエスキリストを指しています。神様からの人類への最高の贈り物はイエスキリストなのです。さらにイエスキリストが与えることができる祝福は、キリストを信じるならばすべての「罪とのろい」から解放され、祝福の中に生きることができるのです。

「罪の支払う報酬は死です。しかし神の下さる贈り物はイエスキリストにある
永遠のいのちです」(ロマ9:11)。

アブラハムの本当の人生は75歳から始まりました。彼は175歳の長寿を全うしましたが、彼の人生は75歳までのこの世の生活、25年間の待ち望みと訓練の生活、75年間の充実した喜びの生活の3つに大きく分けることができます。そして彼の本
当の豊かな人生は75歳から始まったのでした。
まことの神を信じ、まことの救い主なるお方ととも新しい人生を歩むことに「もう遅すぎる」ということは決してありません。

イエスキリストを信じるならばあなたが祝福の源になることができ、他の人々を神様の祝福に招き入れることができるのです。あなたの夫や妻、あるいは息子や娘、さらに孫息子や孫娘のために神様の祝福と救いが注がれますようにと祈ることができるのです。まだまだあなたには大切な大きな価値ある霊的な仕事が残されているのです。あなたがあなたの愛する若い家族のために祈りをもって神様の祝福を求めるならば、神様は祈りに答えてくださることでしょう。

アブラハムは神様の召しを聞いて75歳から人生を新しく歩み出しました。あなたがイエス様の声を聴いてイエス様を信じ、心にお迎えするならば、あなたもまたアブラハムのように新しい人生に歩み出すことができ、全能者なる神様はあなたを「祝福の基」としてくださることでしょう。75歳からの人生にも大いなる可能性が神にあって隠されているのです。

古川先生が提唱する「文化の育成に貢献する」生き生きとした生活が、信仰生活の中には存在しています。教会はお互いがそのように隣人のために貢献しあう、つまり愛し合う場となるのです。キリストとともにあなたの新しい人生を出発しませんか。全能者なる神様の豊かな祝福を心よりお祈り申し上げます。

「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」(詩103:3-5)