「今日、ダビデの町であなたがたのために、救い主がお生まれになりました。このかたこそ主キリストです。」
(ルカ2:11)

皆さん、クリスマスおめでとうございます。
クリスマスは神の御子イエス様のお誕生をお祝いする特別な祝日です。

さて皆さんの家にもクリスマスツリーが飾られていることと思います。一番上の星は、イエス様が誕生したとき東の国の博士を導いた大きな星を指しています。人はみな神さまに導かれて救い主と出会うことを意味しています。私たちの人生は見えない神の御手に導かれているのです。鐘は救い主がお生まれになった喜びを世界中の人に告げる喜びのしるしです。もみの木の緑の葉は永遠の命、金や銀の玉はイエス様がまことの神であることを表しています。赤い玉はイエス様が身代わりとなって死んで私たちの罪を赦して下さった十字架の上で流された血の色をあらわしています。きらきら光が輝くのは、暗い世界の中に希望の光がイエス様のもとから輝き出ることを意味しています。プレゼントの小箱は神様の愛が人類に届けられたしるしです。このようにクリスマスツリーはイエスキリストの救いを象徴的にあらわしています。

イエス様はアジアの西の果てユダヤの国のベツレヘムという小さな村でお生まれになりました。そのとき野原で羊の見張りをしていた羊飼いたちに、天使が空から現れて「今日、あなた方のために救い主がお生まれになりました。このかたこそ主キリストです」(11)と伝えました。キリストということばは「救い主」と日本語に訳されていますが、私たちを病気や怪我から救ってくださるというだけでなく、罪の力と罪の裁きから私たちを救い出して、天国に連れて行ってくださることができるただ一人の神様という意味をもつことばです。ですからイエスキリストというのは、「イエス様は救い主です」という意味になります。救い主の誕生が最初に羊飼いに伝えられたのは2つの理由からでした。

1 彼らは最も貧しい人たちだったからです。

羊飼いはとても貧しい人々たちでした。お金がないので家に住むこともできず洞穴に住んでいました。お腹をすかせていつもひもじい思いをしていました。病気になっても医者にみてもらうことができず、お薬だって買えませんでした。ですから救い主の助けを誰よりも必要としていたのです。

今日でも世界中に貧しい人たちがいます。発展途上国では1日3万5千人の子供たちが飢えと病で死んでいます。貧困と絶望は戦争やテロ行為に人々の心を向かわせ、悪の連鎖反応を引き起こす可能性が高いことが報告されています。私たちに分かち合う心と愛があれば、少なくとも多くの子供たちのいのちを救うことができます。ちなみにタイの孤児院では10万円あれば4人の子供たちの食費、生活費、学費のすべてが満たされるそうです。ですから私たちの教会では子供たちが毎年お年玉の一部を国連児童基金ユ二セフに送っています。このように幼いときから、分かち合う心を学ぶことはとても意義深いことだと思います。貧しさから罪を犯す悲しみから守られるように、救い主イエス様の存在が羊飼いに伝えられたのです。

2 彼らは人々から見捨てられていたからです。

「人口調査のために住民登録をせよ」とのロマ皇帝からの命令がだされ、貧しい大工のヨセフでさえ生まれ故郷のベツレヘムに戻ってきました。しかし羊飼いは人口調査の対象からはずされていました。国民としてわざわざ登録するまでもないと差別され無視され見捨てられていたのです。人間扱いされず羊と同列にみなされていたのです。お金がなくて貧しいことは辛い事ですが、無視されることはそれ以上に彼らの心を踏みにじり苦しみを与えたことでしょう。

人から差別され、無視され、相手にされないことほど辛いことはありません。昔、中学1年生の女子がいじめられて自殺をしました。彼女の遺書には「ねえ、この気持ちわかる。組中からさけられてさ わるくちいわれてさ」「許さへんよ」と書かれていました。いじめられ人を憎んだままわずか13歳でいのちを閉じてゆくこれほど悲しいことがあるでしょうか。

仲間からのけものにされるばかりでなく、お父さんやお母さんから愛されなくて虐待されている子どもも多くいます。大人になっても心の空しさが埋まらず激しく愛を求めて苦しんでいる人、精神的に病んでいる人も決して少なくありません。人間の大きな罪の一つは、差別したり無視したり拒否したりする「愛を失った心」にあります。

人から忘れられたような羊飼いでしたが、神さまは彼らを決して見捨てることも見放すこともなく愛してくださり、最初に選んでくださいました。彼らこそ世界で最初に救い主イエス様から招待される特権に預かることができたのです。たとえ社会からすてられ、親兄弟から見放されても、共に裏切られたとしても、救い主イエス様は決してお忘れにはなりません。

どうでもいい存在、頭から数に入れてもらってない存在、忘れられている存在のような羊飼いでしたが、イエス様は特別な存在とみなしてくださっています。
「わたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ434

クリスマス、それはあなたがイエス様から特別な存在とみなされ、愛され、永遠の命という特別の贈り物を与えられた喜びの日です。

御使いの知らせを聞いた羊飼いが大急ぎで馬小屋の飼い葉おけの中で眠るイエス様のもとに駆けつけたように、あなたも大急ぎで救い主イエス様のもとに来て、救いといのちをお受け取りになりませんか。天の神様はあなたをイエス様のもとに招きたいと願っておられます。あなたが特別な存在だからです。

                   祈り

神様からの大きな愛といのちが贈られたクリスマスの日に共に集うことができて感謝します。イエス様のもとに駆けつけた羊飼いのように、わたしたちもまずイエス様のもとに進み、礼拝をささげることを学ばせてください。