敬老の日・特別礼拝                        2001/9/16

「人生の四季を生きる」
伝道の書3:1〜14

私たち日本人は春夏秋冬、四季折々の自然の美しさを楽しみ、旬の味を味わうこともできます。赤道付近では、「雨期と乾期」の2シ−ズンしかないと言われています。日本人の繊細な感性も麗しい四季の変化の中で培われてきたと言われています。さて、スイスの有名な精神科ポ−ル・トルニエは人生を四季になぞって、4つの年代区分をしました。

春 0〜20歳 準備の期間将来や仕事のことを準備する学生の時代
夏 20〜40歳 活動の期間 社会で活動したり、結婚・出産・育児に携わる時代
秋 40〜60歳 収穫の期間 活動の結果を収穫する時代
冬 60〜80歳 成熟の期間 人生の中で一番の成熟を迎える時期

人はみなどこかの期間に属しています。もっとも実際の年齢と精神年齢が大きくずれている人もあり、若いのに「若年寄り」「ご隠居様」「お局様」と呼ばれる人もいれば、90才になっても「私はまだ老人会にはいるほど年とっちゃいませんよ」と元気一杯の方もおられます。とはいえ、人はみなそれぞれがそれぞれの人生の季節を歩んでいます。

人生に四季があるなら、それぞれの季節で乗り越えてゆく課題もあります。     
1)春の季節の中心は、思春期です。子供たちは少年少女となり親を離れ、自立への道へと踏み出し、自分捜しの旅に出ます。別名「嵐の時代」と呼ばれるように、大人になるための様々な苦闘を経験します。引きこもり、登校拒否、家庭内暴力、非行、性犯罪と言った精神的な問題もあれば、受験戦争という社会問題もあります。本人にとっても親にとってもデリケ−トで難しい季節です。またこの時期にする決断が人の一生に大きく影響しますから、とても大切な期間と言えます。今年、敬老の日を迎えた方々はこうした人生の春の季節の日々を戦争の苦難と戦後の混乱の中で過ごされた方々であり、誰よりも深い悲しみと試練に耐えながら、今日の日本社会を築き上げてこられた方々です。心からの敬意をささげたいと思います。形式だけの「軽老の日」であってはなりません。

2)夏の季節の中心は、結婚です。特に女性は、結婚・出産・育児という新しい第2の人生へと歩みだします。誰と結婚するか、あるいは独身でゆくか、大きな決断を求められます。男性は社会において活動し仕事中心の生活が始まります。と同時に激しい競争世界のただ中に投げ出され、「男子1歩外に出れば7人の敵がいる」と言われるほどの厳しい環境に突入します。中には家に帰れば「8人目の敵がいる」という悲惨な男性もいます。

3)秋の季節の中心は、社会的地位と責任です。収穫の季節にふさわしく職場でも責任ある重要なポジションにつき、高収入を得、社会的な安定を果たしますが、オ−バ−ワ−クになりやすく、「過労死」という和製英語まで作り出される程多忙を極めます。そのため大きなストレスが心身に重くのしかかり、「うつ病」などにもかかりやすい時期です。どうしても家庭が疎かになり、夫婦のコミニュケ−ションが不足し不満が鬱積し「家庭内離婚」といった危機も生じやすくなります。特に最近では構造不況による倒産やリストラで大量失業者が出て、秋の季節を楽しむどころか木枯らしが早くも吹きすさび、落ち葉となって舞い落ちてしまうような厳しい環境となりつつあります。女性の場合も、子育てを終えた後の虚脱感に襲われ、「空の巣症候群」と呼ばれる憂鬱状態に陥ったり、更年期生涯で悩まされる季節に差しかかります。この時期には、自分の心身をコントロ−ルする成熟さが必要となります。その意味で生きるのに難しい季節でもあります。

4)最後は冬の季節を迎えますが、その中心は「老いと死」の問題です。すでに秋の季節遅くには、順次、自分の親を見送るという肉親の死を経験することになります。しかし冬の季節には確実に自分自身の老いと死に向き合わざるを得なくなります。そして長い間、人生をともに歩んできた伴侶との死別を経験しなければならならないさみしい孤独な季節です。大概の男性は奥さんより早く死ぬだろうと思ってますから、自分が残されるということを想像していません。ですからたいへんな落ち込みを経験すると言われています。一方、女性の方は普段から覚悟はできているようですから以外と死別の喪失体験に強いといわれています。最近の女性は、長生きで達者ですから、ご主人を送って一人身になった後、寂しさにうちひしがれるどころか、「さあ、やれやれ。これからの人生、しっかり楽しまなくっちゃ」と、生き生きと「第3の人生」を謳歌される方も多いそうです。とはいうものの、やはり冬の季節の中心課題は、「老いと死」にどのように向き合ってゆくかであることは間違いありません。
 老いと死にどのように向き合えているか、あるいは向き合えたか。それがそのまま、その人の「冬の季節の人生の質」となります。そして人生の長さではなく、人生の質を豊かに高めることができた人は、真実な意味で幸福な人と言えます。

教会で過ごす敬老の日は、私たちが「人生の冬の季節」の大きな課題である「老いと死」に対して、人生の先輩たちの生き方から学び、自らの「老いと死」に備えるためにあると言えます。私たちは教会において、人生と信仰の先輩である兄弟姉妹と聖書から学ばせていただくことができます。もちろん私たちは、若くして病気や事故で一足飛びに冬の季節を迎え、人生を閉じてゆかれた愛する兄弟姉妹たちからも多くを学ばせて頂きました。しかし、何よりも今、人生の冬の季節を信仰をもってイエス様とともに美しく歩んでおられる方々からさらに多くを学ばせていただけることを心から感謝したいと思います。

箴言16:32に「しらがは栄えの冠である。正しく生きることによってそれが得られる」とあります。美しく老いることは人生の冠、つまり豊かさです。そして教会に多くの老信徒がおられることは教会の冠、教会の豊かさでもあります。老信徒たちとの交わりと祈りの中でこの豊かさを分かち合わせて頂きましょう。

 さて聖書が私たちに教えている「老いと死」から今日お伝えしたいことがあります。

 第1に、聖書は人間の寿命を「120年」(創6:3)と教えています。ですから、120歳までは聖書的にはまだ「長生き」ではないのです。人生は50年でも、80才でもありません。神様は120才まで祝福しておられるのです。モ−セは80歳過ぎてから出エジプトの御業を託されました。ヨハネもおそらく8〜90歳代で福音書や黙示録を記しました。彼らはそれでもまだ余力を残していました。神様にお仕えする奉仕の人生、神の御国の祭司として召されたクリスチャンの奉仕に「引退」の2文字はありません。生涯クリスチャンは現役です。祈りの勇士の一人として、背後で祈り続けて頂きたいと願います。これから日本はどんどん高齢化社会に突入してゆき、信徒の働きはいよいよ広がることでしょう。宇治教会には、「新会堂建設」というまだ実現していない大きなビジョンもあるのですから、ご奉仕の生涯を歩み続けて頂きたいと願います。

 第2に、体の健康とともに霊的な健康に留意したいと思います。精神科医の柏木哲夫先生が、「真の意味で、私たちが健康になるためには、身体的、精神的、社会的、霊的な健康の4つの面で健康になる必要があります。また最後の霊的健康が他の3つの健康に大きく影響を及ぼすのを、最近、医師としての私の経験から特に感じさせられています」(人と心の健康 P94いのちのことば社) と指摘されています。体はどうしても年とともに病んできます。体が病気になれば心も疲れ、精神的に病み、落ち込んだりイライラしたり、うつに陥ることも十分考えられます。病気や体の衰えは当然ながら仕事からの縮小、引退をもたらしたり、社会からのひきこもりを招き、社会的な健康度を大きく損ねることになります。

 ある意味では体の老化とともにこれらは避けられないことです。ところで、霊的健康というのは、神との正しい関係の中で平安を与えられ罪から解放されて神を大いに喜ぶという安定した状態を指しています。この霊的な健康は、罪の赦しによって常に回復され、祈りとみことばと交わりを通していよいよ強められます。罪の呵責や罪責感は魂を落としめ苦悩を深めます。死後のいのちに関する不安や恐れも私たちの霊的健康を大きく害します。 しかし、クリスチャンは、イエスキリストの十字架の死によって罪が取り除かれ、赦しがもたらされたことを信じています。十字架で死なれたキリストが復活し、彼を信じる者の初穂となってくださったことを信じています。ですから「避けられない老いと死」に対する根本的な希望を与えられています。祈りとみことはばと交わりを通して、私たちの霊的な健康は維持され強められることを心に覚えたいと思います。

「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは世が与えるのとは違います。あなたがたは心を  騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)

 トュルニエ博士が紹介したように私たち人間の人生には四つの季節があり、それぞれの季節に独自の課題があることを学びました。さらに伝道の書3章に記されているように、人間のすべての営みには、季節があり、節目があり、そして時があります。四季おりおりに変化をつけ、美しく飾り、自然界をご支配される創造者なる神は、私たちの人生をも導かれ、私たちの人生の四季をも美しく飾ってくださる恵み深いお方です。        「神のなさることはすべてときにかなって美しい」(伝道3:11)のです。 

 「神はまた人の心に永遠への想いを与えられた。しかし、人は神がなされるみわざを初  めから終わりまで見極めることができない。」(伝道3:11) 

私たちは神のなさること、神がご計画されること、神が導かれることのすべてを知り尽くすことはできません。神の御心を人間が変えることなどもできません。しかし私たちは神に信頼し、「今日の1歩」を従い歩むことはできます。四季おりおりに移り変わっても、イエスキリストは昨日も今日も明日も、決して変わることのないお方として私たちの人生を導かれます。ですから私たちは、「人は神をおそれなければならない」(3:14)そして「結局のところ、神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(12:13)と、ソロモン王がたどりついた結論、人生のゴ−ルをしっかりと共有したいものです。ソロモン王は、春の季節を歩む若者たちに対して、「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ。わざわいの日のこないうちに。また、何の喜びもないという年月が近づく前に。」(12:1−2)と、知恵深く語りかけました。

 幸いな人生を歩む知恵はどこにあるでしょう。それは、明日のことを思いわずらわないで、すべてを知り導かれる父なる神様に、そして罪と恐れを私たちから取り除いてくださったイエス様に委ねて歩むことです。私たちの人生の四季は、救い主イエス様がともに歩んでくださり続ける1日1日によって織り成されています。
      イエス様とともに歩む人生に祝福がありますように。


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