**元気の出るダイアル**  2020年11月8日
 

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネ141-3

11月第2週、宇治教会では毎年、召天者記念礼拝をご遺族の方々を迎えてささげています。

この個所は2000年前、イエスキリストが十字架の死を前にして、弟子たちと共に過ごした最後の夜に語ったことばです。イエス様の十字架の死の予告を聞き、言いしれない不安を覚える弟子たちに「なにも心を騒がす必要はない。安心しなさい。父の家には住まいが多くあり、私が場所を用意しに行くのだから」とキリストは語りました。

人間の抱える不安や恐れの一つは「人は死んだらいったいどこへ行くのだろうか」というおもいではないでしょうか。極楽か地獄か? 墓場の土の下か草葉の陰か、あの世とはどこか、お釈迦様は死後の世界については何も語っておられませんから(これを無記といいます)、わかりません。わからないことを考えてもわからないので、思考停止にしているといってもいいかと思います。

しかし、キリストは「父の家には住まいがたくさんある」と宣言されました。西からも東からも世界中の国々から大人も子供たちも含めた「神の国」の「神の民」が招き集められる広い住まいを意味します。しかも、イエス様が一人一人に「場所を用意する」と約束してくださっていますから、「一人一人」に場所が用意されるのです。永遠の住まいと居場所が用意されるのです。

聖書は、私たちは「地上では旅人である」(へブル1113)と人生の本質を教えています。また作家の小林秀夫さんは「人生は地図のない旅のようなものだ」とも言いました。

地上に居場所を求めても安らぎにも満足にもなりません。富の中にも、快楽の中にも、仕事の中にも、家庭の中にも、人間関係の中にも残念ながら本当の居場所を見出せないまま孤独とむなしさを人は抱えて生きています。あなたの本当の居場所、住むべき住まいは天の父なる神の家にあるからです。

キリストと信じる者は「寿命が尽きて死ぬ」のではありません。父なる神がよしとされるときに天に移されるのです。御子キリストが「さあ、あなたのための用意ができた」と呼んでくださり、地上のいのちから天のいのちへと移されるのです。そこには恐れも不安もなく、キリストとともに生きる喜びが満ちるのです。

「わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(143

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