***元気の出るダイアル***  2020年4月19日    

「過ぎ行く地にではなく天に目を向けて」 ヨハネ第1の手紙215-17

使徒ヨハネは、目に見えない神を愛する生き方と、目に見える物質的な豊かさ、経済的な繁栄を愛する生き方があることを指摘しました。わかりやすく表現すれば、信仰によって神を愛する生き方を選ぶか、様々な欲によって金を愛する生き方を選ぶか、二つの道があるというのです。

「肉の欲、目の欲」とは「うらやましいので自分も手に入れて満足したい」と願い、「きれいなもの、美しいものに心奪われていく」ことです。ステレオタイプの表現ですが、会社の社長に上り詰め、高級外車に乗り、プール付きの豪邸に住み、地位名誉名声権力を手に入れ、人を上から支配すること。あるいは3Kの男性(高学歴・高収入・高身長)と結婚し、海外旅行に自由に出かけ、ダイヤモンドの指親や高級ブランドの服やバックや靴を身につけ、手のかからない賢い子供たちに恵まれて不自由なく生きること。いわばこの世的に他人がうらやむような幸福を手に入れることです。

でもそこには落とし穴が3つあります。一つは、人間の欲には底がないことです。手に入れたらそれで満足できるというより、もっと多くもっと豪華なものを欲深く求めてしまうことです。

2つ目は手にしたものが豊かであればあるほど、それを失うかもしれないという恐れと不安も多くなり強くなるということです。つまり、手に入れたらきっと味わえると思っていた安らぎや平安が得られないという悲しい自己矛盾です。初めから何もない人のほうがサバサバしています。

3つ目は心がふさがれてしまって神を迎えるスペースがなくなってしまうことです。過ぎ去っていくようなつまらぬ物で心がパンパン状態になっていて、イエス様を迎える客間がない。その結果イエス様を外に締め出してしまう結果になってしまいます。救い主イエスを締めだしておいて、人は決して幸せになれないのです。

ラジオ牧師の羽鳥明先生が長期にわたる伝道旅行の帰りに駅前で家族のためにたい焼きを買って帰ったそうです。おいしそうな匂いに誘われ、帰りの道々、つい2つも食べてしまいました。その晩、奥さんが先生の長旅の疲れを癒すために、特別に用意した晩御飯はお肉たっぷりのすき焼きだったそうです。悲しいことにたい焼きのあんこでいっぱいになったお腹に、お肉はもう入らなかったそうです。

あなたの心は何で満たされているでしょうか。過ぎ行く朽ちるものではなく、永遠に変わることのないイエスキリストをこころに迎え、イエス様と共に生きる中に本当の満足と喜びがあることを知っていただきたいのです。

マザーテレサは世界一貧しい女性でしたが、同時に世界一裕福な女性でした。多くの献金が世界中から彼女のもとにささげられましたが、彼女はすべてを貧しい人々や病気で苦しむ人々、社会から見放された人々に与え尽くしました。修道院で暮らすテレサの最後の持ち物は愛用していた一冊の聖書と1枚のサリーだけだったそうです。しかし彼女の心は豊かに満たされ、世界中の人々から尊敬され、こころに刻まれました。天に宝を積む人の美しい生涯を見る思いがします。

「あなたの宝のあるところにあなたの心もある」(ルカ1234)。

やがて過ゆくこの世のものにとらわれず、奪われず、支配されず、たとえ富があってもなくても、神を信じ、神を愛する人生の中に、豊かさを見出していきたいものです。           以上

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