50 ロ−マ人の手紙  題 「今の時を知り、時に生きる」  2004/2/15

聖書箇所 ロマ13:11-14

「あなたがたは今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りから目覚めるべき時刻がもう来ています」(13:11)

キリスト者の生活指針・ガイドライン(8)

パウロは13章でクリスチャンの市民生活について教えています。政治との関わり、税金やお金の貸し借りの問題のあと、大切な時間の感覚や管理について11−14節で語っています。

1 時を知っている

「あなたがたは今がどのような時か知っています」「眠りから目覚めるべき時がもうきています」(11)と、パウロは注意を促しています。その理由は「救いがもっと近づいている」「夜はふけて昼が近づいている」からです。ここで述べられている「救い」とは、イエスキリストによる「救いの完成」を指しています。終わりの時代に神の子は旧約聖書の預言どうり、ベツレヘムで誕生し、十字架で身代わりの死をとげ人類の罪の罰を取り除き、3日後に復活されて信じる者に永遠の命を約束され、栄光に包まれて天に帰り、父なる神の右の座に着座され、王の王となられました。お約束どうり聖霊がくだされ、教会という新しい共同体が誕生しました。パウロは、残された最後の預言である「キリストの再臨」という神の特別な時がいよいよ近づいていると理解していました。キリストのすみやかな再臨は、初代のキリスト教会に属するすべてのクリスチャンにとって、切なる願いであり大いなる希望でした。クリスチャンと教会にとって一番大切なこと、目を覚まして意識すべき時とは、「キリストの再臨」という特別な時をさします。中世の西洋の町では、町の中心に教会が建設され、高い塔に鐘がつるされ、朝夕に鐘がなり時が知らされました。農民を描いたミレ−の有名な絵にもこうした背景がにじみでています。教会はこの世界に「キリストの喜びの知らせ」を伝えるがかりでなく、「キリストの御再臨の時」をも知らせる役割を託された特別な存在であることを忘れてはなりません。

2 時が近づいている

「時を知る」という場合、それは腕どけいや携帯電話を開いて確認するような「時間」を指しているわけではありません。ですから何年何月にキリストが来られると日時を予告するようなことはナンセンスと言えます。「目覚める時がもうきている」「救いが近づいている」(11)と注意深く表現したように、救いの時はもう「すでに」始まっているという時代感覚、時間認識がそこにはあります。イエス様のことばで表現すれば「神の国はすでにあなたがたの中にある」のです。この時間感覚はたいへん重要です。キリストの誕生、十字架の死、復活の出来事によって、堕落した人類に対する恵に満ちた「神の御支配」はすでに始まりました。甦られたキリストは信じる者と共におられ、キリストの御霊と呼ばれる御聖霊が多くの恵みと奇跡に満ちた御業を生み出し続けています。聖霊によって教会が誕生し世界宣教が進展し、今日世界中で10億人以上がキリストを信じていること、2000年間国家なき民族であったイスラエルが建国され、ユダヤ人が帰還していることなど、数えればきりがありません。

すでに始まっているけれどまだ完成していない神の御支配は、キリストの再臨によってその決定的瞬間ともいえる完成の時を迎えようとしていることを理解することが「時を知る」という正しい意味になります。そして神の恵みに満ちた御支配がすでに始まっていることを正しく受け止めるならば、どんな最悪のときにもどんな状況の中にも、私たちは希望をもって歩んでゆくことができます。もうすでに始まっている神の国に私たちは属し、神の恵みにみちた御支配に私たちは生かされているからです。子供のときは未来が楽しみと言われ、年を取れば昔はよかったと懐かしみ、普段は「今が最悪」と落ち込みがちとよく言いますが、キリストの御支配に導かれているのですから、祈りがあるかぎり、道は開かれるものです。

キリストによる救いの完成という特別な「時」はこの世の時計で図ることはできません。聖書から初めて学ぶことができるいわば特別な「聖書時間」と言えます。
興味深いことですが人間は3種類以上の時間をもっているそうです。「心臓時間」「脳内時間」「力学的時間」と称されています。心臓時間とは、心臓が鼓動できる回数から割り出した時間をさします。すべての動物の心臓の鼓動回数はみな同じなので、心臓の鼓動回数で残り時間を計算できるのだそうです。象のようにからだが大きく体重の重い動物ほど心臓の動きもゆっくりしており長生きします。ねずみのような小さく軽い動物は逆に心臓の鼓動回数が早く結果的に短命になるそうです。いずれにしろ遺伝子の中に心臓の鼓動回数が刻まれているというわけですから、最初から「終わりの時」すなわち「死」が組み込まれていることになります。長生きしたければ心臓をあまりバクバクさせないように穏やかな日々を過ごさなければなりません。第2の「脳内時計」は、別名体内時計とも言われ、夜は眠り昼は活動するリズムを作り出しています。脳の一番奥にある視床下部には約2万個の神経細胞群があり、1日の長さを正確に覚えているそうです。この機能の働きで鶏は毎朝同じ時刻に鳴いて時を知らせることができます。ねずみの場合その時差はわずか1分ですが、人間は1時間ずれるそうです。人間の時間感覚は他の動物より鈍いことがわかっています。よく遅刻する人は特にこの感覚が鈍い人といえるかもしれません。脳内時計は夜と昼のリズムを刻んでいるので夜更かしや徹夜などしてこれを崩すと健康状態や精神状態が乱れてしまうそうです。
第3は「力学的時間」と呼ばれるもので、1日を24時間、1週間を7日、1年を365日と決めて、日常生活を営む私たちの通常の時間感覚を指します。この3つの時間にさらに私たちは、キリストの再臨と神の国の完成という「聖書時間」を加えて、今を生きるのです。人生に第4番目の聖書時間があることを忘れずに生活することが大切といえます。

3 神の国にふさわしい生活

さて、パウロは現実生活における時間の正しく用い方を教えています。聖書が告げる大事な「時」を知ったならば、それにふさわしい正しい生活(13)を整えることは理にかなったことです。「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活」(13)に「こころを用いてはなりません」(14)と自らの生活をふりかえるように問いかけています。これらはキリストと出会いキリストの救いを知る前の私たちの罪の生活の特徴でした。そして実に多くの時間をそこに費やしていました。法律に触れなければ何をしたっていいじゃないか、みんなもしていることだし、今の時代これぐらいは常識とばかりに、遊びと快楽にふけっていました。時間がたつのも忘れてしまうほどのめりこんだり溺れていました。酔いつぶれて終電車で車庫まで行ってしまった人もいるそうです。キリストの赦しを経験していませんから、いつも我を押し通し、譲り合うことを知りませんからぶつかりあってあちこちで争いもめごとを引き起こしていました。いつまでもいつまでもねちねちいがみ合いをしていることは非生産的で時間の浪費以外の何ものでもありません。自分が中心でなければすぐに腹を立て、相手の悪口を言い倒します。人の悪口を言い合って時間をつぶすのが大好きと言う暇な人も多くいます。キリストの恵みを知りませんから、人の成功をねたみ嫉妬し、自分を卑下し否定ばかりしています。このような言動や時間の使い方は、神の国にはふさわしくありません。ですからパウロはこのような罪の生活をさっさと脱ぎ捨てて、「キリストを着なさい」(14)と命じています。肉の欲を満たすことに心を用い,エネルギーを注ぎ、多くの時間をついやすのではなく、神の御心を喜ばすことに心を用い、時間をささげようと呼びかけているのです。

私たちの心臓時間は刻一刻回数を積み重ねています。西洋の諺に「時間が過ぎ去って行くのではない。われわれが過ぎ去って行くのだ」とあるように、仕事や人付き合い、家事や育児で追われる「力学的時間」に1日中わたしたちは追いたてられています。時間よとまれ!と叫びたくなるときもあります。忙しすぎることは文字どうり、心をほろぼすことに通じます。確かに今は、ゆとりある時間をもつことがとても難しい時代ではあります。しかし、わたしたちは「眠りから目覚めるとき」をすでに知らされています。その時がどれほど大きな喜びの日となるかも知っています。

キリストの再臨と神の国の完成という特別な「聖書時間」を忘れずに、聖書時間の中に、むしろ生きることの意味と希望を積極的に見出しながら元気を出して歩いてゆきたいものです。

      「光の子らしく歩みなさい」(エペソ5:8)


     

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