聖霊に満たされた人々のシリ−ズ11 (2006年10月15日) 
初代教会の宣教の歴史:聖霊に満たされた人々のシリ−ズ
「サマリヤ教会の誕生」(使徒8:1-14)

「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」(使徒8:1)



エルサレム教会の7人の執事の1人であったステパノが、ユダヤ当局側から死罪判決を受け、石打ちの刑で処刑されたその日、ついにエルサレム教会に対する弾圧が始まりました。

初めて「迫害」という言葉が用いられていますが深刻な事態が起きたのです。

使徒たち以外の者はことごとくエルサレムから追放されユダヤ・サマリヤ等の周辺地域へ移らざるをえなくなりました。さらに若き日のパウロ(サウロ)などはキリスト教会迫害の急先鋒として、教会を荒らしまわり、信徒の家々に押し入っては男女の区別なく次々逮捕し投獄しました。たいへん厳しい状況へと初代エルサレム教会は突入しました。

エルサレム教会はきっと大混乱に陥ったことでしょう。すべての信徒がステパノのような強い大胆な信仰をもっていたわけではないからです。それぞれが人間的な弱さやもろさを著したことでしょう。信仰にはいってまだ日が浅い多くの信徒たちでしたから思いもよらない試練にあって信仰を捨ててしまった人々もいたことでしょう。人は苦しくなれば、その状況から逃げ出すか、知らん顔するか、何とか楽な道を模索するか、言い逃れる理由などはいくらでも作りだすからです。

厳しい状況の中で、使徒たちはエルサレムに殉教覚悟で残る道を選び、追放されてゆく多くの信徒たちを心から励まし、神の守りの中に委ねて見送ったことでしょう。

この大試練の中で神は何をご計画されたのでしょうか。

神がエルサレム教会に対する迫害を計画されたわけではありません。神は決して災いと悪を行うお方ではないからです。悪は聖い神様にはふさわしいことではありません。ユダヤ教会側から引き起こされた迫害によってエルサレム教会が窮地に陥った時、神様はこの試練を用いて2つの画期的な意味深いことを進められました。信徒たちにその意味が初めからわかっていたわけではありませんが、神様は無意味なままものごとを放置されることはないません。

第1に「信徒による宣教」を祝福されました。エルサレムに残った使徒たちではなく地方に散らされた信徒たちによる福音の宣教が始まったのでした。神が導かれた新しい方策でした。

第2に「サマリヤ」に教会が誕生しました。「エルサレムからユダヤ・サマリアへ」と言われたイエス様の預言が成就したのです。ユダヤ人たちがサマリヤ人の混血性のゆえに軽蔑し差別してきた地にキリスト教会が誕生したのです。決してユダヤ教が進出できなかった地に、差別意識の壁をうち破ってキリスト教会が誕生しました。この出来事は画期的な意味を持っています。キリストにあっては何の区別も差別もなく、みなキリストにあって「一つ」であることを表しているからです。キリスト教が偏狭なユダヤ民族主義の限界を超えて世界宗教へと飛躍する最初の徴でもあったのです。

1 信徒による福音宣教

使徒を中心とした宣教から、信徒を中心とした宣教へと教会は質的な変化を遂げました。ユダヤ教では礼拝場所は神殿が中心であり、神殿祭儀のすべては大祭司を頂点とする祭司職階級が司りました。信徒が参与する余地はありませんでした。各地域ではシナゴーグと呼ばれるユダヤ会堂で律法の学びが律法学者を中心にもたれました。いわば信徒はお客様にすぎませんでした。しかしキリスト教会では信徒が福音宣教の主体となり、み言葉を大胆に語りました。それは福音の宣教がキリストの「証言」そのものだったからです。「ナザレのイエスこそが救い主キリストであり、罪を負い身代わりとなって十字架で死なれ、赦しと永遠のいのとを与えるために死の力を打ち破って3日後に復活された。天に帰られたキリストは信じるすべての者に聖霊を注ぎ、信じる者の心の中に内住され、新しい共同体を地上で形成される。やがて再びキリストは来られ、永遠の神の国をお建てになり、キリストを信じる者を新しい御国の民として迎えてくださる。だから不信仰を悔い改めてキリストを救い主と信じなさい」とストレートなメッセージを語ったのでした。論理ではなく思想ではなく、単純な証言でしたがそこには力がありました。聖霊に満たされた者の力がありました。

「そんな単純なメッセ−ジで救われるの?」と思うかも知れませんが、このシンプルな福音によって神は人を救おうとされたのです。

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても救いを
受ける私たちには、神の力です。」(1コリント1:18)

 かつて私はビリ-グラハム博士の大阪大会で霊的な感動を受けた覚えがあります。大阪日生球場で博士は、「ザアカイの救い」を語りました。たいへんシンプルな伝道メッセ-ジでした。すでにクリスチャンであった私でしたが、まるで目の前でザアカイにむかってイエス様が呼びかけているその現場に私が居合わせ、イエス様の招きを私も聞いているような臨場感に包まれました。そしてイエス様のことばに従う決心を新たにされたのです。まさに神の力、聖霊の力によって救いは導かれるのだと実感しました。

聖霊に満たされた信徒がゆたかに用いられること、福音の宣教は使徒たちの独占的奉仕ではなく、すべてのキリスト者の奉仕であること、キリストの教会は信徒によって形成されること、それは神の御心であったのでした。

2 サマリヤ教会の誕生

サマリヤはユダヤ人と外国人の混血民族が住む地でしたから、ユダヤ人は彼らを軽蔑し、差別し、交際をもちませんでした。信徒たちがサマリヤに散らされた時、そこに教会が誕生しました。信徒たちがサマリヤに逃れた理由に、さすがの迫害者たちもサマリヤまでは追いかけてこないであろうという読みがあったのかもしれません。しかし、かつてイエス様はこのサマリヤの町にあえて行かれ、スカルの井戸のほとりに座って一人の罪深い女性が水をくみにくるのを待ちました。彼女を通して「決して渇くことのないいのちの水」をサマリヤの人々に与えたのでした。迫害によって散らされた信徒たちによってサマリヤの町に大きなリバイバルが起き、キリスト教会がこのサマリヤに建設されたことによって、まことの父なる神を礼拝する恵みがついに成就したのです。

「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
(ヨハネ4:24−25)


3 信仰と希望と愛に生きる

エルサレム教会への迫害は私たちに次のようなメッセ−ジを与えています。

1)地上では教会は人間的な罪や自我や欲望の渦に巻き込まれ、試練や困難を経験します。この世にあっては常に闘いがあり誰も避けて通ることはできません。完璧な教会、自分が理想とする教会を地上に求めてはなりません。それは結果的には教会への批判となり教会の徳を傷つけてしまいます。むしろ現実の教会のありのままの姿を認め受け入れましょう。謙虚になってキリストに仕えるようにお互いに仕えあうことを学びましょう。

2)地上の教会は不完全ですが、天では教会の輝かしい未来がはっきりと描かれています。教会は成長し完成し勝利します。イエス様が、天国は芥子種のような小さな種でまかれやがて鳥を宿すほどの大木へと成長すると言われたように、地上における教会も必ず成長し続けます。この世の宗教勢力も政治勢力も、迫害も弾圧も教会を消滅させることはできません。教会の最終的な姿は栄光に満ちたキリストの花嫁とされています。もっとも麗しい存在が教会の未来の姿です。地上における教会は決して栄光に輝くすがたとはいえませんが、未来の教会はキリストの花嫁として描かれているほど麗しく完全であり栄光に輝いています。ここに教会の希望があります。この希望をしっかりと繋ぎとめるのが信仰と愛ではないでしょうか。現実の地上の教会と、未来のキリストの花嫁たる教会の間には確かに大きなギャップが存在します。このギャップを越えて二つをしっかりと結びつけるもの、それが、信仰と希望と愛です。

危機に直面しているエルサレム教会でしたが、その只中でサマリヤに教会が生まれました。
使徒や信徒はやがて、ピリポの伝道によってエチオピアにも教会が、そしてバルナバよってアンテオケにも教会が誕生してゆく恵みを知ることになります。地上の教会は天にある教会と一つであるゆえに広がり成長し完成し続けてゆきます。信仰と希望と愛が力になるのです。

困難や試練はみな目に見える現実世界の出来事です。目に見える出来事だけしか見ることができないならば私たちはこの世のものに支配された「現実志向」の生き方しかできません。しかし、未来を見つめ、未来の姿を信じる「未来志向」によって人は現状に満足するだけのあり方から脱却し、前向きな建設的なチャレンジに満ちた人生を歩み出すことができるのです。

あなたはあなたの5年後、10年後を、信仰と希望をもってどのように見ることができますか。信仰と希望がなければ5年後10年後のあなたは今となんら変わらないままであるかもしれません。そのような人生であなたは心から満足できるでしょうか。それが本来のあなたの姿、あなた自身の願っていることでしょうか。あなたの過去が何であれ、あなたの今の現実が何であれ、あなたの未来を信じ、未来に向かって歩き出すことの中にあなたの豊かな人生が隠されています。聖霊はそのような人生をあなたに用意してくださっているのです。

「あなたがたは地上にあるものを思わず、天にあるものを思いなさい。」(コロサイ3:2)



    

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