2014年度 主日礼拝
  2014年6月8日




「ペンテコステ・・世界で最初の教会の創立」

                                      使徒2:1-13

ペンテコステは、クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祭の一つですが、まだ日本ではなじみがありません。ペンテコステとは、ギリシャ語で「50番目」を意味する言葉です。ユダヤ教の暦では、過越の祭から50日目に「7週の祭」と呼ぶ、小麦の収穫を祝う祭が祝われました。 使徒の働きの記録によれば、キリストの十字架の死から50日目に、12人弟子を初めとする120名ほどの信徒がエルサレムにある2階座敷に一緒に集まり、主イエスが約束された聖霊が降がれることを祈りながら待ち望んでいました。そしてついにこの日、約束の聖霊がくだり彼らは神の力を受けて、いっせいに様々な国の言葉で神の福音を語りだしたと記録されています。「一体何が起きたのか」と驚き怪しむ人々にペテロは大胆にメッセ−ジを語りました。すると、3000人もの人々がペテロのことばを受け入れ、主イエスを信じて洗礼(バプテスマ)を受けました(使徒2:38-42)。この人々が中心となり、ついにエルサレムにキリスト教会が誕生したのです。ですからクリスマスをキリストの誕生日と呼ぶならば、ペンテコステをキリスト教会の創立記念日と呼ぶことができます。

宇治バプテストキリスト教会は1976年に小倉町南浦の地に、11坪の民家を購入し、枚方バプテスト教会の田邊恵雄牧師による2つ目の開拓伝道所・小倉キリスト教会としてスタ−トしました。田邊牧師の引退に伴い1983年に日本バプテスト教会連合に加入し、小出牧師は東京の聖契神学校にて学び、卒業後の1984年に牧師として就任しました。1990年には古くなった南浦の教会堂を売却し堀池に18坪3階建て鉄骨造りの会堂を献堂しました。すぐに手狭になり近くにある勤労者福祉会館を借りて聖書講演会の形で礼拝を続けました。多い時には平均50人以上が礼拝に集うようになりました。そして2011年3月、現在の開町にある100坪の会堂へ移り、大きな喜びと感謝の中、献堂式をささげました。10周年、20周年の歩みを重ね、今年宇治バプテスト教会は30周年を迎えます。

一つ一つの教会に歴史があります。そして主に導かれてその教会で奉仕をささげて教会の形成に仕えた多くの信徒たちが存在しています。一人の牧師だけでは教会は決して成り立ちません。信徒と牧師の共同作業によってイエス様の教会が一つ一つの町に生まれ、存続しているのです。

私たちの人生には限りがあります。しかし教会は、その町にとってかけがえのない「心のオアシス」となってその地にいつまでも存続します。「村の小さな教会今もそこにありや」という聖歌の名曲がありますが、一つの世代から次の世代へと教会は継承され、歴史を刻んでいくことが本来のあるべき姿なのです。歴史と伝統を誇る京都では、創業100年を経てはじめて「老舗」と呼ばれ一流どころとして受け入れられると聞いています。

わたしたちはこの教会に聖霊によって導かれました。この教会でお互いが出会いました。お互いが支え合い祈り合う生涯の家族となりました。そして私たちにはこの教会を次の世代と次の時代に手渡していく大切な勤めがあるのです。

さて、教会が誕生し、成長し、存続していくために、2つの大きな霊的資源が与えられていることを今日の聖書の箇所から学びましょう。

第1の資源は、神の約束を待ち望む熱心な祈りの力です。教会が持つ大きな霊的な資産、それは「祈り」の力です。これはいつの時代であっても真理です。祈りを通して神は働かれ、祈りを通して神の御霊も豊かに働きます。祈りがなければ教会は単なる人間の宗教集団になってしまいます。

私たちクリスチャンにとって、自分がほしいものを願い求めることが祈りの中心ではありません。神の約束を待ち望むことが祈りの中心です。神の約束の成就を受け取る、あるいは見させていただくことが祈りのゴ−ルなのです。そのことは、日曜日の礼拝毎に唱和する主の祈りにおいて「御国が来ますように」と神の約束の成就を祈りのゴールとしていることからも明らかだと思います。

イエス様は「信じるならば神の栄光を見る」(ヨハネ1140)と明言されました。信仰の父と呼ばれたアブラハムは25年ものあいだ約束を待ち望みました。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」(ロマ420-22

ペンテコステの日の聖霊の注ぎは、イエス様の2つの約束の成就でした(ヨハネ1416-19と使徒14-8)。主のお約束は決して変わることがないのです。
イエス様はあなたにどんな約束をしてくださったか想い起しましょう。あなたはイエスさまからどんな約束をいただいているのでしょうか。あなたの罪の赦し、あなたの永遠の命、天の国籍と住まい、日々の生活の中のイエス様のご隣在、これら永遠の救いに関する約束を私たちは忘れてはなりません。疑ってはなりません。かならず成就するときが来ます。アブラハムが神の約束を信じ待ち望んだように、私たちも見えるところに左右されず、イエス様の約束の成就を祈り待ち望みましょう。さらに、もしあなたが個人的な約束を祈りの中でいただいているならば、その約束を疑わす、信じて、祈り待ち望みましょう。信じるだけではなく信じぬくことが大切です。

2の資源は、イエスさまのすばらしさを多くのことばで語り伝える宣教の力です。ペンテコステの日には15か国語で神の大きなみわざ(福音)が語られました。これはキリスト教が世界宗教となって進展することのしるしでした。福音の世界宣教の予型でした。教会のいのちは「福音を語り続ける」ことにあります。神の御業を語り続けることにあります。

今日に至るまで聖書翻訳宣教師によって多くの国や地域の言語に、聖書が翻訳されてきたという歴史的事実も忘れてはならないと思います。今もなお、一人の宣教師が生涯をかけて一つの少数部族の言語を習得し、精魂込めて翻訳作業に打ち込み、聖書を完成させているのです。

イエス様のすばらしさを多くの言葉で伝えましょうと言いましたが、もちろん、あなたが英語やフランス語や韓国語を話さなければならないということではありません。むしろ、大切なことはあなた自身のことばで、あなた自身の受けた恵みを、喜びと感謝の心を持って語り続けることが神様のみこころにかなうことだと理解してください。

多くの人々は聖書の教理を聴きたいと思ってはいません。キリストと主に生きるあなたのことばを聴きたいと願っているのです。イエスさまのすばらしさをあなたのことばで、あなたの生活の中で、聴きたいと願っています。クリスチャンの持つ希望を聞きたいと願っています。ですから、大上段に構えないで、イエス様があなたにどんな良きことをしてくださったか、感謝の心をこめて、語りましょう。ありのままのあなたを語りましょう。

ペンテコステの日、イタリアのカトリック教会では聖霊が天からそそがれたことの体験を再現をしようと、教会の2階からまっかなバラの花が礼拝堂にまかれるそうです。日本でもそれをまねてバラを配る教会もあるそうです。おしゃれですね。私たちの教会では、ペンテコステ礼拝の日には講壇の花瓶に赤い花を飾っていただいています。

ペンテコステの礼拝の朝、神の御心にかなう教会は「祈りと福音の宣教に生きる」教会であることを再確認させていただきましょう。私たちは間違った3つのGに生きてはいないでしょうか。「頑張ります・我慢します・義理人情にしばられています・・」ではなく、正しい3つのGつまり、神(GOD)と神の恵み(GRACE)と神の福音(GOSPEL)に生きるものでありたいと心から願います。聖霊の恵みが皆さまの上に豊かにありますように。

                                         以上



   

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