2014年度 主日礼拝
  2014年5月18日




「ひざまずいて祈るとき」

                                      使徒21:1-16


先週の母の日は男性会で17名の女性メンバ−に手作り昼食を提供して大好評でした。「年に3回ぐらい「母の日」があってもいいね」と感動のことばが飛び出て私たちをあわてさせました。愛は言葉以上に実践ですね。

第3回伝道旅行を終えたパウロはアジア州のミレトから地中海を船で渡り、フェニキアのツロそして港町カイザリアに寄港し、その後、陸路で都エルサレムに向かいました。ツロにおいてもカイザリアにおいても、その地に住むクリスチャンたちとパウロは親しい交流をもちました。そのたびに、エルサレムに行かないように弟子たちによって嘆願されました(214. 12)。なぜならばエルサレムでパウロはついに逮捕され、投獄されることが聖霊によって、パウロ自身にもそして弟子たちにも示されていたからです。

パウロを慕う彼らの気持ちを受け止めつつも、パウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」(2113)と答え、彼らを説得したのです。

イエス様がカルバリの十字架に向かってまっすぐ歩まれたように、今やパウロはエルサレムに向かってまっすぐ歩み出そうとしています。パウロの決心は父なる神様の御心の中を歩もうとされたイエス様の思いにならうものでした。

ルカ951「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、」
ルカ13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです」。

パウロの固い決意を知り、人間的な情愛から熱心に引き留めた人々も「主のみこころのままに」(2114)と主イエス様にパウロを委ねたのでした。パウロの情に流されない信仰、パウロを愛してやまない弟子たちの神にゆだねる信仰、こうした信仰はどこからくるのでしょうか。その手掛かりは「ひざまずいて祈った」(2036 215)とあるような「祈りの深さ」からくるといえます。

ひざまずいて祈る姿を記す箇所は多くはありません。なぜならユダヤ人たちは通常、立って祈ったからです。ひざまずいて祈ることは特別な祈りの姿勢でした。イエス様も十字架の死を前にしてゲッセマネの園で祈られたとき、ひざまずいて祈られました。エペソの長老(2036)たちも、ツロの信徒(215)たちもひざまずいて祈っています。多くの人々が行き交う港の波止場で、人目も気にすることなく彼らはひざまずいて祈りました。それは祈りが生活の中に深く浸透しているしるしともいえます。こうして彼らはことあるごとにいつも熱心に祈ったのでした。

さらに注目するべきことは、ツロの信徒たちは「妻や子供たちも一緒に」(215)祈っています。使徒行伝の記録に子供が登場するのはここだけといわれていますが、「そこには祈る子供」の姿が記されています。「子供には祈りはまだ無理である。大人と一緒に祈ることはできない」と考えるならばその根拠はどこにあるのでしょうか。聖書はむしろ「親と一緒に祈る子供の姿」を示しています。子供のための教会教育の原点は「祈る子供を育てること」といっても過言ではないと私は思います。面白く楽しく聖書物語を話し、あとは遊ばせるだけならば、それは子供のもつ霊的な能力を軽視していることにほかなりません。こどもたちも祈ることを学ぶことができ、子供たちも祈りの勇士の一人となりうるのです。私たちがそのことを信じているかいなかが問われています。

聖書的な実例をあげましょう。2歴代20章は印象深い箇所です。ヨシャパテ王の治世に周辺諸国の連合軍が突如、宣戦布告をし、総攻撃を仕掛けてきました。迎え討つ準備態勢がまったく整っていないまま、周囲を取り囲むおびただしい大軍と向きあわなければなりません。まさに国家存亡の危機、に直面しました。ヨシャパテ王にできることはただ一つでした。全国民が一つとなって神の前に立ち、祈ることだけでした。

「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」(2歴代2012) 王は国民に国家的な規模の祈祷会を呼びかけました。そしてその中には子供たちもいたのです。「かれらの幼子たち、妻たち、子供たちもともにいた」(2013)と聖書は記しています。祈りの答えは鮮やかでした。預言者ヤハジエルを通して神様は告げられました。

「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。【主】はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。』(20:15)

民の祈りに答えて神様はおびただしい大軍を奇跡的に打ち破ってくださったのでした。子供たちも、幼子たちですら「祈りの勇士」として加わっているのです。
このような祈りの深さは難しい牧会上の問題を「真の解決へ」導きます。
というのは今回の場合、引き留めた人々も人間的な情愛だけからではなく御霊の導きを受けていました。一方、パウロもまた御霊の導きを受けていました。同じ御霊の導きをうけながら、進む方向が反対であり、ぶつかり合いが生じてしまっているのです。

御霊は最初から終わりまですべてを示すわけではありません。エルサレムでパウロに苦難が待っていることまではパウロと信徒たちとの間で一致していましたが、「だからやめる」のか「それでも進む」のか・・判断が異なったのです。しかもパウロ自身にしても、いつかロ−マにそして地の果てスペインにまでという宣教ビジョンを考えていましたから、 エルサレム訪問後の逮捕との整合性がとれていたわけではありません。このように牧会の現場では価値観の相違ではなく方向性の相違が生じ、そのための調整で悩むことがしばしばおこりえます。そうした場合の真の対応は、「ひざまずいて祈る」中に秘められていると思います。パウロに対して、最終的な答えは、のちに主キリストが明らかにしてくださいました。ローマ市民権を持つパウロは、ロ−マの法律に則り、囚人としてロ−マに護送され、ローマで裁判を受けることとなりました。しかもそのことによってユダヤ人たちの陰パウロの身辺が常にロ−マ兵によって警護されるため、ユダヤ人たちが手が出せなくなり、彼らの陰謀から守られたのでした。判決がでるまでは軟禁状態であるため、ロ−マでの宣教が事実上可能となったのでした。主イエスは私たちの思いをはるかに超えて最善を成し遂げてくださいます。そしてその秘訣は「ひざまずいて祈る」中にあるのです。

ひざまずいて祈ることと並行してもうひとつ重要な問題解決の道筋があります。

それは自分の十字架を負って歩むことです。だれであれイエス様の弟子となり、主イエスに従いたいと願うならば、「自分の十字架」を負って歩み続けることを忘れてはなりません。クリスチャンの行程に「十字架をになわずに歩む」道は存在しません。イエス様が弟子たちに求めています。

ルカ 14:27 「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」なによりもイエス様ご自身がみずからすすんで十字架を負う道を選ばれました。ヨハ 19:17「そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。
Tペテ 2:24「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

自分の十字架とは、「この十字架は負いましょう、でもこれはこれはやめましょう」と自己選択するものではありません。自分の十字架とは自分が選んだ十字架という意味ではなく、主によってあなたに「託された十字架」なのです。アクセサリショップでお気に入りの十字架のネックレスをあれこれ選ぶようなものではありません。十字架を負う主体は「私」ですが、「私の十字架を負ってくれるか」と語りかける主体はイエス様なのです。

イエス様の十字架を代わりに背負って死刑場まで運んだ人物が聖書に登場します。見物人の一人としてその場に居合わせていたクレネ人シモンでした。力尽きて倒れたイエス様に代わって、死刑場まで十字架を運ぶという苦役をいきなりロ−マ兵から命じられたのです。
ルカ 23:26 「彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。」不本意ながら負わされた十字架、けっして自分から名乗り出て引き受けた十字架ではありませんでした。できれば免除してほしい、勘弁してほしいのが本音だったことでしょう。しかし、主の十字架を負うことによってシモンはやがて救いへと導かれたのでした。

すべてのクリスチャンは自分の負うべき十字架をイエス様から「わたしのかわりに負ってくれるか」と託されています。それは自分自身や愛する家族の病気やけがや障害や試練かもしれません。家族のための介護や介助や世話かもしれません。気難しい相手とのコミュニケ−ションかもしれません、あるいは貧しさとの戦いかもしれません。すべてイエス様に従おうとする者はひとりひとり「自分の十字架」を負いながら歩むことが定められています。「イエス様の名によって生きる」とはそのような生活を指していると思います。負う十字架は異なりますが、十字架を負って歩む志しは同じです。それゆえ、十字架の道を歩む志しを抱く者同士がお互いを理解できないことなどはありえないと私は信じています。ひざまずいて祈り合うことができるお互いであるならばなおさらのことではありませんか。

最後に、十字架を負って歩んだ一人のクリスチャン女性を紹介します。澤田美喜さんは三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘(父は久弥は男爵)として生まれ、クリスチャン外交官の沢田廉三と結婚しました。夫とともに外交官の妻として世界各地を巡りました。敗戦後の1947年2月。乗り合わせた列車が曲がり角で大きく揺れた瞬間、座席の上の棚から荷物が彼女の膝の上に落ちてきました。風呂敷包みを広げると混血児の赤ちゃんの遺体が出てきました。列車内は大騒ぎになり駆けつけた警官が彼女を犯人と誤認しました。幸い疑いはすぐに晴れましたが、たとえ一瞬でも混血児の母親と呼ばれた体験をきっかけに、彼女は捨てられていく混血児の救済を決心しました。周囲の猛反対と世間の無理解に加え、経営的には困窮の連続でしたが、彼女はエリザベス・サンダースホームを創設し、なんと2000人近くの混血孤児を育て上げました。エリザベス・サンダースホームの創設と運用が、彼女の負う十字架だったのです。彼女にとって「イエスの名によって生きる」道がそこにあったのです。託されたミッションがそこにあったからです。そこにはひざまずいて祈る彼女の姿が常にありました。

イエス様は今日も進んで行かれます。私たちも、ひざまずいてともに祈りながら、それぞれの託された十字架を負って、今日も明日もいつまでも、主のあとを歩みましょう。

ルカ13:33「 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。
ヘブル 13:8 「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」

以上



   

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