あなたが夜も昼も目を開いてくださって、あなたのしもべがこのところに向かって祈る祈りを聞いてください」(1列王8:29)








親しい友人の牧師が牧会する教会の新しい会堂が完成したということで写真を見せてもらいました。コンビニエンスストアのフロア−を改装し見違えるように美しい会堂となりました。神様の祝福を心からお祈りしたいと思います。

ソロモン王は7年の歳月をかけてついに荘厳な神の宮・神殿をエルサレムに完成することができました。大事業を短期間で完成させるために全身全霊を打ち込んで取り組んだことと思われます。友人の牧師が教会堂建設の最中に過労で2度倒れたと聞きましたが、きっとソロモンも幾多の困難に直面したことでしょう。父ダビデ王の周到な準備と万全の備えがあったればこそ、この大事業が完成したといっても過言ではないと思います。

ソロモンは全イスラエルの代表者たちを召集し、おごそかに奉献式を行いました。まず契約の箱が祭司たちの手によって運び込まれ神殿の最も奥に造られた至聖所のケルビムの翼の下に置かれました。すると神の臨在をしめす雲が主の宮に満ち、主の栄光が神殿を包みました(8:10−11)。ソロモンはおそれおののきつつ「神は暗闇の中に住む(栄光の雲の中に住まわれ、人間が見ることができないという意味)」(8:12)お方ですが、私は「あなたのおおさめになる宮、あなたの住まわれる所を建てました」と、神殿の完成を神に報告しました。次に全会衆に向かって神殿建設の経過を説明した後、献堂の祈りをおごそかにささげました。その祈りの中には注目すべきことばがいくつかあります。

「あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です」(8:23)という契約に基づく愛を貫かれる神への信仰告白、「あなたは御口をもって語られました。また御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました。」(8:24)という全能なる神への信仰告白、そして「私が建てた宮などにお住みになることはできません(8:27)」という天地の創造主であり普遍性を本質とされる生ける神への信仰告白のことばを見いだすことができます。

ソロモンの神殿建築はこのような神への明白な信仰告白を土台としていました。いつの時代にも大切なことは、私たちがどのような神殿を建てるかではなく、私たちがどのような信仰の告白を正しく神にささげ、その信仰告白に基づいてどのように生きるかが常に問われているということです。なぜなら正しい信仰の告白から健全な信仰生活と教会づくりが生まれてくるからです。

「私が建てた宮などにお住みになることはできません(8:27)」ここに告白されている神理解は、ソロモンと神殿と天におられる神を一つに結びつけている最も重要な言葉だと私は思います。ソロモンは天地を創造された偉大な神が、人間の手で建てられたいかなる神殿の中にも閉じこめられることはないと確信していました。そうです、神殿どころか地球そのものすら創造主である神を住まわせることはできません。この世の宗教施設や寺院仏閣といった建築物はあたかもその中に神がおられるかのようなイメ−ジを人々に与えます。事実、奈良の東大寺や宇治の平等院では本堂の中にご本尊である大仏や阿弥陀如像が安置され、参拝者たちの礼拝の対象とされています。しかしソロモンは、私が建てたこの宮にお住みになるほど神は小さなおかたではない。神の御座は永遠に天にあり、神は天におられて万物を統べ治めておられるとはっきり告白しています。

ではなぜソロモンは神殿を建て、「あなたの住まわれるところ」と呼んだのでしょうか? そもそも神殿建築の目的はどこにあったのでしょうか? 神殿建設の神学的意味はなんでしょうか? このことはクリスチャンが建物としての教会堂を神様にささげようとするときにも鋭く問われることがらだと思います。クリスチャンにとっての教会堂とはどのような意味を持つのでしょう。そこに焦点をあてながらさらに学びを進めましょう。

1 神と神の民との出会いの場としての神殿

神殿は神の名がおかれ神の栄光が満ち、神が臨在される聖なる場所として区分され、目に見えない生ける神と神の民との出会いの場としての存在意味が与えられています。ダビデ−ソロモンによって建てられたエルサレム神殿の原型は、モ−セによって荒野で設営された「会見の幕屋」(出33:7)にさかのぼります。会見の幕屋は、天におられる全能の神、聖なる永遠なる神が、ご自身の民と出会われる聖なる天幕であり、特別な天幕として他の天幕とははっきりと区別されました。かつてモ−セはシナイの荒野で「燃える柴」の中から神の招きの声を聴きました。不用意に近づいたモ−セに対して神様は「あなたの足から靴をぬげ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」(出3:5)と命じ、神の臨在の前に、伏して礼拝をささげることを求めました。燃える柴も会見の幕屋もエルサレムの神殿も、聖い神が臨在される特別な聖なる場所であり、神がご自分の民と出会われる場です。神の民がこの地上の生活において、神と出会いおそれおののきつつひれ伏して礼拝をささげ、神の御声を聴き従うことのみが許される特別の場でした。したがって、教会堂もそのような出来事が起こりえるように礼拝者は神の聖さを意識し、神の聖さが意識されるように教会堂は建築されなければなりません。

2 神に祈りをささげる祈りの家としての神殿

「あなたが夜も昼も目を開いてくださって、あなたのしもべがこのところに向かって祈る祈りを聞いてください。」(8:29)「天にいましてこれを聞いてください」(8:30)と、ソロモンが祈っているように、神殿は神の民の祈りの家とみなされている点が大きな特徴と言えます。「ソロモンは主の家の建設に取りかかった」(1列王517)「こうしてソロモンは主の家と王の家とを造り終えた。」(2歴代711)と記されているように神殿は「主の家」と呼ばれています。しかしながらいままで学んできたように神殿は「神が住むための家」ではなく、むしろ神殿は「神の民がそこに集って祈りをささげるための祈りの家」と位置づけられているように思います。神殿が神の民の祈りの家であるという思想は預言者イザヤにも受け継がれています。

「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」(イザヤ56:7)

それほど神殿においては神の民の「祈り」が重視されていたのです。神殿が祈りの家でなくなるとき、神殿は無用の長物と化してしまいます。祈りの途絶えた神殿は廃墟にすぎません。かつてイエス様は異邦人たちが礼拝と祈りをささげるために用意されていた「異邦人の庭」で、神殿当局のお抱え業者たちが両替や動物の供え物の売買のために店を開いて場所を占領している光景を目のあたりにして激しく怒り、縄ムチを振り回して商人たちを異邦人の庭から追放されました。

イエス様は「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネ2:16)、「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」(マタイ21:13)と叫びましたが、神殿はすべての人々の祈りの家であり、異邦人を祈りの家から閉め出すことは許されないとの強い意志がイエス様の中に働いていたことは自明です。ソロモン・イザヤ・イエス様は同じ考えに立っていました。

今日、私たちは礼拝の中において「祈り」の要素がもっと高く認められ位置づけられ意識づけられる必要があるということを学び取りたいと思います。具体的には礼拝が、御霊とともに祈りの中で導かれ、個人の祈りや共同体としての祈りがささげられてゆくことを志向してゆきたく願います。受動的な祈りではなく能動的な祈りが豊かにささげられてゆく礼拝を求めてゆきたいと願います。そのためには共同体を形成する信徒ひとりひとりが神の国に祭司としての自覚を保ち、祈りを尊び、祈りの奉仕に仕えることが求められていると思います。静かな祈りやすい雰囲気があるから祈りの家となるのではなく、各自が祭司としての努めを果たすことにおいて、教会は祈りの家となりうるのです。

もちろん、神の民が祈りをささげやすいように建物としての教会堂を整えることも必要だと思います。残念ながら宇治教会の会堂は3階建てですが敷地自体が20坪に満たないため1階の玄関の扉をあければ狭い靴脱ぎ場に直結してそのまま礼拝室となっています。礼拝室の入口に靴箱があり週報ボックスがありイスが所狭しと並べられています。ですから礼拝直前はまるでラッシュ時の駅のプラットホ−ムのように混雑しています。その上、幸いなことに未来の教会を担う元気な幼い子供たちも多く与えられていますからとてもにぎやかです。この環境で静かな祈りの雰囲気をかもちだすことはとても難しく、そのために騒がしいという非難をときおり聞きます。しかし、だからといって私たちの教会に祈りが足りないとは思っていません。隠れたところで、個々のグル−プで、家庭の中で、執り成しの祈りがささげられ、寝る前に母親たちは幼い子供たちに祈りの大切さを丁寧に教えていることを私はよく知っています。やがて広い教会堂が与えられ、玄関と礼拝室が区別されるようになり、礼拝室が礼拝の場として聖別されるようになった時には、私たちの教会は「祈りの家」としての「美しいすがた」をきっと現すに違いないと私は信じています。

ソロモンが神殿を神の民の祈りの家と位置づけたように、私たちは教会を祈りの家としてもう一度正しく位置づける必要があると私は最近強く思っています。つまり、教会が神の民にとっての「祈りの家」であるというばかりでなく、地域の人々にとっても教会が「祈りの家」として受けとめられていることを意味します。教会はバザ−を開いたり、様々なコンサ−トを開いたり、クリスマスの催しを計画したり、いわば「イベント」によって地域の人々にアプロ−チをしようとします。決してそれは悪いことでもなく、効果のないことでもありません。けれども私は現代社会において人々が真に失っているのは「祈り」であり、教会が地域において「祈りの家」としての霊的な姿と力と生命を回復して輝き、地域の人々の目に「教会が祈りの家」として映るならば、それは最も大きな証しとなりうるのではないかと考えています。というのは、現代社会は日常生活の場から「祈り」を失ってしまっているからです。「祈り」を忘れてしまっているからです。誰に向かってどのように祈ったらいいのかさえわからないまま迷っているのです。祈りを忘れてしまった現代人にとって祈りを回復するための「祈りの家」としての教会は、決してその存在価値を失うものではなく、むしろますますその価値に重みをもつ存在になりうるのではないかと強く思います。最近、キリスト教世界では、教会の閉塞感が多く語られていますが、この世が提供できるものの後を追いかけ、物まねをしていても教会の閉塞感は破れないのではないでしょうか。教会が社会に提供できるものは世が提供できるものとは異なります。「祈りの家として教会が再建され、祈りを見失った人々が、神の家に祈るために集う」ここに突破口を見いだすことができるのではないでしょうか。

お正月ともなれば何十万何百万人の人々が有名神社仏閣に押し寄せ、初詣をします。しかし慣習的に初詣をしても、彼らは真の意味で「祈り」を知りません。誰にどのように祈ったらいいのか知らないまま祈り続けているのです。私の家は仏教ですといいながら、宗派名がわからない人々がどれほど多くいることでしょう。その宗派でお参りするご本尊の名前が何なのか、代表的な教典は何なのか、理解している人は多くはないと思います。

現代人は、教育や文化や日常生活や家庭生活の中から宗教を排除し、祈りをしりぞけてしまいました。その結果、祈ることを知らない人々が巷にも家庭にもあふれています。だからこそ教会は、「祈りの家」として、祈りを知らない人々にまことの神に祈る祈りを教え、祈りに応えてくださる愛に満ちた父なる神の存在を伝え、祈りを通して生ける神との交わりを回復してゆく「救いの道」を提示してゆく、現代的な新しい使命と価値を有しているのではないでしょうか。この意味において教会は魂の救いをもたらし魂の疲れを癒す唯一の「祈りの家」としてこの世に存在する価値を持っていると言えます。

「さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。 主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」(ルカ11:1)

「私たちにも祈りを教えてください」この叫びが今、社会の中に満ちているのではないでしょうか。主の祈りを教えていただいた主の弟子たちだけが祈ることを導くことができます。祈りの恵みをすでに経験している私たちは、祈りを知らない人々や祈りを忘れた人々に、主の祈りを新たに伝え、神の民の祈りの家に迎えいれてゆく尊く価値ある役割を託されていると言えます。

「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ」(イザヤ56:7)