キリストの復活シリ−ズ (2006年7月15日) 
復活のキリストと出合った人々
 
「大迫害者サウロの回心」(使徒9:1-9)

「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が
彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」
という声を聞いた。
(使徒9:3-4)


今日の箇所はイエス様のお弟子以外で復活のキリストと出合った人物パウロの救いの物語です。使徒22:3−16と26:9−18ではパウロの救いの証しとして繰り返し語られています。もともとキリスト教に興味を持ち、好意的で素直な人々だけがクリスチャンになるわけではありません、パウロのようにむしろ積極的にキリスト教を毛嫌いし敵意をむき出しにして、迫害していたような人さえもクリスチャンになりうるのです。自分の信仰が絶対だと確信をもち他の宗教は異端だ、邪道だと激しく非難している人でも改心し救われるのです。復活されたキリストにとらえられたならばその人の人生は変わるのです。


迫害者サウロ

パウロは純粋なユダヤ人でしたが出身地はユダヤではなく小アジアのタルソという大都市でした。タルソはギリシャのアテネ、エジプトのアレクサンドリアと並び称される学問の都でした。幼い頃から彼はギリシャ・ローマ文化に触れた教養人・国際人としての感性や知識を身につけていました。ですからユダヤ名をサウロ、ギリシャ名をパウロと呼んでいました。年頃になって親元を離れ彼はエルサレムの著名な学者ラバン・ガマリエルの門下生となり、ユダヤ教の指導者となるエリートコースをまっすぐに歩む若者としてその将来が期待されていました。

キリスト教と言う新しい新興宗教がエルサレム市内で起こり、人々が次々とイエスがメシアであるなどとけしからんことを信じ仲間に加わっているとにがにがしい思いで受け止め、このようないかがわしい異端は根絶しなければならないと決心していました。

エルサレムから210キロも離れたスリヤの国の都ダマスコにまでキリストの弟子たちを追跡し逮捕しようと祭司長から特別な権限を受けて進撃してきました。かつて彼はエルサレムでステパノが石内の刑に処せられるのを身近で目撃していました。男性も女性も容赦なくキリスト者は見つけ次第縛り上げ投獄するという荒々しい行動でキリスト教会を大いに苦しめていた張本人でした。ですからキリスト者たちにサウロの名前は知れ渡っていました。ところが復活されたキリストは彼を選び、キリストの名を異邦人に伝える神の器とする決心をされたのでした。

パウロは後に、私は「罪人のかしらです」と告白していますが、それはパウロの謙遜ではなく、自らの過去を振り返った時の偽らざる生々しい事実だったのです。

1テモ1: 15  「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

意気揚々とダマスコに向かう途中、突然、天からの光に打たれてパウロは地に倒れてしまいました。「わたしはあなたが迫害しているイエスである」という復活されたキリストの声を直接聞いたのでした。盲目状態になり部下に手を引かれてダマスコの町に入ったパウロでしたが食事もできなくなるほどのショック状態でした。確信をもって自分が迫害をしていたナザレのイエスが「主」であり、実際によみがえられたキリストが直接語りかけて来られたという劇的な体験をしてショックと混乱状態に陥ってしまったのです。

サウロを導いたアナニア

イエス様はパウロの救いのために「アナニア」というダマスコに住むクリスチャンを用いました。アナニアはサウロを訪ね個人的に導きました。

使徒22:16「さあなぜためらっているのですか。立ちなさい。みなを呼んでバプテスマを受け自分の罪を洗い流しなさい」主イエスキリストの名によってバプテスマを受けなさいと大胆に導いたのです。繰り返しますが「信じてバプテスマ」を受けることは初代教会では最も強調されていました。信じることとバプテスマを受けることの間になにかを入れてはならないのです。そこにためらいがあるならばそのためらいを投げ捨て、みことばに従うべきです。

パウロはこのときの自分の心境を証ししています。「アグリッパ王よ、私はこの天からの啓示に背かず」(使徒29:19)と、天から示されたことに背かない決心、素直に従う決心をしたのです。

人間的に計算すればユダヤ教指導者としてエリートコースを歩んできた自分のキャリヤが一瞬にして崩れ去ります、多くの友人や仲間を失います、自分をエルサレムに送り出してくれた両親の期待を裏切ることになります。恩師を今後、敵とすることにもなります。賢いサウロにはすべてが理解できました。でも真理を知った以上、もはや真理に従わざるを得なかったのです。神の啓示には逆らえなかったのです。このときの心境をパウロはのちに「私にとって得であったこのようなものをすべてわたしはキリストのゆえに損と思うようになりました」(ピリピ3:7)と証ししています。

キリストにはなにものをも代えられない。世の富も地位も名声も・・。パウロの信仰の原点がここに見られます。

サウロへの迫害

バプテスマを受けたサウロは、立ち上がり、イエスは神の子であると告白し、大胆に証しをするようになりました。 「ただちに諸会堂でイエスは神の子であるとのべ伝え始めた」(20)

ダマスコでサウロの到来を待ち一気にクリスチャンの撲滅をと計画していたユダヤ人たちは面食らったことでしょう。「裏切り者サウロ」のレッテルがはられ、昔の仲間や部下から暗殺されそうになりました。その時、ダマスコのクリスチャンたちはサウロを守るため協力して城壁からサウロを籠に入れてつり降ろし、ダマスコから無事逃れさせたのでした。古い仲間を失ったパウロでしたが新しい仲間の愛に支えられ、新しい人生へと彼は旅たったのでした。

キリストにとらえられた人生

パウロは自分の身に起こった出来事を「キリストイエスが私をとらえてくださった」と簡潔に証をしています。

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」(ピリピ312

「キリストがとらえてくださった」、みなさんはどう考えていますか。私がイエス様をとらえたと感じているでしょうか。主語は私でしょうかそれともキリストでしょうか。

「私が」といっている限り、根拠がいつも自分にあるわけですからその信仰は危なっかしいもので、いつひっくりかえるかわかりません。イエス様ご自身が「あなたが私を選んだのではなく、私があなたを選んだ」と、主語がキリストであることを明言してくださっています。もっと言えばイエス様は「父が導かれたものはみな私のもとに来る」とさえ語っておられます。父なる神が、そしてキリストがスクラムを組んでがっちりあなたを捕らえてくださったのです。キリストがとらえてくださったという感動をパウロは神の愛にとらえられたとも表現しています。

ローマ8: 35「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。」

2コリ5: 14「なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。」

エペソ3: 19「また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。」

若い日、淵田美津男牧師のメッセージを枚方教会で聞き感動しました。淵田牧師はかつて真珠湾攻撃の総攻撃隊長として一番機に乗り全戦闘機部隊を指揮し「トラトラトラ、真珠湾攻撃に成功せり」と打電した人物でした。各地を転戦し敗戦を迎え復員しました。日本人の捕虜収容所の実態の聞き取り調査をした時、日本兵に宣教師である両親が切り殺された少女が、捕虜収容所で看護師として誰よりも献身的に看護してくれたという話しを聴いてショックを受けました。彼女は両親が日本兵を前に「父よ、彼らを赦してください」と祈りつつ殉教の死をとげたことを後に知らされ、両親の祈りの心を受け継ぎ、看護師となり日本兵の捕虜収容所に志願したそうです。親を殺した敵を愛し敵のために献身的に仕えるとは信じがたいことでした。古本屋で手にした聖書の中に「父よ、彼らを赦して下さい」とのキリストの十字架の祈りを見出した時、電撃が走ったそうです。これはキリストの十字架の祈りだったのかと! 彼はキリストを信じる決心をし、牧師となってアメリカに渡り、戦後の日米友好の架け橋の一端を担いました。淵田先生は「私にとって信仰は難しいものではなかった。天皇からキリストに私の信じるお方の「首」が代わっただけ。信じて仕える姿勢は何も変わらない」と言われました。今まで何も信じようとしない者には神も仏も信じられませんが、何かを信じいのちをかけて献身してきた者にはキリストに出会ったならばたちどころにキリストのしもべとなるんだなと思いました。また先生は「子供がお菓子を食べたい時、これは僕のものと言ってつばつけるでしょう。それと同じで、キリストはあなたにつばをつけておられますよ。あなたをとらえたいから」とユーモアを交えて話しかけてくださったことを今でも思い出します。

「キリストにとらえられた人生」、キリストに愛された人生、キリストのものとされた人生、永遠に神の手の中にある人生、それがあなたの人生なのです。この事実を知ってあなたは感動しませんか?

パウロの苦難に満ちた宣教師としての生涯を最後まで支えたのはこの感動だったのだと私は思います。キリストにとらえられ、キリストが私と共に生きておられる、いな、私はキリストの中にあって生きている、これがパウロの新しい人生であったのです。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラ2;20)

若い日、淵田美津男牧師のメッセージを枚方教会で聞き感動しました。淵田牧師はかつて真珠湾攻撃の総攻撃隊長として一番機に乗り全戦闘機部隊を指揮し「トラトラトラ、真珠湾攻撃に成功せり」と打電した人物でした。各地を転戦し敗戦を迎え復員しました。日本人の捕虜収容所の実態の聞き取り調査をした時、日本兵に宣教師である両親が切り殺された少女が、捕虜収容所で看護師として誰よりも献身的に看護してくれたという話しを聴いてショックを受けました。彼女は両親が日本兵を前に「父よ、彼らを赦してください」と祈りつつ殉教の死をとげたことを後に知らされ、両親の祈りの心を受け継ぎ、看護師となり日本兵の捕虜収容所に志願したそうです。親を殺した敵を愛し敵のために献身的に仕えるとは信じがたいことでした。古本屋で手にした聖書の中に「父よ、彼らを赦して下さい」とのキリストの十字架の祈りを見出した時、電撃が走ったそうです。これはキリストの十字架の祈りだったのかと! 彼はキリストを信じる決心をし、牧師となってアメリカに渡り、戦後の日米友好の架け橋の一端を担いました。淵田先生は「私にとって信仰は難しいものではなかった。天皇からキリストに私の信じるお方の「首」が代わっただけ。信じて仕える姿勢は何も変わらない」と言われました。今まで何も信じようとしない者には神も仏も信じられませんが、何かを信じいのちをかけて献身してきた者にはキリストに出会ったならばたちどころにキリストのしもべとなるんだなと思いました。また先生は「子供がお菓子を食べたい時、これは僕のものと言ってつばつけるでしょう。それと同じで、キリストはあなたにつばをつけておられますよ。あなたをとらえたいから」とユーモアを交えて話しかけてくださったことを今でも思い出します。

「キリストにとらえられた人生」、キリストに愛された人生、キリストのものとされた人生、永遠に神の手の中にある人生、それがあなたの人生なのです。この事実を知ったとき、私は深く感動しました。その喜びは30数年経った今も続いています。


    

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