シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
2025年9月 | 7日 | 14日 | 21日 | 28日 | 目次に戻る |
2025年9月7日 |
「遣わされて」加藤豊子牧師 ルカによる福音書9章1−6節 |
◇ イエス様は12人の弟子たちを呼び集めて、宣教のために遣わされました。「呼び集め」という言葉には、「召す」という意味もあります。今までは主イエスの側近くにいて、その働きを見てきた弟子たちですが、ここで新たに弟子たちだけで、遣わされることになったわけです。 ◇ 弟子たちが神の国の宣教のために主イエスから授けられた力、こうした力は、弟子たちに備えられていたものではありません。そして遣わされるにあたって最も大切なことは何なのか。それは「何も持たないということ」であることが示されています。 「…遣わすにあたり次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。」(2.3節) 何も持たない、ということは、神様のみを頼りに、信頼してゆだねて行くようにということが求められているわけです。自分の持っているもの、身に着けているもので、この働きを担うことはできないということが示されています。 ◇ 12人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら福音を告げ知らせました。遣わされた先で激しく拒絶されるということもあったでしょう。その時は神様にゆだねて、その所を離れ去るようにということも語られています。使徒言行録で使徒たちが、迫害を受けながらも行く先々で福音を伝え続けた姿と重なります。 ◇ 信仰を与えられ教会で礼拝をささげている一人一人は、礼拝する群れとして召し集められていることを覚え、またここから遣わされていきたいと願います。 |