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シロアム教会 礼拝説教要旨集
2025年6月 1日 8日 15日 22日 29日 目次に戻る
 2025年6月8日 
「力を受けて」加藤豊子牧師
使徒言行録1章6−11節c



 今朝は、聖霊降臨日礼拝であり、またシロアム教会創立77周年記念礼拝でもあります。祈り待ち望んでいた弟子たちの上に、約束されていた聖霊が注がれました。その出来事は、使徒言行録2章に記されています。弟子たちは力を受けて福音を語り、そこに教会が誕生し、また全世界へと宣べ伝えられて行きました。



 「激しい風が吹いてくるような音が聞こえ…」(2:2)とあります。神の息が激しい風となって、弟子たちの中に吹き込まれました。それは、神ご自身が弟子たちの中に入って働かれるということです。聖霊の働きによって、弟子たちは変えられました。ペトロは力強く、復活の主イエス・キリストの証人として立ち上がり、語り始めました。本当にあのペトロだろうか…と思うような姿です。また聖霊、神の力を内に宿すということは、わたしちが神の聖さに与る者へと変えられていくということでもあります。



 シロアム教会創立の様子は、記念誌に詳しく記されています。大村善永牧師が東京盲人会館(現ヘレンケラー会館)で、英語、点字を教える仕事が与えられ、その内の3人が「日曜日にぜひ聖書研究をしてください」と申し出てこられ、そこで日曜日に聖書勉強会が始まり、この集まりがシロアム教会の出発点となりました。



 その後、最初の会堂建築に向けて大変な苦労があったことも記されています。祈祷会ごとに熱心な祈りがささげられ、盲人信徒たちは募金に奔走し、大村牧師は土地と建物をささげ、多くの助けが与えられて、1950年12月に献堂式が行われました。今も祈り求める者に聖霊は豊かに注がれ、力を受ける。その約束がわたしたちに与えられていることを覚え、希望をもって歩む者でありたいと願います。
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 2025年6月1日 
「神の愛」加藤豊子牧師
ルカによる福音書6章27−36節



 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。…」(27節)

 やられたらやり返す…そのような思いを抱いてしまう人間の姿とは正反対の在り方が、ここに示されています。わたしにはとてもできません、無理です、としか言えないようなことが書かれています。



 主イエスは誰に向かって、語られているのでしょうか。先週の続きで、イエス様は目の前にいる弟子たち、従ってきた人々に向かって語っておられるのです。「貧しい人々は、幸いである。」たとえ貧しさの中にあったとしても、神の国が与えられている、すなわち神を信じて生きる者とされているということは、幸いなのだと言われました。そして、その幸いの中に生かされている者に対し、敵を愛する者となりなさいと語られているのです。自分を愛してくれる人を愛したところで、何の意味があるだろうかと言われています。



 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)

 主イエスの、十字架上での言葉です。イエス様は自分を十字架につけた人々のために、とりなしの祈りをささげられました。ここに神の愛、赦しが示されています。この祈りは、わたしたち一人一人のための祈りでもあります。わたしたちはかつては神に背を向け、何をしているかわからないような者だったのです。他者を真実に愛することができない、傷つけるこの多い罪人であるわたしたちのために、主イエスは祈られたのです。わたしたちは、罪赦され、神の愛を知らされた者として、この地上を歩んで行くようにと招かれています。
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