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シロアム教会 礼拝説教要旨集
2021年12月 5日 12日 19日 26日 目次に戻る
 2021年12月26日 
「求めなさい」加藤誠牧師
マタイによる福音書7章7−12節



 「求めなさい。そうすれば与えられる。…」(7節)大変有名な聖句である。ルカによる福音書11章にも同じ聖句が語られている。ルカの方では、夜中にある人が「友よ、パンを三つ貸してください。」と求めてきたという、一つの例話が語られている。何とも非常識な話である。当然のことながらその人は、「面倒をかけないでください。」と断ろうとする。しかし主イエスは、「その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはしなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。」と語るのである。ここで主イエスが強調されているのは、「しつように求める」ということである。簡単にあきらめるな、しつこく願え。これは、神様に向かってのことである。



 「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」それは、私たちの願うものではないかもしれない。しかし、神様は私たちにとって良い物をくださるお方なのである。私たちはそのように、しつこく願うことを通して、神様がくださる良いものとはこのようなものなのか、ということを学び、経験を与えられるのである。



 世界宣教幹事として最初から願っていたことは、一人でも多くの青年たちを海外へ送りだすことであった。しかし願いはあっても予算がない…という状況が続いた。東日本大震災のこともあり、日本の教会のことが世界に発信されるようになった。すると不思議なことに少しづつ海外からの献金が送られてくるようになった。その少しの献金を用いて青年たちを海外へ送り出すと、また少し献金が与えられた。時間はかかっても、しつこく願っていくと、神様は何らかの答えをくださる、良いかたちでの答をくださることを思わされている。
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 2021年12月19日 
「インマヌエル」加藤誠牧師
マタイによる福音書1章20−24節



 インマヌエルとは「神は我々と共におられる」という意味である。旧約のヨセフと新約のヨセフは「夢」という共通点がある。「エジプト」という共通点がある。もっとも旧約のヨセフは奴隷としてエジプトに売られ、刑務所も経験した。新約のヨセフは妻とイエスと名付けた息子と共にエジプトへ逃避行を行った。神が共にいてくださる、との約束にもかかわらず、現実の厳しさがヨセフとマリアを襲う。



 今年の教団事務局のクリスマス礼拝は、パラグアイに派遣されている江原宣教師に説教していただいた。パラグアイとの時差は丁度12時間。気候も日本の真逆で連日40度とのこと。日本にいるとクリスマスは冬のイメージだが世界の半分は夏のイメージなのである。一月に一時帰国を計画しているが、オミクロンの影響でどうなるかは分からないそうである。隣の家に強盗が入ったそうである。必ず胸のポケットにお札を入れておくこと。それがあなたの命を救う、とかつてブラジルで教えられた。ピラポも同じである。私たちは彼女の無事な帰国をひたすら祈るのみである。



 インマヌエル、「神は我々と共におられる」。そう励まされヨセフは周囲にそして家族にどう思われようがマリアを妻に迎えた。身重のマリアをいたわりつつベツレヘムまで旅をした。そして今度は赤ん坊を連れてエジプトという異国に暮らすことになる。



 私たちの現実もヨセフほどではないにしろ、なかなかに厳しい。しかしその厳しさの中にあって私たちはインマヌエルを知るのである。
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 2021年12月12日 
「闇の中で輝く光」加藤豊子牧師
ヨハネによる福音書1章1−9節



 「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」9節

 ヨハネによる福音書1章には、マリアもヨセフも、飼い葉桶に眠るイエス・キリストも出てきません。いわゆる降誕物語は記されていませんが、神の独り子イエス・キリストが、救い主としてこの世に来てくださったというクリスマスのメッセージがはっきりと語られています。



 クリスマスが12月25日に祝われるようになったのは、紀元4世紀頃からです。その日は昔から、ヨーロッパでは「冬至の祭り」が行われていました。冬至は一年で、一番昼の時間が短く、夜が長い日です。この日を境に、少しづつ日が長くなっていきます。ヨーロッパの冬は寒いだけではなく、晴れる日が少なく暗い日が続きます。ですから太陽の光がとても待ち遠しいのです。マラキ書3章では、イエス・キリストは「義の太陽」と言う言葉で表されています。太陽を祝う昔からのお祭りが、世を照らす、まことの光であるイエス・キリストの誕生を祝う日につながったようです。



 主イエスは、闇の中に輝く光、すべての人を照らすまことの光として来てくださいました。すべての人…私たち一人一人置かれている状況は異なります。コロナ禍で非常に厳しい状況の中、クリスマスを迎えておられる方もあるでしょう。日々の生活において私たちははそれぞれに、不安を覚えることを抱え、また様々な痛みや悲しみを味わいます。でもそこに、灯りをともしてくださるお方としてイエス・キリストが来てくださったことを覚えつつ、次週のクリスマス礼拝を迎えたいと思います。
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 2021年12月5日 
「野の花を見て」加藤誠牧師
マタイによる福音書6章25−30節



 5章から始まる一連の主イエスの説教は、群衆にではなく弟子たちに語られたものである。12弟子は主の招きに応じて仕事を捨てて主イエスに従った。彼らを中心に語られたとすると、弟子たちの心によぎる不安に主イエスは正面からお答えになったのだと思う。



 先週、台湾エキュメニカルフォーラムというズームの国際会議があった。中心は中国の脅威についてである。ニュージーランド、香港、日本、韓国などから発言があり、私は日本の立場で15分の発題を行った。香港の発題者は命の危険を冒しての発題であった。



 この会議では台湾側の外交の専門家から2028年までに中国は台湾に軍事的支配を試みると警告されている。中国の立場に立てば、憲法の前文に台湾は中国の国土の一部と明記されている。一方台湾は6割以上の人が自分たちは中国人ではなく台湾人という認識である。



 心情的には台湾の側に立ちたいのであるが「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」とある。この問題に対して日本人キリスト者に求める「神の義」とは何だろうと考えた。憲法9条を引き合いに出すまでもなく、キリスト者は「平和を実現する」人であることが求められている。それならば私の発言すべき内容は一つしかない。中国、アメリカ、台湾そして日本に対して武力を用いる解決には断固反対することである。その発信力を日本の教会は問われている。
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