説教の要約:2016年8月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2016年8月7日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
23:46 そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、『父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます』。こう言ってついに息を引きとられた。・・・・ 23:52 この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引取り方を願い出て、 23:53 それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。(ルカ23:46,52,53)
 
題「死んで葬られた主イエス」(ルカ23:44ー56)
 死や苦しみは誰もが恐れるものであろう。にもかかわらず、死は誰も避けて通れないこと。私はどのような死を迎えるのだろうか。しかし、私のために死んで甦って下さった方が、そこを通り、勝利して下さっているということは大きな慰めである。
使徒信条では「・・・ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、・・・」と告白する。キリストは神の子だから、死ぬのはおかしい、実は死んだのではなく、死んだふりをした、などの考えを持つ人がいたようだ。しかし、キリストは、太陽が光を失い、全地が暗くなる中で、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と叫んで息を引き取られた。
1)キリストは死に、ヨセフの墓に葬られた。ローマの兵士らがその死を確認した。女たちがそれを見届け、安息日が明けたら、香油を塗ろうと備えた。祭司長らは、弟子たちがイエスの遺体を盗み、甦ったと言いふらさないように、番兵を置いた。私たちにとっても愛する者が息を引き取る、火葬する、墓に納めることは死の空しさ、喪失を実感させられる。主イエスは人となり、死を通って下さった。
2)主イエスはご自分の霊を父なる神に委ねられた。苦しみの中、勝利を宣言され(「成し遂げられた」)、しかしなす術なく、父なる神にすべてを委ねられた。キリストが救いの成就の宣言をして下さったから、イエスを信じて死ぬ者にどのような死に方であってもキリストは伴って下さる。孤独な死はない。キリストは死をも共にして下さった。
 詩篇88篇、139篇には、苦しみに遭い、孤独に闇に置かれている、神のみ顔が見えない所を通る詩人の苦悩がつづられている。陰府、死者の行く暗黒、命のない、絶望の光景を見る。しかしその中でも詩人は神を求め、主を見出し、望みを与えられている。
3)キリストは死の恐怖のために奴隷となっている者を解放し、神の命に生かすために、死んで陰府に降り、甦って下さった。(ヘブル2:14-18,1ペテロ3:18:22)
 
 
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第二主日礼拝:2016年8月14日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。」 (マタイ28:5,6)
 
題「キリストは甦られた」(マタイ28:1-10)
 復活の朝の出来事を淡々と告げる。新しいことが起こった。このことが起こるための理由がある。天地を創造された神は、キリストを甦らせ、新しいことを、時代を、始められた。キリストは完成した、成し遂げられた、と言われた出来事が始まった。私もその出来事の中に生きることができる。信仰を持って受け入れなさい。生き始めなさい。
 マグダラのマリヤは7つの悪霊を追い出してもらった女性(マルコ16:9)。7つの悪霊に支配されていた。黄泉の力、死の力に支配され、望みなく、死んでいた生活、どうしようもない生活から救い出された。イエスの身の回りのお世話をしていた女たち、イエスは死んでしまったが、その亡骸さえ慕わしく、香油を塗りに来た。
 そこで大きな地震が起こり、主の使が天から下ってきて石をわきへころがし、その上にすわった、という大変な出来事が起こった。御使いは言った。
@恐れるな。 Aイエスはここにはおられない。B甦られた。 C弟子たちに、『ガリラヤに行きなさい。そこでお会いできる。』と伝えよ。
 地震、御使い、空の墓、驚き恐るべき出来事。しかし御使いは、恐れるなと言われる。お墓に向かっていてもイエスはいない。人はイエスの偉大さ、すばらしさを思い起こす所に留まろうとする。しかし御使いは、イエスとの新しい出会い、イエスと共に造る出来事の場に出て行きなさい、と言われる。
主イエス
@『平安あれ』  A恐れることはない。 B兄弟たちに告げなさい。『ガリラヤに行け。そこでわたしに会えるであろう。』
 甦られた主イエスは女たちに、「シャローム」、「平安あれ」と告げられ、恐れるなと語られた。「あなた方に平安を残していく」(ヨハネ14:27)と言われて十字架に向かわれた主イエスは、甦られて、平安を告げて下さった。
 甦りの主イエスは私たちを兄弟と呼んで下さる。十字架上の主イエスが、母マリヤとヨハネを母息子の関係に結ばれた(ヨハネ19:26、マタイ12:50)。
 甦りの主イエスがガリラヤへ行くように言われた。ガリラヤは、@故郷。A宣教を始めた地。B新しく宣教に遣わされる命令を受けた地(マタイ28:19,20)。Cもう一度ぺテロは、初めの召命(ルカ5章)を受けた不漁と大漁の経験を経て、新しく召命を受けた地(ヨハネ21章)。
 キリストが甦られて、「罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、諸々の国民に宣べ伝えられ」、弟子たちが、復活の証人として遣わされることとなった(ルカ24:47)。そのことを通して私たちも神の国に与る、キリストに与る者とされている。
 
 
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第三主日礼拝:2016年8月21日
 
説教者 加藤育代師
 
今週の聖句
天にいます私たちの父よ、御名があがめられますように」 (マタイ6:9)
 
題「御名を崇めさせたまえ」(マタイ6:9-13)
 主はどうしてこの祈りを最初にお選びになったのだろうか?
1)御名を崇めさせたまえ
@「御名」 について
 神さまはご自分の名前を隠すことなく、私たちに教えてくださった。それは、私たちに手を差し伸べ、関わりを持とうとしておられることと、御名に含まれた約束を実現してくださるためだった。
参考として、旧約聖書においてモーセに明らかにされた神の名は「主」だった。(出エジプト6章)
エジプト脱出のために尻込みするモーセにこの名を示し、名の通り救いを実現してくださった。
新約聖書では、「イエス」である。約束は、「主は救い」「主はご自分の民を罪から救う方である」である。
そしてもう一つ、「インマヌエル」で「神われらと共にいます」である。
A御名をつけられた者
 実は私たちが洗礼を受ける時も、新しい名が与えられる。それは「神の子」「キリスト者」「クリスチャン」だ。
「御名を崇めさせたまえ」は原語を訳すと、「あなたの御名が聖なるものとされますように」だ。私たちが神を、聖なるお名前通りに聖なる方と認め、服従することによって、誰の目にも神の聖なることがわかるようにさせてくださいという祈りである。具体的に、神の名を帯びて生かされている私たちクリスチャンの聖なる歩みを通してなされる。
それだけに私たちの責任は重い。私たちの生き方次第でキリストの名に傷がつくこともありうる。しかし、キリストはそのことを承知の上で、私たちが御名を背負うことをお許しくださった。私たちが御名を汚してしまったとしても、心から罪を悔い改め、神の許に立ち返るならば、罪赦されもう一度キリストの御名にふさわしい者に造り変えられていく。
まとめ)日々の生活の重荷や悩みに心奪われている私たちがこの祈りを祈らないからこそ、主はこの祈りを教えてくださったのではないだろうか。そして、私たちがどんな状況下でもこの祈りを祈ることが私たちにとって最も大切だから、何よりも先に教えられたのだと思う。御名に頼る以外に何かに頼ることのできるものはない、その所に辿り着いて初めて、祈れる祈りだ。死の力を前にしても祈れる祈りであり、何かに心奪われる時、この祈りは心を解放してくれる。自分の思いからも自由にしてくれる。
そして、御言葉に耳を傾けるように導いてくれる。「わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある。」(詩篇124:8)
 
 
 
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第四主日礼拝:2016年8月28日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」 (マタイ28:18-20、新共同訳)
 
題「権能を授けて遣わす主イエス」(マタイ28:16-20)
 11人の弟子たちはガリラヤの山でイエスに会い、イエスを拝した。イエスに会いつつ、疑う者もいた。
 疑うという言葉はマタイ福音書には2度だけ使われている強い意味の言葉。マタイ14:31で水上を歩き始めたペテロが波風を見て恐ろしくなり、おぼれかけ、主イエスが助けた。「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」とイエスは言われた。イエスだけを信頼して歩き始めたが、波風を見て、心が分かれ、恐れ波に沈みおぼれかけた。主イエスの死と復活を信じ続ける者に主イエスは復活の命を与え、救いのみわざを行って下さる。
 主イエスは一切の権能を父なる神から与えられて、弟子たちを派遣された。聖霊が注がれた御業について、「あなた方が十字架につけて殺したイエスを、神は甦らせた」と証しし(2:24、32、36)、人々を救いに導いた。生まれながら足のきかない男が癒され、その理由についても(3:15)、ユダヤ教の指導者から議会で取り調べを受けた時も大胆に証し(4:10)、主の御業は漸進した。パウロはイエスを主と告白し、神がイエスを甦らせたと信じるなら救われると語っている(ローマ10:9,10)。
 復活の主イエスは弟子たちに近づいてこられ、弟子たちに権能を授けて、イエスの御業を行うように遣わされた。弟子としなさい、バプテスマを施しなさい、命じておいた一切のことを守るように教えなさいと遣われた。そして臨在の約束を与えて下さった。
 マタイ28:10。復活の主イエスは、弟子たちを兄弟姉妹と呼ばれた。一人一人を主と告白する者に召し、私たちがそれぞれに主の働きを担い、神の命を生きるように遣わして下さる。世の終わりまで、また御国までも共におられる方である。
 
 
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第主日礼拝:2016年8月28日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
 
 
 
 
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