説教の要約:2014年6月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2014年6月1日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1:8)
 
題「主の証人となる」(使徒行伝1:1-13)
1)3節。@主イエスは生きておられることを示された。A使徒たちにたびたび現れた。B神の国のことを語られた。(1コリント15:2-8参照)
2)4-6節。イエスは、エルサレムを離れないで、聖霊のバプテスマを受けるように、とお命じになった。
3)6-8節。@弟子たちは国の復興の時期を問うたが、イエスは父の権威の領域まで知らなくていいと言われた。A大事なことは、聖霊が降る時、力を受けて、エルサレムから地の果てまで、主イエスの証人となることだ、と言われた。
〔イエスの証人とならなければ、この世の証人になるように引っ張られている。証人としての力が弱い。〕
〔〔☆ @御言葉には魂を救う力がある。 Aそのためにも聖霊の力が必要。聖霊が働かれると、御業が起こる。イエスの御霊。聖霊。〔イエスは主の告白。霊の賜物を与える(1コリント12-14章)。キリストの体を建て上げさせる霊。御霊の実(ガラテヤ5:22,23)。〕 B罪は聖霊の働きを妨げる。罪を除く。悔い改める。 C一致の祈りが必要。〕〕
4)9-11節。主イエスは使徒たちの見ている前で、天に昇られた。見上げている弟子たちに、御使いが、同じ有様で、またおいでになる、と言われた。主イエスはすべてのものを裁くために再び来られる。イエスの弟子たちは、主イエスに似る者になろうと、努力する。御霊の支配の中に生きる。
 
 
 
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第二主日特別礼拝:2014年6月8日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句 「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」(使徒行伝2:38)
 
題「聖霊が導く共同体に生きる」(使徒行伝2:37-47)
 聖霊降臨日(ペンテコステ)。主イエスが十字架に架けられ、死んで甦られた日から、40日目に昇天され、50日目〔(ギリシャ語)ペンテーコストス:50番目の〕に聖霊が降った。主イエスが十字架に架かられる前に、「わたしが去って行くと、代わりに助け主を遣わす」(ヨハネ16:7)、「父が助け主、真理の御霊を送って、いつまでもあなたがたと共に居らせて下さる」(ヨハネ14:15)と約束された。聖霊はイエスの御霊であり、主イエスが共に居ることを示し、実現して下さる霊である。〔主イエスがしておられたことをさせて下さる霊である。〕聖霊は主イエスと私たちをぶどうの木と枝のように繋いで下さる霊である(ヨハネ15章)。聖霊はイエスを主と告白させる霊(2コリント12:3)である。霊の賜物〔知恵、知識、信仰、癒し、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解く力(2コリント12:4-11)〕を与え、キリストのからだを建て上げる肢体として私たちをそれぞれに与えられているもの(賜物)を生かして用いて下さる。聖霊の実〔愛、喜び、平和(平安)、寛容(忍耐強さ)、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22,23)〕を結ばせて下さる。
 人々はペテロの話を聞いて、悔い改め、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、聖霊を受けた。聖霊が導く共同体、愛し合う共同体ができた。神の愛で愛し合う共同体。「使徒行伝2:42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。」この共同体は主イエスが天から聖霊を送って、主が共に居られ、主イエスが導びかれる共同体である。神はこの共同体に、様々な不思議な御業を行われた。
 
 
 
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第三主日礼拝:2014年6月15日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。」(使徒行伝3:16)
 
題「イエスによる信仰がこの人を癒した」(使徒行伝3:1-20,26)
1)使徒行伝2章、共に集まり祈っていた120名ばかりの人々に聖霊が注がれ、この人々が聖霊によって証しをなし、またペテロが他の弟子たちと共に立っての説教したところ、人々が悔い改め、救われ、弟子たちの共同体が生まれた。皆の者に恐れの念が生じ、多くの奇跡としるしが使徒たちによって行われた(2:43)。
2)そのような中で、3章において、ペテロとヨハネは、生まれながら足のきかない男の癒しを行った。ペテロとヨハネが男をじっと見つめ、ペテロが、「ナザレ人イエスの名によって歩きなさい」と命じて手をとり起こすと、躍り上がって立ち、歩き出した。
3)ペテロは集まってきた人々に、イエス・キリストの死と甦りを証しした。〔イエスは先祖の神が栄光を賜った方であった、イスラエルの人々(あなた方)はこの命の君を殺した。しかし神はこの方を甦らせた。〕この話を聞いて、多くの者が悔い改め、イエスを救い主と信じる者が起こされていった。
4)なぜ癒されたのか。@聖霊は助け主(ヨハネ14:14-17)。イエス・キリストを教えて下さる方(ヨハネ14:26,16:15)。聖霊は癒しの賜物を与える。(1コリント12:9)イエスを信じる者はイエスの業を行う(ヨハネ14:12)。〔「イエスが私たちの煩いを身に受け、病を負うた。」(マタイ8:17)〕A信仰の賜物。(1コリント12:9)〔パウロは「癒されるほどの信仰があるのを見て、・・・」(使徒14:9)〕。本人の、また癒しを祈る者の信仰が問われる。信仰について。(ルカ17:5,6)
5)聖霊が注がれて、弟子たちは大胆に証しし、福音を伝える者となった。(使徒4:13)
 
 
 
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第四主日礼拝:2014年6月22日
 
説教者 加藤育代師
 
今週の聖句
主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は」 (詩篇34:8)
 
題「主のすばらしさを味わえ」(詩篇34:1-10)
 人生の困難、試練、矛盾といったものを、ゆうゆうと克服し、勝ち抜いていく力、勝利の人生の秘訣を学ぶ。
@恐れについて。
 背景になっているのは、Tサムエル21:10〜15の出来事。当時ダビデは、サウル王の手から逃れるために逃げ回っていた。ノブの地の祭司からゴリアテのつるぎを手にして、「それにまさるものはない」(21:9)と喜んだ彼には、不安・恐れが付きまとていた。彼の心が神にではなく、物に平安の根拠を求めた時、彼は不安のとりことなってしまったのである。
それは私たちも同じである。人生の手すりを神以外のものに置く時、不安や恐れが心を支配する。
A神にすがる。
 しかし、ダビデに見倣うところは、4節と6節の信仰。ダビデは、つるぎの無力を感じた時、自分を愛し救って下さった神様に叫んだのである。決して、壊れて恐れを感じることのない、人生の手すりなる主の許に立ち返った。そのダビデを、神は非常に困難な状況から解放された。主の恵み深さを体験したダビデは、主に対する感謝をこの詩篇に表した。それが1〜7節。ダビデは、賛美の重要性を体験的に知っていた。
B賛美は決断
 この神を賛美する姿から、自分の意志を放棄した人の姿を見る。
 まず彼は、「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない」と歌った。「常に」「あらゆる時に」というのは、あらゆる事”も含むが、容易なことではない。ここにダビデの決意が表れている。賛美は自然に感謝の思いになって溢れて来る、けれどもそうでないときは賛美できないというような感情的ではなく、賛美は決断なのである。
その根拠は、神が私に危害を与えることなど、絶対にない。という神に対する徹底的な信頼故である。
C賛美は力
 賛美は、困難な状況の中に神を招き入れ、沈んだ心を引き上げる。私たちも、感情ではなく意志の力によって主を賛美する事を実行しよう。
 8節で彼は、「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」と歌っている。「味わい」とは、体験するということ。
Tペテロ2:3には、「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。」 主に信頼する者は、主がいつくしみ深い方であることを体験することができる。主に身を避けることの幸いを覚え、信仰と献身の思いを新たにしていただこう。
 
 
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第五主日礼拝:2014年6月29日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
『家造りらの捨てた石が/隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』」(マタイ21:42)
地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。」(1コリント10:26)
 
今週の聖句
主のもの(権威)に与って生きる」(マタイ21:33-46)
1)祭司長たちや民の長老たちは自分たちが神殿の管理者であり、民の指導者であると考えていたため、イエスが宮で教えていることが気に入らず、何の権威によってそれをするかを問うた。
2)イエスはバプテスマのヨハネの権威が天からであったか人からであったかを問うたが、祭司長らは答えなかった。それに対してイエスは二人の息子の譬え話をし、取税人や遊女はあなた方よりも先に神の国に入ると言って、ヨハネの悔い改め(権威)を受け入れなかった祭司長らを審いた。
3)さらにぶどう園を任された農夫たちの譬え。農夫たちは収穫から割り当てられた納める約束となっている物を納めず、催促に来た主人からの使いに暴力を振るい果てには殺した。さらに主人の息子を殺すことによってぶどう園を私物化しようとしている腹が明かとなり、主人の徹底した裁きを受けることとなる。それは神が遣わされた御子の権威を受け入れず、この御子イエスを十字架に付けてやがて殺そうとする祭司長らがしようとしていることであり、神の民に起こる現実であることをイエスは示された。後に主イエスは殺され、甦らされ、贖いのみわざを成就することにより、人を救う道を拓かれた。殺されることにより、愛の権威をもって人を救う道を貫かれた。ここでは神から委ねられているものを私物化しようとし、神の権威に従わない罪が問われている。
4)私たちも神から様々なもの、家族、生活に必要なもの、仕事、親族、財産等を与えられ委ねられている。それらは神から与っているものである。それを私物化しようとするときに様々なトラブルが起こってくる。すべては主のものであり、神の権威の中に生かされていることを自覚し感謝していきたい。
 
 
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