説教の要約:2014年3月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2014年3月2日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。」(マタイ28:19,20)
 
題「共に主イエスの弟子となるために」(能力賦与)(マタイ28:19,20) 
 復活された主イエスは、11使徒たちに命じて遣わされた言葉。
1)主動詞は、@弟子としなさい(disciple)。A出て行きなさい(go)。
 @すべての国民を弟子とする。〔御子を信じる者は主イエスの弟子であり、永遠の命を持つ。主イエスの弟子たちはイエスが弟子たちを愛されたように互いに愛し合う。主イエスの弟子はイエスを愛し、そのいましめを守る。〕
 A出て行く(go)。主イエスは出て行き、町々村々を巡り歩き、癒し、直し、悪霊を追い出し、神の国の福音を宣べ伝えた。12弟子たちや他の弟子たちと生活を共にし、力と権威を与えて遣わされた。〔親は子を育て、知恵や技術を与え訓練し、能力を賦与して社会に遣わす。〕
2)この主動詞に2つの動詞が分詞形として掛かる、
@バプテスマを施すこと(baptizing)。父子聖霊の名によって。〔この名以外に救われるどんな名も与えられていない。(使徒)〕
A従うように教えること(teaching to obey)。イエスが弟子たちに命じた一切のことを弟子たちが守るように教えること。
 主の弟子たちを通して、永遠の命を受け継ぐ者、主の弟子たちが再生されていく。これは主イエスの弟子たちに委ねられた素晴らしい働きであり、特権である。そのために主イエスが共におられ、聖霊が注がれ、神の約束が私たち(主イエスの弟子たち、教会共同体)に成就していく。これは神から与えられた恵みの働きであり、そのために神から力が与えられる。祈りと信仰を持って力を注ごう。
 
 
 
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第二主日礼拝:2014年3月9日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。・・・・イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」(ルカ5:8,10)
 
題「罪や滅びと闘う教会」(マタイ16:13-20)
1)イエスは「神を愛し、隣人を愛せよ」という大切な戒めを実践された。弟子たちを召し、互いに愛し合うことがすべての働きの土台となることを実践された。(愛の関係)
2)主イエスは人々に仕え、病を癒し、体の不自由を直し、悪霊を追い出し、死人を生き返らせ、神の国の福音を伝えた。キリストを信じるすべての人が神に仕え、人々に仕えることができるという真理に基づき、与える心をもって主のみこころに参加することができるように模範を示された。(主の御心に参加)
3)一人ひとりがキリストの弟子となり、キリストのからだを建て上げていくために必要な資質や技能を身につけることができるように育て、派遣された。弟子たちに病の癒しや悪霊を追い出す力と権威を授けて、遣わされた。(主の弟子としての能力賦与)
4)主イエスが頭であり、主イエスに聴く、主イエスが働きの中心であり、実行力を持った方である。(イエス中心)
5)主イエスと共に働く中で、ペテロはイエスがキリストである告白をする。マタイ16:16-18。イエスを生ける神の子、キリストです、と告白する人を用いてイエスの教会は建てられる。イエスを主と告白する人々の共同体がキリストの体であり教会である。
6)イエスの弟子たちはイエスを愛し、イエスのいましめを行う。イエスのいましめは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」 この目標は、父なる神とイエスとが一つであったように、弟子たちもイエスにあって一つとなることである。(ヨハネ13:34,17:22)
 
 
 
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第三主日礼拝:2014年3月16日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
(イエスは)こう言いながら、大声で『ラザロよ、出てきなさい』と呼ばわれた。すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。」(ヨハネ11:43,44)
 
題「死人を呼び返された方」(ヨハネ11:17-44)
1)マルタとマリヤとは、主イエスに出会って、それぞれに、「あなたが一緒にいて下さったら、兄弟は死ななかったでしょう。」と悲しみと悔しさをにじませた。マルタに促されてやっと出て来たマリヤが周りの人々と一緒に泣いている様子に、主イエスも感動して涙を流された。イエスはラザロを癒して欲しいと二人の姉妹に頼まれた時、この病は神の栄光が顕れるためだと言われ、すぐには行かれず、死んだ後によみがえらせるために死者の所に行かれた。しかし、ここで主イエスは悲しみに打ちひしがれている、マリヤや周りの人々の悲しみに共に涙を流された。主イエスは私たちの痛み悲しみに共感し、共に泣いて下さる方である。
2)死の前に人間は無力であり、失望せざるを得ない。マルタはイエスを「キリストであり、神の子である方」と信じていたが、ラザロはすでに死んで四日も経ち、臭くなっていてどうしようもないと考えていた。マリヤや周りの人たちも、「あの盲人の目を開けたこの人もラザロを助けられなかったか」と死に対して絶望していた。新改訳「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、」(33節) 新共同訳「心に憤りを覚え、興奮して、」と訳している。主イエスは人々の反応に憤りを持たれた。主イエスが愛しておられる者たちが、よみがえりであり、いのちである方を知らず、罪と死の力に捕らわれ失望して、主イエスに背を向け、墓に向かって泣いている。主イエスは彼らを憐れんで、激しい憤りと心の動揺を持たれる。〔私たちの心はどこに向き合っているだろうか。(参照、マタイ22:32)〕
3)主イエスはマルタに、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」と言われ、イエス・キリストが死人をも生き返らせる力と権威を持った、いのちのお方であることを顕された。そして信仰を求めた。また、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」と言われて、ラザロを生き返らせようと死に立ち向かわれた。
4)イエスは父なる神にいつも願いを聞いて下さることに感謝する信仰の祈りをされた。また、この願いが、「そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるため」であることを明らかにされた。この主イエスの一連の言動が真実であることを証明するように、主イエスがラザロを呼ばれた時、ラザロは生き返って、包帯を巻いたままで出て来た。
5)ヨハネはこの福音書を、「あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るため」だとしている。
6)私たちは今日も、主イエスが罪や滅びの力から私たちを生き返らせ、命を与える力と権威を持った方であることを信じ期待していきたい。
 
 
 
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第四主日礼拝:2014年3月23日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
主は振りむいてペテロを見つめられた。ペテロは、『きょう、鶏がなく前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われた主のお言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた。」(ルカ22:61、62)
 
題「主の眼差しに立ち帰る」(ルカ22:54-62)
 主イエスがゲツセマネで捕らえられて、大祭司の邸宅に連れて行かれた。ペテロは後からついて行き中庭に入っていた。ある女中がペテロに、「あなたはイエスと一緒にいた」と言った。ペテロは「私はその人を知らない」と否定した。
 ペテロは弟子たちの先頭に立って、イエスに従ってきた人だった。しかし、犯罪人として捕らえられる、また仲間の弟子たちも逃げてしまい孤独の中で恐れ、不安に捕らわれた。
 3度ペテロは主を否んだ。イエスに召し出され、導かれて、神の愛の中に守られてきた。イエスの弟子として働き、神の御業を見てきた。しかし、イエスが捕らえられ、裁判を受けようとしており、自分も裁く人々の中に置かれている中でイエスを否んでしまった。恐れが生じ、不安に陥った。「イエス様、信じます。従っていきます。」と言えないで、人を恐れて、自分を守る。イエスを否定し、心の中でイエスを殺してしまう。主イエスを殺したのは、大祭司、パリサイ人や律法学者、ローマ総督、無知な群衆だけでなく、弟子たちの裏切りでもある。その中で主イエスは、孤独に殺されていかれた。
 鶏が鳴く。主イエスが振り向きペテロを見つめた。「鶏が鳴く前に、わたしを3度知らないと言う」と言われたイエスの言葉を思い出し、外へ出て泣いた。「イエスのためなら死も獄も共にします」と言ったペテロであったが、イエスの予告通り主を否んだ。しかし、主イエスは、「あなたの信仰がなくならないように祈った」と言われ(22:32)、このペテロに愛の眼差しをもって見つめて下さった。裏切り自分を捨てる者に対して、愛と信頼と望みを持って見つめる主の眼差しに接して、ペテロは泣いた。
 ペテロが立ち直り、力強い弟子として働き始めたのは、主イエスが十字架にかかり、死んで葬られ、復活され、40日間弟子たちに現れ、50日目に聖霊が注がれて後であった。伝承では、逆さ磔により殉教した。
 私たちはキリストの愛の眼差しに支えられて、癒され、励まされ、成長していく。 
 
 
 
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第主日礼拝:2014年3月30日
 
説教者 加藤育代師
 
今週の聖句
あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である。ヨシュアはそのようにした。」 (ヨシュア記5:15)
 
今週の聖句
壁は崩れ去る」(ヨシュア5:13-6:20)
主はあなたが何かで不安を感じ始めたら、その状態をわたしに明け渡しなさいとおっしゃっておられる。神様は、自ら手を下して問題を解決なさることもあれば、どう対処すればいいかを教えられることもある。今日の聖書箇所からその事を学んで行きたい。 
@主に明け渡す
 イスラエル民族が、指導者ヨシュアと共にカナン入国を目指し、エリコの町の近くに来た。高くそびえる堅固な城壁をどのように突破できるか、考えあぐねるヨシュアに、主が現れる。ヨシュアに告げられたように、主は私たちの戦いに先立っていてくださる。私たちは、課題を主に明け渡すこと。それがくつを脱ぐことである。先ず崩されなければならないのは、自分の心である。
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」(詩篇34:18)
Aみ言葉に従う
 エリコ攻略のために主が告げられた作戦は、6日の間一週ずつ城壁の周りを行進する。7日目は七週行進するという奇妙な作戦だった。彼らは大まじめにこの事を実行した。それは、神が既にエリコの町をあなたの手に渡していると言われたからである。(6:2) 神の約束を信じたとき、はじめて私たちは、神に喜ばれるような生き方をすることができる。それは、御言葉に聞き従う生き方である。
 神の言葉は、信じている人のうちに生きて働いている。(Tテサロニケ2:13) 彼らが御言葉に聞き従った結果、エリコの城壁が崩れ落ちた。私たちの目の前にある課題もまた、城壁のように高く堅固なものばかりである。私たちは、自分が退いて、神様のみに頼り、神様の言われる通りすれば、必ず城壁は崩れ去る。
 
 
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