説教の要約:2013年11月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2013年11月3日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。」(ヨハネ黙示録20:6)
 
題「御国の祝福と大審判」(ヨハネ黙20:1-15)
☆再臨
1)空中再臨(1テサロニケ4:14-16,1コリント15:50-57)
 1.義者の復活。
 2.クリスチャンの栄化(1テサロニケ4:17,ピリピ3:21)
 3.教会の携挙(1テサロニケ4:17)
 4.小羊の婚宴(1テサロニケ4:18)――キリストと教会(花婿と花嫁)
2)再臨の完結(地上再臨、ヨハネ黙示録19:)
 1.携挙後の地上――大艱難時代(マタイ24:、ヨハネ黙示録4:ー19:)
  a.名目的教会の存在のみ
  b.殉教による僅かな人の入信
 
☆御国の祝福と大審判
1)サタンの幽閉(20:1-3)
2)@艱難時代の殉教者たちの復活(20:4-6)
 A祝福の情景(イザヤ65:20-25)
3)サタンとその勢力の裁き(20:7-10)
4)大審判(20:11-15)
 
 
 
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第二主日礼拝:2013年11月10日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。(ヨハネ黙示録21:1、2)
 
題「新天新地の約束」(ヨハネ黙21:1-8,22-27、22:1-7)
1)古い天と地は滅び去るものである。
  古い天と地は消え去る。天は大音響を立てて消え去る。天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものはみな焼き尽くされる。滅び去る。神の子たちが住むにふさわしくない所である。神はすべてのものを新しくされる。
2)新しい天と地が現れる。
  新しい聖なる都エルサレムが天から下ってくる。夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神の栄光のうちに神のもとを出て、天から下ってくる。都の輝きは、高価な宝石のよう。
3)全能者にして主なる神と小羊が聖所。灯りはいらない。何かが照らす必要がない。「神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。」
4)神の幕屋が人と共にある。人の目から涙を全くぬぐい取って下さる。
5)小羊。この方によって私たちは贖われている。いのちの書に名が記されている。この方のみ声を私たちは聞きつつ今の生活をしている。〔人間の知恵や栄誉や物質的な豊かさ、繁栄などは関係ない。私たちは何を大事に生活しているのか。〕  ここにおいて、小羊である主イエスの権威をみる。私たちに近づき、赦しを与え、癒し、解放し、自分の罪を知らされ、キリストの前に跪く者として下さった、この主であられる方によって生かされている。かつては自分の欲しいままに生活し、怒りの子であり、自分で自分を変えられない苦しんでいた者であった。しかし、それらは滅び去っていくものである。
 
 
 
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第三主日礼拝:2013年11月17日
 
説教者 加藤育代師
 
今週の聖句
すべて賢い者はこれらの事に心をよせ、主のいつく しみをさとるようにせよ。」(詩篇107:43)
 
題「苦悩の中の感謝」(詩篇107:1〜32)
 人生には、様々な試練がある。しかし神は、その様々な試練を、一つ一つ恵みに変えてくださるお方。詩篇107篇はそのことを感謝するようにと歌っている。 
1、苦しみの時の祝福
 v.4〜9は迷う旅人(荒野で飢えと渇きを味わった者)、v.10〜16は囚人(苦役と束縛によって苦しめられた者)、v.17〜22は病人(自分の咎(とが)の結果として病を経験した者)、v.23〜32は船員(大望を抱いて海に乗り出し、遭難しそうになった者)のことが記されている。
 この4つのグループに共通するのは、自分の力だけではどうにもならないとき、神によって乗り越えて来たことである。人はそのような時、神の助けを心から求めるのである。
 私たちが、もう他の何ものにも助けを求める事ができない苦しみや悩みの時、ひたすら上に向かって叫ぶと、神の助け、神の救いの恵みが見えてくる。それは、まっすぐな道であり、悩みに縛られて硬直していた心が解放されることであり、神の恵みで心満たされることである。
2、苦しみの時の慰め
 20節「そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された」 ここに神の私たちに対する、(病のいやしと共に)慰めが込められている。 コリント人への第2の手紙1:3、4「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり・・・」と述べている。
 私たちの内に住んでいて下さる聖霊は、慰め主である。私たちは、神様の慰めを、み言葉によって聴くことができる
 イエス・キリストの十字架の贖いによって示された神の愛、そして復活に示された、墓を破り、死に打ち勝たれた大いなる神の力を信じるとき、私たちはいかなる患難の中にあってもなお、主のいつくしみ、あわれみによって感謝の日々を過ごすことができるのである。
 
 
 
 
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第四主日礼拝:2013年11月24日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
アロンとその子たちは、その雄羊の頭に手を置かなければならない。・・・・主の前にその雄牛をほふり、その雄牛の血を取り、・・・・その残りの血を祭壇の基に注ぎかけなさい。また、その内臓・・・の上の脂肪とを取って、これを祭壇の上で焼かなければならない。」(出エジプト29:10〜13)
 
今週の聖句
「祭壇における罪の処分と贖い」(出エジプト27:1,2、29:10−14)
1)幕屋の庭に青銅の祭壇が造られた。大祭司、祭司を清めて務めに就かせるため、罪祭、燔祭、酬恩祭が捧げられた。この時、大祭司らは雄牛の頭に手を置き、動物をほふり、その血を祭壇の基に注いだ(10-13)。内臓の定められた部分を祭壇の上で焼いた。これによって礼拝者の罪が動物の犠牲によって贖われた。肉の命は血にあり、贖うことができる(レビ17:11)。
2)祭壇は神が現存される徴であり、モーセはシナイ山で神と民が契約を結ぶ時に、祭壇と民に血を注いだ(出エジ24:6-8)。祭壇に触れる者は聖なる者となった(出エジ29:37)。大祭司が祭壇の角に血を注いで民の贖いをした。(レビ16:18,出エジ30:10)
3)しかし、イスラエルの歴史の中で、偶像の祭壇が造られ、数が増やされたり、宗教的堕落が起こり、祭儀をエルサレムの神殿だけで行い、改善された。
4)主イエスは祭壇を聖なるものとしておられるが、パリサイ人らの詭弁や実生活に生かされていないことを指摘した(マタイ5:23,24,23:18-20)。
5)主イエスは新しい神殿であり(ヨハネ2:21)、彼自身が祭壇である(ヘブル13:10)。いけにえを聖なるものとするのは祭壇であり(マタイ23:19)、主イエスは自分自身を聖別して完全ないけにえとして捧げられた(ヨハネ17:19)。彼は祭司であると同時に祭壇である。従って、主イエスの体と血にあずかるとは、主ご自身である祭壇と"交わる"ことを意味し、その食卓に連なることである。
 
 
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