説教の要約:2013年3月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2013年3月3日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「この女が・・・・うしろから、み衣にさわった。それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。」(マルコ:27-29)
 
題「主の衣にさわった女」(マルコ5:25-34)
1)長血をわずらって苦しんでいた女が、イエスの衣にさわれば癒されるという、信頼と期待をもってさわったところ、血の元がかわいて、病気が直ったことを感じた。
2)主イエスは力が出ていったことを感じて、誰がさわったかを問うたが、弟子たちは群衆がひしめき合い、多くの者がさわっていると答えた。多くの者たちが主イエスにさわりつつ、この女だけが癒された。詳訳聖書は、「み衣にさえさわれば丈夫になれるといつも言っていた」(28)と訳している。群衆にまぎれつつ、後ろからではあったが、大きな信頼と期待を持っていたと思われる。
3)主イエスに問われ、隠れていることができなくなり、恐れおののきつつ進み出て、すべてを告げた。長年の病気の苦しみを思い起こしつつ、主イエスのみ衣にふれて癒されたことを主に告げた。その言葉に主イエスは耳を傾けて下さった。
4)主イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った」と言われた。大きな信頼と期待をもって主イエスにさわった女の行為を、「あなたの信仰」と言われた。そして、主イエスは女に平安を告げられた。病気から解放されたところにとどまり続けるように言われた。
5)私たちも肉体的な病気のみならず、心においても多くの病み煩いを持つのではないか。しかし、主イエスはどのような状況からも平安と解放を告げて下さる方である。
 
 
 
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第二主日礼拝:2013年3月10日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。」(エペソ4:15)
 
題「イエスを中心とした教会ですか」(エペソ4:11-16)
1)キリストが教会のかしらである。
2)問題を抱えると、どこ(誰の所)へ行くか。何を拠り所、頼みとしているか。
3)ディボーションは大事。みことばと祈りによって神の語りかけを聞き、それに従う習慣を持つこと。
4)リーダーは仕える人。リーダーは信者がかしら(イエス・キリスト)の所に行き、かしらに聴き従うように整える働きをする。
5)マタイ28:19,20。「行って、すべての国民を弟子とし、・・・・バプテスマを施し、あなた方に命じておいたいっさいのことを守るように教えよ」。大事なことは、かしらなるキリストが教えられたことを信者(弟子)が守り行うことである。そのことにリーダーは仕える。
6)従順が大事。キリストの教え(みことば)に従順であることが焦点。教え中心の教会は教師に焦点がある。従順中心教会はキリストに焦点がある。
7)一人一人がキリストから真実を汲み取ることが大事であり、リーダーはそれを助ける。イエスに焦点を置くためにイエスの心を受け取る必要がある。
教会の7つの本質
@関係 愛の関係。神が求めておられること。イエスと弟子たちとの関係。人が大事。サタンは見えるものに、業績に価値を置かせる。
A参加 神の御心に参加。主イエスの働きに参加。日常の生活で。身近な関係(夫婦、親子、職場)において愛の関係を持つ。宣教に参加。受けるよりも与える方が幸いの価値観で。
B能力賦与 神の御心に参加できるように能力を与える。訓練する。整える。
Cイエス中心 D伝道・増殖  Eネットワーク F適応可能な構造
 
 
 
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第三主日礼拝:2013年3月17日
 
説教者 加藤育代師
 
今週の聖句
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。・・・・わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」(ヨハネ15:4)
 
題「実を結ぶために」(ヨハネ15:1-8)
 イエス様が「実」と呼ばれているのは、神のために結ぶ実である。それは私たちを通して人に救いをもたらす事、これが「実」である。このただ一つの目的のために私たちを枝とされた。私たちが神のために実を結ぶためには、どうしても主に結びついている必要がある。主は「人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。」
と言われた。主につながっているとはどういうことか。
T、神の中に一つとなる
 「つながる」とは「とどまる」こと。主の中に住み続けること。主も自分の中にいて下さることを確認し認める事が先ず大切である。この「とどまる」という行為には自分を捨てきるという意味が含まれている。私たちの自我は神の実を結ぶ事を妨げる。農夫なる神はその刈り込みをなさる。救いに与った私たちは、自我がキリストと共に十字架につけられ葬られたことを、信仰を持って受け取ろう。
U、み言葉が私の中に住む
 神の言葉がその人の内にとどまっているとは、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむことである。(詩篇1篇2,3節)中途半端なつながりではない。主イエスの母となったマリヤは天使の言葉を生涯、心に納めていた。
納めることは握っている、宝のように持っていると言う事だ。そして、神の約束がいつ、どのような形で成るのかを思い巡らしていた。ここに実を結ぶ秘訣がある。また、み言葉は私たちの心を聖める神の鋏(はさみ)である。私たちはこの御言葉を聞き続けることで聖くされて行く。すべてのことをなさるのは主御自身である。ぶどうの木は枝に養分といのちと力を与える。枝はそれを待ち、受け、憩い、そして実を結ぶ。この枝とされた事が祝福なのだ。枝をとおして聖霊は流れ、神のいのちを人々にもたらすのである。
 
 
 
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第四主日礼拝:2013年3月24日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。」(ガラテヤ3:13)
 
今週の聖句
「身代わりに呪われて下さった主」(ガラテヤ3:1-14)
 キリストはなぜ十字架で死なれたのか。
 私たちは法律や道徳、常識、伝統の中で、行いによって認められ、将来を約束される立場にあるのではないか。その価値観に縛られている。
1)律法の行いによる者は皆呪いのもとにある。律法によって救われようとする者は律法を全部行わなければならない。律法の行いによって神の御前に義とされる者は一人もいない。すべての人は律法のもとにおいては呪われている。
2)キリストは、人の罪を負い、呪われた者となって、木に架けられ、神の怒りを受けて下さった。
3)ガラテヤのクリスチャンの中に、救われたけれども律法の行いが必要だと、割礼を強いる教えが入ってきた。パウロは、御霊を受けたのは律法を行ったからか、聞いて信じたからかを問い直した。(2)
4)イスラエルの信仰の父であるアブラハムは、神の祝福を約束されたが、それはアブラハムの信仰が神に義とされたからであった。そしてその子孫も信仰によって義とされるのである。
5)モーセの時代に、イスラエルの民はエジプトから脱出し、シナイ山で律法を受けた。律法は、モーセ五書に書かれている、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記に書かれている、神の民の法律の総体、十戒がその代表的なもの。社会法規、祭儀律法、道徳律法。〔家族、社会、経済、司法など社会生活を規制する法律。祭儀に関する規定。(罪の赦し等)〕しかし、律法によって何が善であり、何が罪であるかを知らされ、自分が罪人であることを知らされ、それに対する裁きや罰を知るが、それを避け、それから逃れる方法は教えない。そういう力が与えられる訳ではない。
6)キリストは私たちの内にある呪われるべきものを負うて呪われた者、呪いとなって十字架で死んで下さった。そして甦って復活の新しい命を私たちに与えて下さった。天から聖霊を送り、私たちを導いて、御国を受け継ぐことができるようにして下さった。
7)しかし私たちは律法の呪いになおもとどまろうとしているのではないか。御霊によりそれから解放されて生きたい。キリストは、新しい戒め、互いに愛し合うこと、を与えて下さった。パウロは、キリストの律法に生き、互いに重荷を負い合う者(ガラテヤ6:2)、ユダヤ人を得るためにユダヤ人のようになる者(1コリント9:20)となった。
 
 
 
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第五主日 聖霊降臨日礼拝:2013年3月31日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
・・・・この福音によって救われるのである。・・すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。」(Tコリント15:2-6)
 
今週の聖句
「復活の出来事によって生かされる」(1コリント15:1-11)
1)この福音によって救われる。使徒信条。使徒の教え。世々の教会が告白してきた信仰の言葉。
2)「最も大事なこととしてあなた方に伝えたのは私も受けたこと」。自分で作った話ではない。自分も受け、また次に受け渡していった信仰である。
3)聖書に書いてあることが成就した出来事。旧約聖書に預言され、それが実際に起こり、成就された出来事である。
4)「キリストが私たちの罪のために死んだ、葬られたこと、三日目に甦られたこと」。
5)12使徒たちに、500人以上の弟子たちに同時に、現れたこと。そして私(パウロ)に現れたこと。肉体を持って(マタイ28:9、マルコ16:9以下、ルカ24章、ヨハネ20,21章)。共に食事をされた(ルカ24:42,ヨハネ21:12)。
6)信仰の持っている、私たち一人一人に現れ語られ、交わって下さる。
 
4)の参照:「主は、私たちの罪過のために死に渡さ私たちが義とされるために甦らされた」(ローマ4:24,25)、「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスを甦らせたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ10:9)
 
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